第9話



 這々の体でタコから逃げだすことができた。クソタコ野郎が……いや、あの程度の相手をいなせない俺自身にも問題がある。


「俺は……弱い……弱すぎる……」

「あなたが弱かったら私たちなどどうなるんですか!」

「そちらの事情は知らん。しかし、俺は今のままではいずれ邪神のエサになるしかない気がする。確実にヤツらは俺より強い」

「お前が弱すぎるとして、どうしたら強くなれる?」


 包丁に言われるまでもないが、強くならないといかん。


「まず記憶だ。記憶を戻さないと。今の俺は自分の過去の記憶がほとんどないんだ」


 記憶を戻してどうこうなるモノでもないかもしれない。しかし、今の俺に欠けているのは、まず記憶だ。そもそもの問題としては、俺はどうしてここにいるのかだ。記憶を戻したとしたら、ひょっとしたらここにいる原因がわかるかもしれない。そして俺自身を強くできるかもしれない。


「記憶を戻す……いや、お前もおそらく記憶を『喰われた』のだろう」

「だとして、なんで俺は生きている?」

「消化不良なんじゃないか」

「俺は邪神のゲロか下痢便かよ」


 消化不良って本当にしっつれーな包丁だな。


「逆に普通に喰われたヤツはどうなったんだ」

「普通に完全に消化されますよ。喰われたはずが食えなかったなんて話聞いたことがない」

「……私の知る限りだが、ある種の動物は毒を持った生物を喰った場合吐き出すことがあるということだ」

「やっぱりゲロじゃねーか!!」


 アシュラムと包丁の言う通りだとすると、やはり俺はゲロか、ゲロなのか。しかしゲロだとしてもネバネバしたりもしてなかったぞ。そもそも俺は喰われたのか?そこがわからない。


 不意に、周囲が海水で満ちてきた。


「おい包丁、この世界に潮の満ち引きはあるのか?」

「月はあるからな。普通にある」

「月は……ってアレかよ!で……でかい……。と言うことは……潮汐力は地球のそれよりはるかに大きい……そりゃ地表がぐちゃぐちゃになるわけだ!」


 夕闇の中、ぼんやりと空に浮かんだ月は地球のそれをはるかに上回る巨大さである。仮にあの月が地球のと同等の大きさだと仮定すると、月との距離は地球と月の距離より1/4くらいなんじゃないのか!?


「なんでこの環境で人類が誕生しうるんだ!ありえないだろうが!」

「我々の祖先は、この世界ではない、どこかの世界から訪れたと言われています」


 アフィラムの言葉が間違ってなければ……彼らの先祖も……おそらく地球人だ。


「くそ、と言うことはだ……おそらくはだ、邪神ヤツら地球からまた人類エサ奪ってきて生簀に放つつもりか!」

「……生簀の人類しょくりょうは食べ尽くしたということか?」


 それにしても地球は危険なんじゃなかったのか?危険を犯してもなおそれを行う必要があるのか?


 砂地の大地を巨大な怪物が揺るがす。砂を飲み込み前進しているようである。そして、ふたたび地上に頭を出す。


「うわぁあ!く、くるなぁ!」


 アフィラムが絶叫している。巨大な怪物が何かをアフィラムにブチまけて……巨大で若干びっくりしたが、よく見たらただただクソデカいナマコじゃねーか。


海鼠腸このわたじゃねーか。びっくりさせんなよ」


 狼狽するアフィラムに絡みついたこのわたを取り除く。高級食材をぶちまけるというなかなかワイルドな生態の生物、それがナマコである。おもむろにナマコを力任せに一閃。そのままなます斬りにする。いくらでかくても、動きの遅いナマコはただの据物である。包丁が斬れ味良くて助かる。


「いやでもこの量のこのわた喰えるとかラッキーだなぁ。この世界に来ていいことは、美味い海産物が向こうからやってくることだな」

「え?ちょ……ちょっと何食ってるんですか!?ラッキーってなんなんですか貴方は!」


 そんな人を邪神みたいな顔で見るなよ。照れるぜ。


「このわたってのはな、俺のいた国では高級食材なんだよな。美味いからちょっと食ってみろよ」

「い、いやそんなの食べさせないでくだ……あ、あれ?結構美味しい?」

「染まったな」

「言ってろ包丁」


 しかしこれだけの量のナマコは食えない……あ、そうだ。


「これも、干そう」

「えええぇ?干す!?」


 クジラカタパルトに、スルメとナマコを干すことにする。だんだん荷物が増えて来た。他の人間にも是非食べてもらいたいところである。

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