その6

※これはあくまでも個人的見解です。



クールジャパンと謳われ始めてもう何年になるだろうか。過剰な日本礼賛は別として、クールジャパンで扱われているものの大部分は確かに世界に誇れる物ではある。ただ、全てが必ずしも世界に受け入れられている訳ではない。

では出版分野ではどうだろうか。

マンガはマスメディアによく取り上げられているので受け入れられているようにも思えるが、一つ一つを見てみると首を捻らざるを得ない所もある。

ウケているのは数年来の一部の大作や流行り物であり、全てを受け入れてもらえている訳ではない。無論、日本で出版されている物全てが海外で出版されている訳ではないのだから絶対とは言えないが。ただ、手放しに受け入れられていないのも事実だ。

その典型的な例がバイオレンスとエロスだ。内容に関して修正を加えるようなことは少ないが、表紙については気を遣う。日本のように若い女性の裸体や下着を全面に押し出す物や、猟奇的でグロテスクな物は問題になることが多い。また、宗教的事由については言わずもがなだ。これについては、どうしても各国の文化的事情があるのでどうしようもないし、国際的な基準として日本の規制はかなり甘いとされているので多少は致し方がない。表現の自由も大事だが、子供や信条を守るという理念はそれに勝る。それをクリアしなければクールジャパンの波に乗ることはできない。

では、それほどまでしてクールジャパンに乗らなければならないのだろうか。

答えはイエスだ。

前回にも書いた通り、日本の市場は先細りだ。

生き残るためには日本の人口と読者を増やすか、海外の市場に打って出るしかない。

ところが、これが難しい。


昔、プロジェクトの一つとして英語に堪能な作家や帰国子女に英語での作品を依頼したことがあった。参考に掌編、本番として短編の二本だ。

結果は完結できなかったか、完結できても商業レベルに達していなかった。評価したのは海外作品を原文で読める日本人と外国人だ。

結局、英語作成能力と文才及び英語による文才はまるで違うという根本的な話に終わった。

日本人作家が直接海外の市場に乗り込むのはかなり難しいことを知らされた一件だ。

では翻訳作品となるが、これも容易ではない。翻訳家の数が限られているからだ。しかも、時間的な要因も大きい。一冊で一、二年掛かることはざらだ。直訳ではなく、意訳、しかも作品の雰囲気に合った文章に翻訳するのが如何に大変かは想像に及ばないだろう。

また、日本語による問題もある。

ライトノベルの大部分はキャラクター色を前面に押し出した作品が多いため、登場人物の数も少なくない。元々、文字媒体は多くのキャラクターを登場させるのは苦手だ。会話になった場合、その都度誰が話しているかを示すことになると読者も興が削がれるというものだ。しかし、それを解決したのが話し方に特徴を持たせるライトノベルによく見られる手法だ。

だが、翻訳の場合これが裏目に出る。

自分を指し示す呼称として、僕、ボク、ぼく、俺、オレ、おれ、私、ワタシ、わたし、アタシ、あたし、わたくし、ワタクシ、儂、ワシ、わし、うち、わい、自分、オラ、おいら……。

兄を指し示す呼称として、お兄ちゃん、兄ちゃん、兄さん、兄貴、兄上、兄様、お兄様、またはそれぞれにカタカナやひらがな……。

これらを翻訳の際に完全に区別することはできない。また、時々見られる特徴的な語尾など無理だ。

言語に起因する笑いであるダジャレや、反省のため頭を丸めるなどの日本独自の文化も難しい。海外作品で登場人物が笑っているのに何が面白いのか伝わらない場面に出くわす時があるが、文化的、言語的なすれ違いから来るものだ。

基本的にストーリーを伝えるのが重要であるため、枝葉末節がおざなりになることも多いのだが、そうなると作品の魅力が半減してしまう。


世界で読まれている日本の作品は村上春樹であり、その他には夏目漱石や太宰治、果ては紫式部の源氏物語だ。日本の、近代のエンターテインメント作品が世界を席巻する日はまだまだ遠い。


クールジャパンも、日本の文壇を明るく照らすにはほど遠い。

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