第82話 123回10日目〈12〉S★2

「胸のこと……」


 ――続いて聞こえてきた彼女の一言に、俺は耳を疑う。


「え?」


 思わず、疑念と不信の塊のような短音が口を衝いて出た。


「だって、考えても仕方のないことだものね」


 だが、メルクオーテは俺の声など気にした様子もなく、慈しむようにそっと自身の胸に手をあてる。

 そんな姿を見た途端――


「くっ――はは」


 ――失礼だと、セクハラじみていると、あとで絶対に怒られるとわかっているのに……俺はとても我慢ができず、思い切り笑い出してしまった。


 一人大笑いする俺を、メルクオーテは呆れたように眺める。

 彼女はしばらく俺を放置し、笑いが治まってきた頃を見計らって訊ねた。


「どう? 気は済んだ?」


 薄く微笑むメルクオーテの言い方はどことなく皮肉っぽい。

 俺は急いで呼吸を整え、開口一番彼女に謝った。


「いや、すまん。本当に、悪かった」


 そして――


「あと。ありがとう、メルクオーテ」


 ――伝えておかなければと、俺はメルクオーテに向き直って頭を下げる。

 視界に、一歩二歩と、後ずさりする彼女の足が見えた。

 次に俺が顔を上げた時。


「な、なにがありがとうよっ!」


 最初に目にしたのは、真っ赤になった彼女の顔だった。


「ばっかじゃないのっ!」


 恥ずかしがているようにも、怒っているようにも見える反応。

 いずれにしろ、やはりそれはメルクオーテにとって苦手な言葉であるらしい。


 でも、彼女が与えてくれた機会や気持ち……今日までの優しさに、きちんとお礼を言っておきたかった。

 例え、口にすることで、メルクオーテにお金を払うことになったとしても、だ。


「やっぱり、君は優しいよ」

「なっ!」

「この世界で、最初に会えたのが君で良かった」


 変わらず、メルクオーテは顔を真っ赤に染めている。


「もう、いいからっ! 早く行くわよ! サクラだって待ってるんだからっ」


 この瞬間、俺には不思議と彼女が怒っていないように思えた。


 俺達は歩いて行く。

 サクラの待つ場所へと。

 今はただ、彼女の傍にいるために。

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