第159話 前夜(2)S☆2
部屋の外は暗く、静まり返った石床の通路が昼間よりもずっと不気味に思えた。
私はごくりと唾を飲み、やっぱり部屋に戻ろうかと考える。
眠れない気晴らしにと部屋を出たのに、一人でこんな通路をうろつくなんてとてもじゃない。
薄い月明かりが外から差し込む石床を視界の端に入れながら、私は部屋に戻ろうと決めた。
しかし。
「あれ?」
どこか……外から人の話し声が聞こえた。
それに何かを動かし、運ぶような音も。
こんな夜中に、一体誰だろう?
不思議に思った私は、通路に出て月明かりが差し込む窓の傍へと歩み寄る。
すると、窓の外にたくさんの松明の光が見えた。
「こっちだ! 糧秣は青馬へ、医療品は赤馬へ載せろ!」
「矢はこっちへ!」
「第二小隊! 第三小隊と交代だ!」
そして、赤々と松明が照らす城の各所で、大勢の兵達が声を飛ばし合っている。
鎧をかち合わせながら動き回る彼らを見て私は、きっと戦争の準備だと察した。
「戦争って、あんなにたくさんの人と、あんなにたくさんの物でするんだ……」
どこか遠くの出来事のように思いながら、きびきびとせわしなく動き回る兵の動きを見る。
そうしてぼんやりと視線を動かしていると、知っている背格好の男性を見つけた。
「あっ……ヤサウェイさんだ」
赤鉄鉱の黒い鎧を闇夜に溶かしながら、彼は部下らしき兵に指示を出している。
私は、そんな彼の様子をしばらく眺めた後……今、彼らのいる場所へは行くには、どこを通れば良かったかな? と、頭を巡らせた。
◇
「ヤサウェイさん」
慌ただしく動き回る兵達の合間を縫って走り、彼に声をかける。
「お? サクラか」
すると、彼はすぐに私に気付き、気さくに笑い返してくれた。
直後、ヤサウェイさんの隣にいた兵の一人が急に背筋を正して敬礼をする。
その様子に私が驚くと、ヤサウェイさんは小さく笑った。
「中隊長。君は今、軍人としてとても正しい。だが、まだ彼女は軍人らしさというものにはなれていないんだ」
「はっ。しかし、姫様は黝輝石様をこの国の将のように扱えと」
真面目そうな顔に固い口調で返す兵に、ヤサウェイさんは頷く。
「ああ。わかっている。なので、ここは僕に任せてもらえないかな?」
「は、はぁ……?」
一瞬、兵が気の抜けた声を出した。
しかし、ヤサウェイさんが再び兵に向き直った時、彼は軍人らしい表情を取り戻す。
「命令は既に伝えた。君は与えられた指示を果たせ」
「はっ!」
兵は再び敬礼をすると、踵を返して他の兵隊達が動き回る一団へと向かった。
その後姿を眺めながら、私はここに来てはいけなかっただろうかと考える。
「……私、部屋に戻った方がいいですか?」
しかし、ヤサウェイさんは闇夜で影を作りながら、にこやかに私へと笑いかけた。
「本来なら、そうあるべきかもしれない。姫様は君達に出撃までの間休息を命じられていたからね。休むべき時に休まず、明日の昼に疲れた姿を兵に見せては士気にも関わる……だが、君も僕と同じ屍――いや、プラチナドールの体を持つ者だ。睡眠というものが、常人と比べて縁遠いものになってしまったかな?」
怒られるかもしれないと感じていた私は、そんな彼の言葉にほっと胸を撫でおろし――
「はい……普段から眠れない性質ですけど、今日は余計に」
――思わず表情が緩む。
そんな私に、ヤサウェイさんは「そうだ」と前置いて言葉を続けた。
「少し話をしようか? 誰かに頼んで、何か温かい飲み物を淹れてもらおう。こう見えてもこの国じゃ、僕は少し顔が利くからね」
くすりと笑ってしまう私を連れ、ヤサウェイさんは天幕の一つへと向かって歩き始めた。
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