動画

 僕らは、たった二文字の言葉を書くのに手こずっていた。


 美術の授業。好きな漢字を二つ選んで、明朝体とゴシック体で、それぞれレタリングしなくてはならない。キーボードがあれば1秒とかからない作業を、手間をかけてやっている。


 僕は「集中」という二文字を選んだ。集中して、集中を書く。


 まずは書体の枠線を引く。この線がブレたりズレたりすれば、出来上がりが不格好になる。僕は定規をしっかりと固定した。


〝芯条くん〟


 僕の頭の中に声が聞こえる。クラスメイトの女子、沙鳥の声だ。


 僕と沙鳥は頭の中で念じるだけで言葉のやり取りができる。いわゆる、テレパスってやつなのだ。


 教室じゃなくて美術室だから、沙鳥はいつもの斜め前の席ではなく、隣の班のテーブルにいた。僕とちょうど背中合わせになっている。


〝芯条くん、芯条くんってば〟


 ここで反応して気が散れば、綺麗な線が引けなくなる。僕は沙鳥の呼びかけを無視して、鉛筆を手に取った。


〝芯条くん、いかがです?〟


 僕は、気にせず芯の先を定規に当てた。


〝嫁にほしいですか?〟


 定規を支えている手がずれて、線がぐにゃりと曲がった。


〝何の話だよ〟


 反応せざるを得なかった。


〝「女の家」と書いて嫁です〟


〝それはわかるけど〟


〝不思議です。「女の家」と言うと、むしろ嫁というより、浮気相手さんの家のようですね〟


〝浮気相手を敬うなよ〟


 嫁は呼び捨てなのに。


〝で、嫁にほしいってなんだよ〟


 僕は曲がってしまった線を消しゴムで消しながら尋ねた。


〝さきほどの念、届いていませんか?〟


〝さきほどの念?〟


〝芯条くんにイメージを送ったのです。画像データです〟


〝……念で画像を送ったの?〟


〝そうです〟


〝念で送られても、届かないよ〟


 僕らのテレパシーでできるのは、言葉のやり取りだけだ。


〝課金しても無理ですか?〟


〝誰に〟


 僕らはアプリでテレパシーをしているわけじゃない。


〝残念です。思わず嫁にしたくなるような、可愛いニャアちゃんのイメージだったのですが〟


〝ニャアちゃんって何?〟


〝ニャアと鳴くからニャアちゃんです。ワンちゃん、ウサちゃんと同じ仕組みです〟


〝ウサギはウサって鳴かないけど〟


 決して。


〝昨日、親戚の家に遊びにいったら、外に可愛いニャアちゃんがいたのです。あまりにも可愛かったので、芯条くんにも見てもらおうと思ったのです〟


〝送るにしても、念じゃなくて写真にしてくれ〟


 まだテレパスには画像添付の機能がない。


〝わかりました。動画にします〟


〝なんでもいいけど〟


〝この際です。動画にしてアップしましょう〟


〝どこに〟


〝某有名動画投稿アプリです〟


〝なんでボカすんだよ〟


〝名前を、モ忘れしました〟


〝ドな〟


 ド忘れをド忘れする沙鳥。


〝芯条くんだけに見てもらうのも、もったいないです。有名動画投稿アプリで、可愛いニャアちゃんの姿を、まだニャアちゃんを知らない世の人々に広めましょう〟


 広まるかなあ。猫が可愛い動画、すごく世にあふれていそうだ。可愛いけど。


〝たとえば、お鍋の中でニャアちゃんが寝ているような、斬新な可愛い動画です〟


 ものすごく世にあふれていそうだ。可愛いけど。


〝いいことを思いつきました。ニャアちゃんを有名動画投稿アプラーとしてデビューさせるのです〟


〝有名動画投稿アプラーって何?〟


〝略してユートーラーです〟


 言葉のリズムは合っていた。


〝ユートーラーにしてどうするの?〟


〝私、見たことがあります。ユートーラーさんは、お菓子を作っている会社さんから、お菓子がもらえたりするのです〟


 たしかに、企業から贈られてきた新商品のお菓子を食べたりしているのを、見たことがある。


〝つまり、です。ニャアちゃんをユートーラーにすれば、美味しいお菓子が自動的に私のもとに集まるのです。じゅるじゅる〟


 脳内ヨダレを流す沙鳥。


 猫あてに人のお菓子が贈られてくるかなあ。来てもキャットフードじゃないだろうか。


〝これは忙しくなってきましたよ、芯条くん。ニャアちゃん公式チャンネル開設です。チャンネル名は……〟


 「ニャアちゃんねる」かな。


〝「ニャアニャア・バードチャンネル」で決まりです〟


〝自分が前面に出てないか〟


 どこから鳥が出てきたんだ。


〝さあ、ユートーラー計画のアイディアを一緒に考えましょう〟


〝勝手にやってくれ〟


 僕はレタリングに集中したい。


〝どうしてです? 会員数九十七万二千人を目指しましょう〟


〝妙に具体的だな〟


〝百万は難しいかと思いまして、行けそうなラインを刻みました〟


〝そこまで行けるなら目指そうよ〟


〝目指そうと言いましたね。わかりました。一緒に目指そうなのです〟


 しまった。口車、いや、念車に乗せられてしまった。


〝動画といえばあれです。「〇〇してもうた」ってやつです〟


 西。


〝「してみた」だよ〟


〝それです。なるべくたくさん再生してもらえる「してみた」を考えましょう〟


 勝手にがんばってくれ。


〝これはどうですか。「コーラにニャアちゃん入れてみた」〟


 なぜ。


〝だめだよ〟


〝コーラに何かを入れる動画が基本と聞いています〟


〝入れるものは決まってるんだよ〟


 ニャアちゃんは入れちゃだめだ。


〝では、これはどうです? 「ニャアちゃんがヘリウムガスを吸ってみた」〟


〝それも危ないな〟


 動物にさせないほうがいい。


〝ドボンされてしまいます?〟


〝……BANかな〟


 よくわかったな僕。


〝それでは、これはどうです? 「ニャアちゃんが福袋ながめてみた」〟


〝開けなよ〟


 袋なのだから。


〝ニャアちゃんには開けられません〟


 袋だからな。


〝むむむ、です。なかなかいいのが思いつきませんね……。芯条くんは、どうすればよいと思います?〟


〝あきらめてほしい〟


 なぜなら授業に集中したいから。


〝あきらめてなるものですか。有名ユートーラーになって、お菓子をもらうのです〟


〝有名かぶってない?〟


 有名有名動画投稿アプラー。


〝なんとしても再生回数を伸ばさなくてはなりません。手段を選んでいる場合ではないのです〟


 いつになくやる気の沙鳥。


〝芯条くん。炎上って、すごく話題になりますよね〟


 沙鳥がよくない思想に走りだした。


〝ここはひとつ、炎上系にシフトしましょう〟


 さっきのコーラが、じゅうぶん炎上案件だったけど。


〝まずはこれです。「スーパーでお会計前のお刺身、勝手に――」〟


 よくない。それはよくない。


〝「――作った時間の順に並べてみた」〟


〝ただのバイトの仕事じゃない?〟


〝その通りです。バイトさんのお仕事をなくしてしまうのです。職を奪うという悪の所業です〟


 むしろ律儀な客だ。


〝つーか、ニャアちゃんはどこにいったの?〟


〝何を言っているんですか、芯条くん。食べものの売り場に動物を連れて来るなんて非常識です〟


 炎上したい人の発言とは思えない。


〝それから、これです。「【激白】あの有名人の弟、ニャアちゃんが不倫報道の真相を語る!」〟


〝絶対嘘じゃんか〟


 人の弟は人だ。


〝嘘でよいのです。タイトルでひきつけて、再生させてしまえばそれでよいのです。クックックッ、です〟


 非道。


〝……で、何を語るの?〟


〝ニャアちゃんがただニャアニャア言っているのを、見た人が各々で解釈するという手の込んだ動画です〟


 込んでない。


〝それじゃタイトルだけ見て再生した人怒るよ〟


〝そうしたら、次の動画でニャアちゃんが謝ります。すると今度は謝罪動画をきっかけにニャアちゃんを知った人が集まり、さらに登録者数が増えるのです。クックックッです〟


 いよいよ沙鳥は変わってしまった。自分の欲のために、平気で人の心を踏みにじるようになってしまった……。


 いやまあ、もともと他人をかえりみないところはあるんだけど。


〝クックック、クックックッです――〟


 くぐもった笑い声を何度か上げると、沙鳥は急に押し黙った。


〝……虚しいです〟


〝急にどうしたの?〟


〝私はただ、ニャアちゃんの可愛いところを見てほしかっただけなのに……。いつのまにか、再生回数を増やすことが目的になっていました。手段が目的にすりかわっていたのです〟


 改心して仲間になる悪の手先みたいなことを言い出す沙鳥。


〝私もニャアちゃんも、大事なものを失いかけていました。人として大事な何かを……〟


〝ニャアちゃんは人じゃないけど〟


〝大事な何か――そう。炎上で話題になっても、企業からお菓子がもらえないという真理〟


〝そこかよ〟


〝「ニャアニャア・バードチャンネル」は閉鎖です〟


 まだ開設もしてない。


〝原点に立ち返りましょう。ニャアちゃんがお鍋の中で寝ている動画を、見てほしい人に見てもらいます〟


〝それでいいよ〟


 一番平和だ。



 そこで、チャイムが鳴った。



 一応完成はしたけど、沙鳥に心を乱された僕のレタリングは、枠線が斜めにズレていて、太さのバランスも悪かった。これでは、いい評価はもらえそうにない。書いた二文字が「集中」というのが、なんだか皮肉めいていた。


 そういえば、沙鳥は何の字を選んだんだろう。


〝沙鳥、ちゃんとレタリングできた?〟


〝完璧です〟


 見栄を張っているようだけど、沙鳥は変なところで意外と器用な時がある。本当に完璧にこなしたのかもしれない。


〝字は何にしたの?〟


〝ニャアちゃんのことを考えていたので、ニャアちゃんにしました〟


〝ニャアちゃんにしました?〟


 「愛猫」とかだろうか。僕は先生のいる黒板の方に向き直る振りをしつつ、沙鳥の方をちらっと盗み見た。


 そこには、無駄話をしながら作業したとは思えない、整った書体があった。綺麗にレタリングされた――「海猫」の二文字が。



 鳥だった。



 鍋で寝ているだけの動画でも、そこそこ話題になるかもしれない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る