第2話 真実と嘘
「芦川裕」
「えっ」
不意に声を掛けられて現実世界に戻される。普通に声を掛けられても気づかないくらい小さな声だったのに、その声は、五感を支配された今の俺の耳に、すっと入ってくるほど透明だった。
声のした方を振り向く。うっすらと、白い人影が見える。場違いだが、彼女も星のようだと思った。ぼやけていて、そこにいる人間をうまく目で捉えることが出来ない。
いや、そもそも人間なのか。幽霊を信じている訳じゃないけど、信じていないわけでもないしなあ……。
恐怖で動けなくなっていると、その人影が俺の方に近づいてきた。じっと、その姿を見据える。心なしか、気温が下がってきたような気がする。この季節には少々きついぞこれは!
俺の目の前で、その人影は足を止める。
足。足がある。ということは、幽霊じゃないのか……?
徐々に顔を上げていく。
白い足、スカート、ブレザー。それを纏う白色のロングコート。暗めの色を基調としたチェック柄のマフラーを首に巻いている。口元をそのマフラーにうずめ、穏やかな目がこちらに向けられている。髪の毛は後ろの方で二つのおさげになっていた。
知っている顔だった。だが、彼女を見るのは、すごく久しい。
「芦川裕くん、でしょ」
その声も、今となればよく聞いていた声だとわかる。
「ビックリしたな……。なんでこんなところにいるんだよ。琴音」
柳琴音。小、中学校が同じだった。中学卒業後は別々の高校に進んでいたので、会うのは二年ぶりだろうか。
「今日は、12月14日だからね」
そう言って微笑む。12月14日だからここに来た、だなんて、理由らしくない理由を述べているが、その真意には心当たりがあった。
「もう俺たち17歳だな。初めてお前に教えたのって、いつだったか」
「14歳の時。だから、もう3年前だね。私、あの時教えてもらってから、しょっちゅうここに来てるんだ」
「女子一人で来るのは危なくないか」
「えへへ、危ないかも……」
苦笑いしながら答える。喋り口調はあまり変わっていないのに、顔は少し大人びているから、何とも不思議な感じだ。
「あ!今流れた!」
「うん。俺も見たよ。やっぱ、綺麗だな」
ふたご座流星群。毎年12月中旬に見ることのできる天体ショー。しぶんぎ座流星群、ペルセウス座流星群に並ぶ日本三大流星群の一つであり、冬の凍空を飛び交う星たちは、透明な空気を通しその美しさを俺たちの頭上にまき散らす。
琴音に言わせると3年前、俺はこのふたご座流星群の存在を知り、琴音にもそのことを教えた。当時一番仲が良かったのが琴音だったから、どうしてもこの興奮を伝えたかったんだと思う。最終的に、二人で一緒にここに見に来たのだ。
雲一つない冬空だった。放射冷却によっていつもより冷えた山道を通ってこの場所まで歩いた。二人並んで芝生に座り込み上を見上げた。無数の流れ星が目の前を通り過ぎていく。当時、中学生だった俺たちには強烈な光景だった。嘘みたいに、鮮烈だったのだ。
「懐かしいな。嘘みたいだったのに、やっぱりこう見ると、本当だったんだって思うよな」
「変な言い方するね。分かるけどさ」
笑いながら琴音が言う。
「でも、本当に嘘みたいだよね。これを人間が作ったものじゃないなんて」
「人間じゃあ無理だよ、こんな綺麗なもの、絶対に作れない」
「あはは、私もそう思う」
俺たちの声だけが、この空間に響く。なんなら、流れ星の流れる音さえも聞こえてきそうなほど静かな空間。ここは非日常な世界で、だからこそ、もう少し現実離れした話をしてみたくなった。
「お前は、どういう時に幸せだって思う?」
ちらと琴音の顔を見る。聞こえていなかったんじゃないかと思うほど微動だにしていなかった。少しだけ口角を上げて微笑んだまま、広い星空のどこかを一心に見つめている。
徐に、琴音は声を発する。一つ一つ、言葉を紡ぎ出すように、穏やかに。
「私は、悠とこうやって二人でいる時、幸せだって思うよ」
体温が上がるのを感じる。なぜだかそれは、苦しさの混じったものだった。彼女から、目が離せない。
琴音は、夜空から目を離す。代わりに、俺の方に顔を向けた。相変わらず、微笑んだままだった。
彼女は、こんな人だっただろうか。こんなにも、得体の知れない雰囲気を纏った人間だっただろうか。彼女はもっと純粋で、はっきりと物を言う人だったはずだ。なのに、その言葉は、きっと真実じゃないのだなと直感する。俺は、この言葉の真意を知らない。その言葉の含意を読み取るには、深いところまで詮索しなくてはいけない気がする。
「そんなに驚いた?」
「驚くだろそりゃあ……、そんな意味の分からないこと言われたら」
「そっか。やっぱり、悠は正直者だね」
「はあ……?」
「嘘でも、嬉しいって言えばいいのに」
また、意味の分からないことを言う。高校に入って彼女も変わったのだろうか。
再び、琴音は夜空を見上げる。それが会話終了の合図だった。俺も、彼女に倣って夜空に目を移す。
流れ星は、昔からその美しさを変えない。彼女とは違って、いつだって同じ美しさを見せてくれる。
ふと、一粒の流星が随分と低い所を落ちていった。杉の木のてっぺんぎりぎりのところだ。その流れ星の消えたあたりの真下を見る。杉林が、空と地球の境目を作っているその場所に、一つ明かりがあるのに気が付いた。遠くてよく見えないが、小さな光が、ゆらゆらと揺らめいているように見える。
「なんだ……、あれ」
琴音に指さしで教える。
「なんだろうね……。火の玉に見えるけど……」
「ええ……、怖いこと言うなよな」
幽霊は、もしかしたら本当にいるのかもしれない。
煙突掃除屋は不幸者 またたびわさび @takazoo13
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