五インチの追憶

「にしても」


 私の身体を上から下まで眺めて、彼女はぷっと笑いだした。


「相変わらず、スーツ似合わないなあ」


 携帯あったらなあ、とけらけら笑う。本当にこの女は、人をおちょくるのが趣味なのだろうか。

 そのイジワルな距離感が、何よりも優しく、そして悲しい。


「笑わないでよ、弥生のせいなんだからね」


「え、私のせい?」


「そうだよ、急にそっちに逝っちゃったら、仕事する気になんてなれないよ」


 彼女の消えた世界で、もう一度生きてみせろ、だなんて、たかだか数日で受け入れられるわけがない。

 頼み込んで掴んだ有給休暇と、土日の定休日の三日間では到底足りなかった。



 働いている間は紺色のスーツを選んでいたのだが、また無個性な黒のリクルートスーツに逆戻りだ。まったく嫌になる。


「ごめんごめん。たしかに悪いやつだよ、私は」


 謝られると、何だか申し訳ない気分になる。

 白装束に三角巾なんて、思わず吹き出してしまいそうなものなのに、どれだけ眺めた所でちっとも可笑しくならない。

 むしろ、余計に切なくなるだけだ。ああ、だからきっと、死者は生者のフリをするんだ。



 本当に半透明になってしまったら、間違いなく死んだのだと分かってしまうから。

 もう二度と出逢えない距離になるのだと、硬く冷たい肌が断言するから。

 あれは死者が遺す、最期の優しさなのだ。


「ねえ、弥生」


 視界の端に見える景色は、随分と低い位置にまで降りてきている。もうすぐ、終点なのだろう。そしてきっとこの時間も、一周したら消えて無くなるのだろう。何となく、そう思う。

 なに、と微笑む彼女に、携帯を向ける。五インチの画面に映し出される景色と、シャッターのアイコン。


「一枚だけ、写真を撮らせて」


 彼女は一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの表情に戻り、へへ、とまた笑う。


「とびきり美人に撮ってよ」


 画面だけをしっかりと見つめたまま、任せて、と親指を立てた。



 かしゃり。生まれる静寂。私は努めて笑顔のまま、そっと携帯を仕舞い込んだ。


「ねえ、どんなのか見せてよ」


 席を乗り出す彼女に、


「だめ。次に会った時に見せてあげる」


 とイジワルをした。普段のお返しだ、歯を見せる。

ええ、ズルい、じゃあ美白加工しておいてよと、矢継ぎ早に文句を垂れてくる。

 美白加工は無いだろう。ただでさえ青白いのに。これ以上ホワイトバランスをいじったら、消えてなくなるよ。そう言って、二人で笑う。



 観覧車が、ゆっくりと地面へ向けて歩を進める。どんぶらこ、どんぶらこ。

 ――写真を見せるわけにはいかない。心のなかで言い聞かせる。五インチの画面の向こう、映し出された景色に、彼女の姿は写っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る