第2話 詩的ではない
二 詩的ではない
それはあとからわかったことではあったが、青眼の猫は耳の聞こえがよくないらしい。ソーダという妙な名前のこの猫は、呼んでも振り向かなかったし、大きな音にも知らん顔していた。
「おいソーダ、昼飯だ」
きのうは味噌汁を飯にぶっかけて猫まんまというやつを作ってみたが、ソーダはほとんど食べずに、ぷいとそっぽを向いた。むしろおれが食っていたうどんに興味を示してすり寄ってきたので、試しに与えてみると喜んで食いやがる。うどんを食う猫の仕草がなんだかオモシロかったので、つい何本もやってしまった。そのせいで腹が満たされず、仕方なしにソーダの残した猫まんまをおれが食った。くそ、どっちが飼い主なんだ。
「ほら、食え」
うどんが好きならそうめんも好きだろう。今日はそうめんを多めにゆでて、ソーダのぶんは短く切ってやった。
「どうだ、うまいか」
ソーダの奴は皿に顔を突っ込んで、夢中で食った。器用に皿からこぼさない。ときどきこちらを上目でうかがう。青と茶色の目。青い方の目は透きとおっていて、たしかにソーダ水のようだった。それでソーダという名前なのだろう。
預かって二日目だが、猫というのはおれの想像に反して、まるで詩的ではない。おれは猫というのはもっとデカダンス的なものだと思っていた。クールで小悪魔めいておれを惑わす、そういう幻想を抱いていたのだが、どうも違う。
そもそもソーダの奴は雄だけれども、雌雄の問題でなく、こいつはちっとも詩的ではない。飯をねだっているのか、にゃあにゃあよく鳴く。しゃべるように鳴くし、合間に品のないくしゃみをする。カーテンをひっかく。クールからはほど遠い。
そうめんを食いながら横目でソーダをにらんでいると、奴もこちらを向いた。そして、さっさと食って小説を書いちまいなとでも言うように、げえっとげっぷした。まったく散文的な猫である。
小説は停滞していた。八月締め切りの賞に出すつもりだが、この調子では間に合いそうにない。
どうも集中力が減退している。昔は筆がのれば寝食を忘れて取り組んでいたものだったが、今はまるでだめだ。徹夜なんてしようものなら、そのあと二日ぐらい眠気や腰痛をひきずって、かえって執筆速度が落ちる。体力があった頃は時間がなく、時間がある今は体力がない。それどころか、一度筆が止まってしまうと、今までおれはどういう動機で小説を書いていたのだかそれすらもわからなくなって、ますます袋小路だ。
気晴らしに、フリーペーパーの占いページを片付けることにした。締め切りはまだ先だが、とりあえず書けるものを書いていれば、じねんと筆も乗ってくるかもしれない。
おれはフリーペーパー『雑紙』の占いコーナーを、もう二年も担当している。
『雑紙』は雑司が谷周辺の情報を載せている冊子で、カフェや雑貨店などに置かれている。友人の竹宇地が編集をやっていて、占いライターの仕事を紹介してくれた。本当は連載小説を載せてもらいたかったのだが、企画が通らないらしい。まあいい。くだらない占いページでもマジメに取り組み続ければ、いつか何かに拾ってもらえるかもしれない。
『マダム三毛子の今夜も眠れない
今月のハッピーさんは、うお座のアナタよ。パン屋に行けばちょうどカレーパンが揚げたて、そんなグッドタイミングな日々。カロリーは気にせず食べていいわ。活動的になれる時期だから、むしろ体はシュッとするわよ。鬼子母神の手創り市に出かけると、素敵な掘り出し物と出会えそう。ベルトと財布のひもは緩めるべき時!
ラッキースポット ふくろうラーメン』
言うまでもないことだが、おれは占い師ではない、でっちあげているだけだ。と言ってもこれは、三毛子という女が呑んだくれてしゃべり散らかすという設定のもので、紙面上も占い師の言葉としては書いていないから、一応嘘はついていない。
じっさいのページには、三毛子のイラストが添えられる。三毛子は猫の姿をしていて、派手なドレスを着ている。かわいらしいようなグロテスクなような、妙なイラストだ。ご丁寧にも毎号、毛色やドレスの柄が変わる。三毛子という名だが、シャム猫やトラ縞に描かれたりする。どういう人物が描いてるのだか知らない。
さて、今月も好き放題書いてちょっとスッキリした。この調子で小説も進めよう、と思ったところで、電話がかかってきた。
「もしもし鶴森くん? 今大丈夫?」
電話の主は竹宇地だった。
「竹宇地か。ちょうど『マダム三毛子』の原稿をやっていたところだ」
「えっ、もう書いたの。早いね。まだ締め切りまでずいぶんあるのに」
竹宇地は驚いた声で言った。
「まあな。占いくらいすぐ書ける。だから、別の企画もまわしてもらって構わんぞ。なんなら前から言っていた、連載小説だって構わないんだ」
「あはは、小説かあ……。うん、そういうのもあっても良いかもしれないけどね……」
電話の向こう、竹宇地の声がくぐもる。あまり良くないニュースの気配を察知した。
「何か、あったか」
こういうときは駆け引きなしにさっさと聞くことにしている。竹宇地とは学生の頃からの付き合いだ、お互い遠慮はいらない。
「……あのね、『雑紙』、来月で廃刊になるんだ」
「えっ?」
控えめに言って、腰を抜かしそうになった。あちこちに置いてあったし、それなりに人気があると思っていた。
「や、読み物としては面白いんだけどね、タウンペーパー自体がもう流行らないっていうか……。広告出したいってお店も少ないし、クーポン系はとっくにウェブに移行してるしね……」
竹宇地が言うには、広告収入に対して印刷のコストが見合わないというのが大きな理由らしい。
「じゃあ竹宇地、お前失業するのか」
「まさか。会社は『雑紙』のほかにもいろんな編集をやってるもの」
「そうか」
となると仕事を失うのは、おれだけのようである。
「鶴森くんには、いつもキチンと原稿仕上げてもらってたから、急にこんなことになっちゃって、本当申し訳ないんだけど……」
「いや、仕方ないさ」
「おれ今度、コスプレ情報誌に移るんだけど、よかったら鶴森くん何か書かない? 乙女ロード中心に置く情報誌なんだけど、コスプレイベントレポとか、執事喫茶ガイドとか」
コスプレ。執事。
「……いや、遠慮しておく。そういうの、おれより得意な奴も書きたい奴もたくさんいるだろう」
「だよね。ごめん。また何かあったら連絡するよ」
そういうわけで、おれは本当の失業者になってしまった。これで文章の仕事はまるきりゼロだ。
ふと隣を見れば、腹一杯になったのか、ソーダが丸くなって眠っていた。散文的な猫を抱えて、散文すら書かなくて良いと言われてしまったおれ。食べかけのそうめんは、すっかりのびてしまった。
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