どうして私は

「元気そうだね、卯月」


 彼女の身体は文字通りの半透明。向こう側が透けて見えている。私は懸命にまばたきを繰り返すけれど、いくら世界を更新しようとも、それは消えずに残り続けている。


「あれ、リアクション薄いね。驚きすぎた? あ、じゃあこんなの付けてみたらどうかな」


 弥生は白装束を――つまり葬儀の際の格好と全く同じ――纏っているのだが、その胸元から三角巾を取り出し、額に巻いた。あの冷たい感触が、再び指先に蘇る。



 白装束に三角巾。こてこての「幽霊」。彼女が唯一恐れた天敵。

 その姿は、彼女なりのジョークなのだろうか。


「面白いよね、あんなに怖かった幽霊やつに私がなるなんてさ」


 がくん、と小さく箱が揺れ、私は釣られてよろけてしまう。彼女はぴくりとも動じず、脚を組んで涼しい顔をしている。

 誰かが降りるのに失敗したのだろうか、少しの間、観覧車は動きを止めた。静寂が漂い出す。


「弥生、どうして……」


 辛うじて喉を震わせるも、上手く言葉が出てこない。


「何でだろうね、私にも分からん」


 へへ、と照れくさそうに笑うさまは、二年前から止まったままの記憶と、全く同じだ。


「そうじゃない!」


 こんなに大きな声を出したのはいつぶりだろう。再びがくんと箱が揺れ、元通り。ゆっくりと景色が回転し始める。

 そうじゃない。どうして、の指す方向は、そちらじゃない。

 どうしてここにいるの、ではない。


「どうして、飛び降りたの」


 意を決して突いた一言に、彼女は苦笑いを浮かべた。うーん、と頭を掻きながら、彼女は外を眺める。

 違う。そんな事を言いたいんじゃないのに。

 死した人間を責めようだなんて、あまりにおこがましい行為なのに。

 死者は、死者というは、触れ合うことが出来ない故に、生者にはない尊厳を得られるものなのに。

 どうして私は、ただ一言、「おかえり」と笑えない。


「あのね、本当に申し訳ないんだけど、答えられないんだ」


 遥か遠くまで見渡せる窓を、彼女はじっと眺めている。

 私は同じ方を向くことが出来ないけれど、想像は出来る。

 あちらもそちらもビルの山で、その一つひとつには聞いたこともない会社がわんさかあって、会ったこともない人々が今日もせっせと働いている。



 手を伸ばせば届きそうなほど近く見えるけれど、私と彼らとの間には果てしない距離があって、多分すれ違うことすら叶わない。

 生きながらにして、決して触れ合えない距離。死者と生者だけじゃない。同じ時を生きている私達「生き残り」だって、結局は同じなのだ。



「貴女との思い出は全部しっかり覚えているんだけどね。死ぬ瞬間の事は何にも覚えてないんだ。多分、そういう風に決められているんだろうね」


「私との……?」


「うん。ジュラシック・パークのときの写真、まだ持ってくれてる?」


 こちらに指をさす弥生と、男梅と化した私。

 永遠のように思える小さな思い出も、月日を重ねればきっと色味が落ち、最後には真っ白に融けて無くなる事だろう。それが何よりも恐ろしい。


「ベッドのすぐ側に飾ってあるよ」


 でもそんな恐怖は、彼女には関係のない話だ。遠い未来を恐れるのは、私がまだ生きているからだ。死者はこれ以上朽ちる事など出来ない。

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