第44話 122回111日目〈32〉S★3

「ヒサカッ」


 彼女の名を呼び、直後に何故と言う疑問が浮かぶ。

 しかし、俺は思考がまとまらない内にヒサカに組み伏せられた。


 顔を地面に押し付けられ、口の中に泥が入る。

 その瞬間、俺は泥と一緒に口汚く疑問を吐き出した。


「くそっ! なんで! なんでなんだっ!」


 『待ってろ』と言ったのに。

 そんな言葉が喉まで上がって来る。

 だが、俺はそれを飲み込んだ。


「ご、めん……」


 血の気を失ったヒサカの唇から、そんな言葉がこぼれたからだ。

 彼女の謝罪を耳にした途端……胸の内に諦めが芽生えた。


 体から力が抜け、怒りや悔しさが喪失感や後悔に変わっていく。


 武器もなく、俺は虚無感を手にただ脱力していた。

 よくよく考えれば、こんなぬかるんだ地面に仮の杭を打とうだなんて、なんて間抜けな考えだろう。

 俺は自分で潰したヒサカの腕に体を押さえられながら、自嘲することしかできなかった。

 そうして転がっていると、ヤシャルリアの声が聞こえてくる。


「女。その男を仰向けにして抑えていろ。私は儀式の準備をする」


 下された命令に、ヒサカは答えない。

 彼女はぽつりぽつりとうわごとのように話出した。


「たけ……ごめん。ご、めん」


 ヒサカは俺の体を仰向けにし、馬乗りになってまた謝り始める。

 すると、俺の視界はもう涙も浮かべられない彼女の顔で塞がれた。


「もういい……もう――ヒサカ、すまん。ごめんな」


 約束しておきながら、なんてかっこわるいんだろう。

 しかも、今度はそのかっこわるさで、彼女を泣き止ませることさえできない。


 互いに謝り合う俺達……俺の耳に、また奴の声が届く。


「これより、転移の儀式を――うぁっ」


 が、そこで言葉はうめきに変わり、次に聞こえたヤシャルリアの声はひどく怒気を孕んでいた。


「何故だ! 何故貴様は!」


 奴の姿が俺には見えない。

 この時まで、耳にした声だけが唯一俺の情報だった。


「貴様はもう、人間の領分をわきまえて死ね!」


「そう言うなら。僕に人間をやめさせたのが君の間違いだ」

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