姉
沙鳥蔦羽は、教室で僕の斜め前の席に座っている女子だ。
そして、付け加えるなら、沙鳥と僕は頭の中で念じるだけで言葉のやり取りができる「テレパス」と呼ばれるタイプの能力者でもある。
沙鳥はその能力で、授業中にもかかわらず、僕にどうでもいいテレパシーを送って話しかけてくる。特に自分が得意としていて、あまり真剣に授業を聞かなくてもいい英語の時間が多い。
つまり、今は沙鳥が話しかけてくる可能性が高い。沙鳥はたいてい「芯条くん、芯条くん」と僕の名を突然呼んでくる。今日も、そろそろ来るだろう。
〝芯条さん、芯条さん〟
予想と違った。
なぜか「さんづけ」で、妙に大人しいトーンで話しかけてきている。何を企んでいるんだ。
〝おや、いらっしゃらないのですか。芯条さん?〟
不穏なものを感じた僕は取り合わないことにした。授業に集中しよう。
〝芯条さま?〟
敬意の度合いを増やされても取り合わない。
〝芯条閣下?〟
貴族みたいにされても取り合わない。
〝サー芯条?〟
ナイトみたいにされても取り合わない。
〝サー条?〟
〝まぜるなよ〟
僕が思わず念を返すと、沙鳥から念が戻ってきた。
〝おや、やはりいらっしゃったのですね。いや、いらっしゃったのですのよ〟
ですのよ?
〝でも残念でした、芯条さん。わたくしは沙鳥ではありませんですのよ〟
確かに普段の沙鳥とはなんだか話し方が違うけど、間違いなく沙鳥の声だし、斜め前の席に座っているのも沙鳥だ。別人であるはずがない。
〝沙鳥じゃないなら、誰なの?〟
〝うふふ、です。はじめまして、芯条さん。わたくしは沙鳥の双子の姉ですのよ〟
〝双子の姉?〟
双子の姉がいるなんて話は、これまで聞いたことがない。
〝そうです。いえ、そうですのよ〟
いちいち普段の語尾から言い直しているあたり、やっぱり正真正銘いつもの沙鳥だ。そもそも、
〝双子のお姉さんなら、沙鳥は沙鳥じゃないんですか〟
苗字は一緒だろう。
〝おっとです。それもそうですのよですね。沙鳥ではありますですのよ〟
まどろっこしい。
〝お姉さんはなんて名前なんですか〟
〝えー、妹がツタハなので、わたくしはチタハですのよ〟
絶対に今決めた。
〝血液の『血』に、多数決の『多』に、刃物の『刃』で『血多刃』ですのよ〟
〝ヤンキー漫画みたいな字ヅラだな〟
〝今日は妹の振りをして、この余所見中学校に潜入しているのですのよ〟
字ヅラに反して上品な姉だ。
〝なんのためにそんなことを?〟
〝二人で入れ替わって、お互いの生活を体験してみようという試みなのですのよ〟
きっと、そんな漫画かドラマでも見たのだろう。
〝漫画などでよくある展開ですのよ〟
やっぱり。
〝チタハさんは、普段どこに通っているんですか?〟
〝普段ですか? そうですのよですね〟
やや間があって、念が返ってきた。
〝
〝裏余所見?〟
〝ええ〟
〝どこにあるんですか?〟
〝余所見中の地下奥深くにあります、と言われていますのよ〟
なんで伝聞なんだ。
〝余所見中を光とするなら、裏余所見中はそう……物陰の存在〟
〝影でよくないですか?〟
〝決して表に出ることのない、日陰の存在ですのよ〟
〝物陰じゃないんですか?〟
〝日陰であり、さらに物陰でもあるのですのよ。つまり、影と影が重なりあうことで、より色濃く深い影となり、光をも覆い尽くしてしまうのですか?〟
〝僕に聞かれても〟
あまり設定は固まってないみたいだ。
〝裏余所見中学校では、どんなことを学んでいるんですか?〟
〝裏余所見の子供達は、鉛筆のかわりに一本のナイフを渡され、森の中に放りだされますのよ〟
暗殺者でも育てているのか。
〝そうして、そのナイフを使い、先生から教わったことを、手ごろな木の板に刻んでいくのですのよ〟
使い方はペン。
〝サバイバルで狩りを学ぶとかじゃないんですね〟
〝ええ。森の動物たちは大切な友達です。じゅるる〟
〝友達らしからぬ擬音が聞こえたけど〟
〝わたくしのことはいいのよですのよ。それよりも、姉の話ですのよです〟
〝姉は自分じゃないんですか?〟
設定の甘さが垣間見える。
〝双子というものは、ときに姉だったり、ときに妹だったりするものですのよ〟
そんな双子あるあるは、一度も聴いたことがない。
〝日によっては曾祖母だったり、またいとこだったりもするときもあるのです。それが双子というものですのよ〟
違うと思いますのよ。
〝それはさておき芯条くんさん〟
くんさん。
〝ツタハは、ぶっちゃけどうですのよ?〟
〝どうって?〟
〝どんな感じですのよ?〟
と、言われても。
〝まあ、元気にやってると思いますけど〟
たとえば今、授業をまったく聞かずに、ふざけた芝居を続けられるくらいには元気だ。
〝ツタハが元気モリモリなのはわかっていますですのよ〟
モリモリというほどではない。
〝芯条くんさん的にはどうですのよ?〟
〝僕的に?〟
と、言われても。
〝どうですか、ツタハは?〟
どうって……。まあ、授業中やたら話しかけてきてうるさいなとは思っているけど、沙鳥は――
〝友達だけど〟
とりあえず、それ以外に言いようがない。
〝そんなことは聞いていませんですのよ〟
聞いてないんかい。
〝からみやすいですか?〟
〝からみ?〟
〝姉としては、心配ですのよ。ツタハがうまく回せているか〟
〝回す?〟
〝メインMCとして、トークを回せていますか〟
〝だったら、回してはいません〟
乱してはいるけど。
〝それは少し残念ですのよですのよ。家では家族のフリートークを一人で圧倒的に支配する、ぶん回しMCですのよですのに〟
そんな沙鳥は知らない。
〝沙鳥は、家でどんな感じなんですか?〟
〝……それはわたくしのことですか、それともツタハですか?〟
〝ツタハの方です〟
一緒だけど。
〝妹は、家にいる時は基本、静かに目を閉じて、祈りを捧げています〟
なぜそんな嘘をつく。
〝世界が平和になるようにと〟
善人アピールをしたいようだ。
〝いつだって祈っているのです。それはもう、寝食を忘れるほどに……。そう、だから彼女は、教室でよく眠っているのですのよ〟
単に怠けてるだけだろ。
〝でもそれじゃ、家族のトークを全然回してないじゃないですか〟
さっきと話が違う。
〝ちっ、鋭い小僧め、ですのよ〟
姉にも妹と同じ口癖があるらしい。
〝祈りながらも回すのです。目を閉じているようで実は薄目をあけていて、まだ発言していない人には、積極的に話を振るのです〟
感じはよくないな。
〝だから、芯条さん。ツタハにエピソードトークを振られた時のために、用意しておいた方がいいですのよ〟
〝エピソードトーク?〟
〝きっと名MCのツタハは、芯条さんがうまく広げられそうなトークテーマを振ってくると思いますですので〟
〝例えば?〟
〝例えばですね。『外科手術でトホホな大失敗』〟
あったとしても、そんなファニーにする話じゃないだろ。
〝それから、『エネルギー問題を解決した話』〟
その話ができるならノーベル賞が取れる。
〝あとは、『宇宙の始まりの思い出』
ひな壇に神々が座っていた。
〝こんなところですかねですのよ〟
〝とりあえず、どれもまったく持ち合わせてないので今の三つ以外がいいと沙鳥に言っといてください〟
〝かしこまりましたですのよ〟
あ。そうじゃなかった。
〝いや、ていうかそもそも、別にテーマトークする気ないです〟
〝妹の腕を信じなさいですのよ〟
そこでチャイムが鳴った。
僕はいつものように、ノートに写し損ねた黒板の英文を、先生が消していくのを虚しく眺めた。
〝それでは、わたくしはそろそろ、暗黒余所見中学校に帰ります〟
〝だいぶ闇深くなりましたね〟
〝芯条さん。名残惜しくありませんかですのよ?〟
〝全然です〟
僕はきっぱりと言った。
〝いつもの沙鳥の方がいいです〟
こんなまどろっこしい喋り方をする人よりかは。
〝うふふ、ですのよ。妹に伝えておきますのですのよ〟
自称沙鳥姉のテレパシーはそれきり途絶えた。
休み時間が終わる。
授業のあと教室の外へ出ていた沙鳥は、自分の席に戻ってきて座るなり、ひとりごとをつぶやいた。もちろんテレパシーで。
〝いつもの沙鳥です〟
わざわざ自己紹介した。
〝ふう、です。やはり、表余所見は明るいです〟
地下から帰ってきた設定らしい。
〝姉のわがままも困ったものです。……向こうが姉ですよね?〟
相変わらずブレてはいるけど。
〝さてさて、芯条くん〟
〝なんだよ、いつもの沙鳥〟
〝さきほどは義理の姉がお世話になりました〟
〝義理だったんだ〟
複雑な背景があるらしい。
〝姉に聞いたんですが、芯条くんはエピソードトークを持っているそうですね〟
予告どおりだった。
さっきの調子だと、きっと誰もが黙ってしまうトークテーマが飛んでくる。まあ、なんであれ別に話すつもりもないからいいんだけど。
〝それでは、まいりましょう。トークテーマは――〟
〝――『厄介な人の話』〟
それなら、一日中しゃべれる。
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