第3話

 すっかり夜になった頃、私は店のドアを開いた。聞きなれた鈴の音が鳴り響く。

 今日はいつもより人が多い。出来てまだ日が浅い店の常連達が集っている。

 店の一画には、即席の小さなステージが用意されていた。照明の真下にくるように椅子がポツンと一つ。テーブル席から少し離れた場所で、いかにもと言った空間がそこに出来ている。

 観客とは、これくらい近い距離感が私には丁度良いかな。そう思いながらレジの傍に背負っていたアコギを降ろした。

「遅いですよぉ。もうすぐ時間ですよ」

 エプロンを着けた紗枝ちゃんがキッチンから私の元へやってくる。ごめんごめんと軽く謝って頭をポンとかるく撫でてあげると、彼女は嬉しそうに笑った。

「なんかお客さんの入りが結構良くて、私の方が緊張してます」

 何でよ。思わず苦笑する。

 退職する店のスタッフがライブを行うので来て欲しい、と言った告知は少し前からくしさんの手によってなされていた。どうせ身内だけがあつまる事になるんだろうと思っていたが、意外と皆、興味を持ってくれていたらしい。

「これがみやこさんのギターですか」

 ギグケースを紗枝ちゃんが興味津々と言った感じに眺める。実家の押入れに眠っていたやつで、弦の張替えやネック調整からしなければならなかったので少し面倒だった。都心にいた時はずっとエレキギターを使っていたので、エレキアコースティックギターはあまり使う事がなかった。

「何年くらいギターやってるんですか?」

 十年くらいだろうか。趣味だけれど、随分長い事続いている。

「すごい長いですね。じゃあ、なんでも弾けちゃうんだ」

 そんなわけない。十年続けたっていまだに課題ばかりが目につく。

「そうなんですか……。すいません。私、音楽とか全然分からなくて。それで、今日は一体誰の曲を弾くんですか?」

 誰の曲か、と言えば、私の曲と言う事になる。

「え、じゃあオリジナル?」

 そう言う事。

「すっごい、自分で曲作っちゃうんだ、みやこさん」

 紗枝ちゃんは目を大きく見開き、キラキラさせながら私を見つめてくる。興味がないけれど、とりあえず話を盛り上げるための社交辞令……と言う反応でない事はそれだけで分かった。故に鼻の辺りがなんだかむず痒くなる。こんな素直な反応をされるのはひさしぶりかもしれない。ついつい鼻っ柱が伸びそうになるのを自分でへし折っておく。でも悪い気はしない。

「どんな曲なんですか?」

 それは本番のお楽しみと言う事で。

 自分の曲についてなんて語りたくなかったので誤魔化すと「ちぇっ、ケチー」と言うお言葉だけいただいた。

「すいません、注文」

「あ、ごめんなさい。ただいまー」

 客の声にパタパタと慌てて駆けて行く紗枝ちゃん。見ていて動きに飽きがこない。

「みやこさんもああ言うタイプにはたじたじなのね」

 面白そうにこっちを覗き込みながらくしさんが姿を現す。私はふいと視線を逸らせた。それを見てまたくしさんは面白そうに笑う。

「そう言えばお兄さんは?」

 言われてはたと気付く。公園を出るまでは一緒だったのだが、いつの間にやら姿が見えなくなっていた。まあもう少ししたら姿を見せるとは思うが。気まぐれなのだ。よく言うと自由人。悪く言うと自分勝手。

「まぁ、そこが良いとこでもあるんだから」

 たぶんくしさんにとって兄の悪いところなんてどこにもないだろう。

「でも良かった」

 何が。

「みやこさんのギター、聴ける機会ないと思ってたから」

 そんなに重宝されるようなものでもない。

「引っ越しても、ギターは続けるの?」

 私は頷いた。それだけは自分の中で絶対に歪まないと思う。バンドを組もうが、組まなからろうが、この身一つとギターされあれば私は自分を表現できる。

「みやこさんにとってギターってそんなに大事な物なのね」

 多分私にとってギターは、ライフワークに近い。生きるための手段の一つで、とはいえ、なくてもきっとどうにでもなるんだろうけれど、簡単には切り離せないほど私の生活の深い部分まで馴染んでしまっている。そんな代物だ。

「今日の曲、何かテーマとかあるの?」

 テーマか。少し考えてみる。あえて言うとしたら『鎮魂』だろうか。

「鎮魂?」物騒な例えにくしさんは眉を潜める。「一体誰の?」

 その問いに私はさて、と首をかしげて誤魔化した。

 過去の自分への鎮魂曲。

 なんて、恥ずかしくてとても言えない。

「みやこさん、そろそろ弾いてくださいよ。お客さんも待ってますよ」

 いつの間にかオーダーを取り終えて料理にかかっていた紗枝ちゃんがキッチンから顔を見せる。私は軽く頷くとグッと伸びをした。

 何となく、ここでの演奏は人生の一区切りになりそうな気がする。

 用意されたステージには椅子が一脚。私はその上に座り、静かにチューニングを行う。小さいアンプは前もって私が持ってきておいたものだ。シールドを繋ぎ、音が出るようにする。

 客席から静かにこちらの様子を眺める人たちは、どこか見覚えがあるような、ないような。よく見ると笹やんとすすむの姿もあった。全く気付かなかった。あとで話すとしよう。

くしさんの口ぶりからは、ここにいる皆が常連で、きっと彼女とも親しくしている事がわかるのだが、いまいちピンとこない。こうしてみるとこの数ヶ月、自分には周りを見る余裕が全くなかったのだと気がついた。

 軽くフレーズを弾くと、店内の照明が少し落ちた。後ろの方で紗枝ちゃんが親指をグッと立てている。気をきかせて行ったのだろう。余計な事を。

 私はそっと溜息を吐くと、自分に笑みが浮かんでいる事に気がついた。

 ああ、そうか。

 嬉しいんだ、きっと。

 私が頭を下げると、客席から静かな拍手が起こる。それを合図に、私は演奏を開始した。

 奏でるギターの旋律は細やかな運指でもすらすら伸びてゆく。

 この街に戻って来たとき、夕陽が鮮やかに伸びたあの景色を思い出す。宵の色に染まる空には燦然と星たちが輝き、色々なものが浄化されていく。風が辛かった事を洗い流し、冷たい空気が体内に入り込み、胃の辺りにある暗澹とした感情を入れ替えてくれる。それはいつしか忘れてしまっていた感情を私に芽生えさせる。

 故郷に帰って来たという、懐かしさだ。

 懐かしいなんて、そういえばずっと思った記憶がなかった。

 子供の頃、きっと知らない間に私たちは安心感に包まれていた。故郷にある空気は、そこで生まれた人間を優しく包み込んでくれた。

 そしてそれは、大人になると懐かしさへと姿を変えるんじゃないだろうか。


 駄目だったらまたやり直せば良い。

 辛かったらしばらく休めば良い。


 焦る必要はない。

 途切れない道のりなんだから、ゆっくり歩けば良い。


 だから大丈夫。私は大丈夫。


 裏口から入ったであろう兄が、キッチンにいるくしさんの隣でこちらを見ていた。

 ふと目があう。

 そう。

 人生は私が思っているより圧倒的に難しいし、ちょろい。


 一年が経った。

 都心から離れた静かなアパートで、私は一人暮らしをしている。

 新しく始めた仕事にもようやく慣れてきていて、休みの日にはたまに弾き語りに出かけたりする余裕も生まれた。

 ベランダから見える川辺には桜の木々が花開いている。

 青く広がった空を眺めながら、私はぐっと伸びをして先ほど届いた手紙を見つめた。

 今度兄が結婚すると言う。

 相手は言わずもがな。

 近々実家にも顔を見せなければなさそうだ。

 私は窓を開いた。緩やかな風が流れ込み、桜の花びらが舞い踊る。

 スタンドにかけてあったギターを手に取ると、私はあの日弾いた曲を爪弾いた。

 なんだか妙に気分が良い。

 陽の光を体中に浴びながら、私は静かに目を瞑った。この演奏が終われば、あの日再び始めた手記を久々に書こうと思う。内容はこうだ。

 このちっぽけな世界の端っこで、今日も私はそれなりにやっている。


──了

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