あとがき 2016年のアニメ論

シン・ゴジラ公開前の7月に『ゼロ年代~テン年代のアニメ史考察』と題して記事を書いた。

「涼宮ハルヒの憂鬱」「コードギアス反逆のルルーシュ」などゼロ年代の代表作品が現れた2006年から10年目を迎えたことによりテン年代の代表作品は今年までに現れるという予想の上で記事を書き、その代表作品はゼロ年代の特徴である「日常系(空気系)からの脱皮」と定義して暫定的にシャフト制作の「魔法少女まどかマギカ」(2011年)を挙げたが、「シン・ゴジラ」公開を発端に「君の名は」「聲の形」「この世界の片隅に」と劇場アニメ作品のヒットが続いた。

個別にアニメ史における立ち位置を考えてみよう。


「シン・ゴジラ」(東宝)監督:庵野秀明・樋口真嗣

シン・ゴジラはアニメではなく実写作品ではあるがエヴァンゲリオンで有名なアニメ監督、庵野秀明が指揮を執り、ゴジラも実写の着ぐるみではなく、シリーズ初のフルCGで描かれた。

今作は製作委員会方式を取らず東宝の単独製作。

そのためゴジラに想入れの強い庵野監督の作家性が最大限引き出されたと言える。

ヤマタノオロチなどの神話要素をうまく取り入れており、聖書をテーマにしたエヴァに対して日本神話版エヴァとも言えるだろう。


初代ゴジラの正統なリブート作品で、「現代の日本にゴジラが現れたら?」という主眼で作られており、当たり前の日常が潰されていく「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」をテーマに政治風刺を挟みながらポリティカルフィクションが前面に押し出された。

こういった系統の映画自体が珍しく、

怪獣アクションが少なさ、人間ドラマの少なさ、政治絡みなどで多方面に賛否が分かる点でもある。


初代ゴジラは戦争と原爆投下が背景にあるが、もちろん今作は3.11、福島原発事故を背景としており、現実と虚構が入り混じっていく感覚など今だからこそ描けた象徴的なゴジラ作品と言える。


「君の名は。」(コミックス・ウェーブ・フィルム)監督:新海誠

「君の名は。」は新海誠監督が製作委員会方式で初めて作った映画。

東宝単独制作のゴジラと何もかも正反対で、シン・ゴジラで排除された恋愛要素が中心。

しかし、シン・ゴジラが地震と原発事故の暗喩だったのに対して、

こちらも隕石墜落(津波の暗喩)という天災を重要なテーマとしている。


入れ替わり物自体は以前から繰り返されてきたものだし、SF要素も深くない。

SF考証や映画としての新しさという点ではシン・ゴジラに軍配が上がるものの、男と女や都会と田舎という対比がうまく表現されており、両者を繋ぐものとして最新ツールのスマホ、伝統工芸品の組紐などアイテムの使い方がスマートだった。

今の若者に受け入れやすいストーリー、キャッチーな娯楽要素と新海誠ならではの美しい映像表現のバランスがよく結果としては宮崎駿の「もののけ姫」「ハウルの動く城」を越え、邦画の歴代興行収入2位にまで上り詰めた。

海外でも大ヒットで一気にポスト宮崎レースの先頭に躍り出た。

個人的には細田守との違いがもっと出ることを期待。

岐阜県飛騨地方の町興しの側面もある。


「聲の形」(京都アニメーション)監督:山田尚子

ゼロ年代の代表作品「ハルヒ」を制作した京都アニメーションの劇場作品。

監督はけいおん!で知られる山田尚子。

タイミング的には「君の名は」と若干かぶってしまったとは言え、こちらもヒット。


ディスコミュニケーション(相互不理解)をテーマとしており、聴覚障害を持つ人との心の交流を描く。

女性ならではの繊細な心象描写が京アニの技術で見事に表現されている。


ゼロ年代の特徴であった空気系は何気ない小さい世界を描いてきたが、それは引きこもりなどのコミュニケーション不全な世相を表していた。

スマホの流通とSNSの発達などで匿名でのやり取りも広まり、そういった背景ならではの社会問題も現れてきた。

震災を機に「絆」など心の繋がりがフィーチャーされたこともあって、そういった問題に対して疑問を投げかける意欲作。

こちらも何故か岐阜県大垣市が舞台・・・


「この世界の片隅に」(MAPPA)監督:片渕須直

「この世界の片隅に」はクラウドファンディング体制で作られるなど異色な作品。

監督は宮崎駿とも繋がりのあるベテランの片渕須直。

戦時下の暮らしを描いているものの何故かよく笑える映画。

主人公の身にも辛く苦しい戦争の影が襲うがそれでも明日が訪れ、季節は巡り、毎日を暮らし続けていく、心の強さが戦災や災害を乗り越えるものだと訴えているようだ。


現在の世界では個人主義が横行し、国と自分、お隣さんと自分、家族と自分に至るまで分離していますが当時は一緒だったのだと感じることもできる。

戦争は天気と同じで、そんなものに左右されない人々の生活をテーマにしているという意味では最強の空気系と言えるのではないか?

シン・ゴジラも最終的にゴジラとの共存という結末だったように、3.11を経験し、中国や北朝鮮という周辺国の脅威にさらされる日本人に訴えかける部分がある。

広島、呉はもっと宣伝するべきw


以上、やはりどれも旧態(日常系空気系)の打破という側面が見て取れる。

内なる大震災、外なる中国。

厳しい現実に衝突した時、人々はどう動くのか?

行政の立場で描いたのが「シン・ゴジラ」

一人の主婦の立場で描いた「この世界の片隅に」

そして、分かり合えない他者との繋がりを描いた「聲の形」

恋愛をベースにしながらも長い時と運命の繋がりを描いた「君の名は」

宮崎駿の長編引退宣言から3年。

間違いなく2016年はアニメ史に残る重要な年だが、これらは全て劇場作品である。

「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」「ハルヒ」のブームの流れを重視するならテレビ作品でなければならない。


一方のテレビ作品はというと「リゼロ」や「おそ松さん」、「僕だけがいない街」などの話題作はあったものの、作品本数が業界全体のキャパシティを越え、俗に言う10月クライシスが発生。

老舗の制作会社スタジオ・ファンタジアの倒産や放送中止、制作中断が相次いだ。

以前からアニメーターの劣悪な制作環境や業界の危機は語られてきたものの、ついに目に見える形になってきたと言える。

2016年のアニメは劇場とテレビで明暗が分かれた年と言えるかもしれない。


宮崎の不在という穴を埋めるべく、アニメは再び劇場に舞台を移すのか?

それともテレビアニメの再起が起こるのか?

あらゆる点で2016年がアニメ史のターニングポイントになる気がする。


(2017年4月19日追記)

昨年11月に放送された「NHKスペシャル 終わらない人 宮崎駿」で復帰に意欲を見せた宮崎駿が、ついに長編映画復帰を発表。

2016年のアニメ映画のヒット連発が復帰を後押しした事は想像に固くない。

テレビでは背景を手書き、人物を3DCGで描く独特な手法の「けものフレンズ」がヒットし、劇場ではヱヴァ新劇場版完結、宮崎新作アニメを控え、ますます見逃せない状況となっている。

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ゼロ年代~テン年代のアニメ史考察 川上漫二郎 @k_manjiro

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