第160話 前夜(3)S☆1

 ヤサウェイさんに小さな椅子を差し出され、腰かけること数分。


「お待たせいたしました!」


 そんな明るい声と共に、天幕をくぐって一人の女性が姿を見せた。

 見覚えのない赤毛の女性。

 でも、彼女の声には聞き覚えがあった。

 一体誰だったろうか、と記憶の端々を手繰っていると……。


「アイリーン?」


 ヤサウェイさんの驚いた声で、私は答えを得た。


「アイリーンさん、なんですか?」


 今思えば、私はアイリーンさんの素顔を見たことがなかった。

 まじまじと真っ赤な赤髪を見つめながら訊ねると、アイリーンさんが「はいっ」と肯定する。


「はい! 貴方の不肖アイリーンであります。赤鉄鉱様が言いつけられた飲み物をお持ちしました。あと、黝輝石様にはお茶菓子を!」


 彼女はおぼんの上にポットと茶器、小皿に盛られたお菓子を載せていた。


「お菓子?」


 私が首を傾げる中、ヤサウェイは溜息を吐きながら頭を抱える。


「アイリーン……何も君がしなくとも」


 すると、アイリーンさんは困ったように笑って返した。


「あはは……本当はそうなんですが、なにぶん暇だったもので」

「暇?」


 短く訊ねたヤサウェイに、アイリーンさんはお茶を差し出しながら答える。


「はい。一応は輜重隊の指揮を執っていたのですが……副官に、後は私に任せてお休みをと言われてしまいまして」


 私の分のお茶をカップに淹れ、彼女は差し出しながらため息をついた。

 湯気の立つカップを受け取り、ふぅと息を吹きかける。

 そして、以前にヤシャルリアさんが私に聞かせた言葉を思い出した。


 威厳や尊厳がないけど……のらりくらりと面倒事をかわす?


 かわしているというよりは、お仕事を部下の人にとられている感じだけど……。

 と、思いながら私が茶器に口をつけると、ヤサウェイさんが呆れたように口を開いた。


「そこで部下に任せるあたりを……僕は君の美徳と取るべきか迷うよ」

「恐縮です。なにせ戦争ですので。自分の無能を晒したままで人死にが起きる。有能な部下がいるのなら思い切って任せてみようというのが私の方針です」


「それも……君の経験則から来るものかい?」

「はい。それが運悪く生き残り、この地位まで上り詰めてしまった自分が持つ唯一の上策です」


 諧謔的に笑うアイリーンさんにヤサウェイさんは「そうか」と頷き、茶器に口をつけた。

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