七不思議

 昨日まで続いた雨も上がり、今日はよく晴れている。カーテンがなければ日焼けしてしまいそうなほど、教室にも日が射していた。


 僕は教科書の記述を読む社会の先生の声に、耳を傾けている。先生の声は小さく、集中しないとよく聞こえない。


〝芯条くん、芯条くん〟


 先生よりもはっきりと聞こえる声が僕の名前を呼んでいる。僕の斜め前の席の女子、沙鳥の声だ。


 ただし、この声は僕だけにしか聞こえない。僕と沙鳥は、頭の中で念じるだけで言葉のやり取りができる、いわゆるテレパスってやつなのだ。


 でも、声に答えて会話をするわけにはいかない。ただでさえ聞き取りづらい先生の話が、いよいよわからなくなってしまう。


〝芯条くん〟


 今はきちんと社会を学ばなければ。


〝芯条くん、芯条くんってば〟


 沙鳥の声は無視しよう。


〝芯条くん〟


 無視、無視。


〝芯条くん(♂)かっこオス


〝かっこオス?〟


 図鑑で集めるモンスターみたいにされたので、思わず反応してしまった。


〝僕、オスしかいないんだけど〟


〝いいえ。芯条くん(♂)かっこオスもいれば芯条くん(♀)かっこメスもいます〟


〝メスって誰?〟


〝芯条くんのお母様などです〟


〝人の母親をメス呼ばわりするなよ〟


〝それはともかく、ちょいと芯条くん〟


 急に江戸っ子じみる沙鳥。


〝発表したいことがあるので聞いてもらえませんか?〟


〝困ります〟


〝えー、です。それは驚きです。もしかして、発表という言葉に嫌な思い出でもあるんですか?〟


〝ないけど〟


〝幼稚園の頃、おねしょしたらみんなに発表しないといけない決まりだったとか〟


〝ないよ〟


 そんな地獄ルールの幼稚園には通ってない。


〝ではなぜ?〟


〝授業中だからだよ〟


 今は紛れもなく授業中で、社会の先生が黒板に要点を書きだしたりしている。


〝それは盲点でした〟


〝むしろ本筋だけど〟


〝わかりました。芯条くんの邪魔をするわけにはいきません〟


 珍しく沙鳥が早々に折れた。


〝では、私は一人で勝手に発表しますので、芯条くんは気にしないでください〟


〝いや、それじゃ一緒なんだけど〟


 声が聞こえてくるのでは、結局気になる。


〝芯条くん、真の集中力とは、目の前でどんな事件が起きようとも決して動じない力なのです。そう、例えば目の前で、猫があくびをしても〟


〝そりゃ動じないだろ〟


 事件というほどのことでもない。


〝私の発表を気にせず、先生の話をきちんと集中して聞くことができるか……。これは芯条くんに与えられた試練なのです〟


〝いや、普通に授業を受けさせてくれ〟


 なぜ僕だけ試練を受けなきゃいけないんだ。


〝さあ、もう試練は始まっています。集中集中です〟


 集中を乱す側が言うことではない。


 でも、沙鳥のいうとおりだ。沙鳥がテレパシーを続けていようとも、構わず先生の話を聞ける集中力を身に付ければ、今後沙鳥なんて気にならなくなる。


 よし、先生の話を聞こう。


〝さて、では発表をはじめます〟


 先生の話だ。先生の話を聞こう。


〝みなさんは、学校の七不思議をご存知ですか?〟


 急に現れた「みなさん」が気になるけど、先生の話。


〝トイレの花子さんとか、理科室の人体模型とか、ナスカの地上絵とか、そういうよくある噂です〟


 地上絵は学校にないと思うけど気にするな。


〝七不思議……。わくわくする響きだと思いませんか。特にそう、「不」のところが〟


 注目するポイントがおかしいけど気にするな。


〝でもです。残念ながら、この余所見中学校では、誰からも七不思議の話を聞いたことがありません。クラスの誰からもです〟


 そもそも沙鳥は誰ともしゃべってないけど。


〝そこで私は今回、余所見中の七不思議を独自に調査しました〟


 調査したんだ。


〝校門の前から昇降口、そして下駄箱から廊下、教室まで、一通り足で歩き、調査してみました〟


 それは普通に登校しただけなのでは。


〝特に、不思議なところはなかったのです〟


 だろうな。普通の登校ルートだから。


〝しかし、私は思いつきました。なければ作ってしまえばいいのです。そう。引力を作ったニュートンさんのように〟


 ニュートンは引力を見つけた人であって、作ったわけじゃない。


〝私の考えた「余所見中の七不思議」について発表していきます。今後、広めていきたいので、メモのご用意をです〟


 しないけど。


〝コホン。……ではまず……一つ目の……不思議です……〟


 沙鳥は急に怪談のようなテンションになった。


〝怪奇……。メロンが入っていないのに……メロンパンと呼ばれる……パン……〟


 ……。


〝解説しましょう……。このパンは……メロンが入っていないのに……なぜか……メロンパンと……呼ばれます〟


 解説っていうか、同じこと繰り返しただけだな。


〝不思議です……〟


 たぶん、見た目がメロンに似てるからだろ。不思議でもなんでもない。


〝二つ目……〟


 沙鳥は続けた。


〝恐怖……。ウグイスが入っていないのに……ウグイスパンと呼ばれる……パン……〟


 ……。


〝このパンは……ウグイスが入っていないのに……なぜか……ウグイスパンと呼ばれます……怖ろしい〟


 ウグイス入ってる方が怖ろしいよ。


〝不思議です……〟


 たぶん、あんの色がウグイス色なんだろ。別に不思議じゃない。


〝三つ目……〟


 沙鳥は続けた。


〝驚愕……。カレーパンの……〟


 パンばっかだな。


〝……カレーパンのカレーと……カレーライスのカレーは……ちょっと味が違うという……事実……〟


 だからなんだ。


〝……おそば屋さんのカレーも……またちょっと違うのです……〟


 だからなんなんだ。


〝どれも……美味しい……〟


 不思議はどこにいった。


〝四つ目……〟


 沙鳥は続けた。


〝神秘……。人はどこから生まれ……どこへ行くのか……〟


 急に深い。


〝不思議です……〟


 不思議で片づけるテーマでもない気がする。


〝五つ目……〟


 沙鳥は続けた。


〝謎……。食パンと……〟


 またパンに戻ってきた。


〝食パンと……アンパンと……カレーパンが……道を歩いていると……トラックが猛スピードで……つっこんできました……〟


 なんか聞いたことあるな。


〝あぶない、と……声をかけて、助かったのは食パンだけでした……。なぜでしょう……〟


 耳があるからだな。


〝まさしく謎です……〟


 謎っていうより、なぞなぞだな。


〝六つ目……〟


 六つ目まで来た。


 正直もう先生の話なんて全然聞いてないけど、ともかくあと二つで終わる。こうなったら邪魔せずさっさと発表を終えてもらおう。


〝噂……。校舎の一番奥にある階段を……上った踊り場に現れる……オバケ……〟


 急にそれらしい情報が来た。


〝この情報は……柿月さんが人に話していました……〟


 ほんとの噂話。


〝不思議です……〟


 確かに一番七不思議っぽいけど、そのオバケと知り合いの僕には不思議でもなんでもなかった。


〝七つ目……〟


 やっと最後だ。


〝不覚……〟


 不覚?


〝……七つ目が……思いつきません……〟


 ここに来て?


 あんなにどうでもいい不思議をいろいろエントリーさせてたんだから、なんでもいいだろう。


〝……誰か……何か思いつきませんか……この声が聞こえている人……〟


 結局、こっちに話しかけてきている。


〝……ねえ……誰か……誰かそこにいるんでしょう……?〟


 ホラーじみてきた。


〝……ねえ、誰か……〟


〝僕しかいないだろ〟


 テレパシーが聞こえているのは。


〝おや……芯条くん……結局……集中できなかったんですね……〟


〝わかったから、とりあえず、その口調やめてくれ〟


 怖いから。


〝はい……コホン〟


 沙鳥は元通りの澄んだ声に戻して念じてきた。


〝さて、どう思います? 余所見中の七不思議〟


〝半分くらいパンの話だったけど〟


 不思議でもなかったし、うちの学校ともほぼ関係ない。


〝何か七つ目の不思議、思いつきませんか?〟


〝そんなの急に言われても、身近にそうそう不思議なことなんて……〟


〝あ、です〟


 沙鳥は何やらひらめいた様子で念じてきた。


〝やっぱり今思いついたので、もういいです。芯条くんはもう決して発言しないでください〟


〝考えさせといてひどいな〟


〝コホン……七つ目の……不思議は……〟


 沙鳥がまた怪談口調になる。


〝奇妙……。突然……頭の中に聞こえてくる……声……〟


〝頭の中に聞こえてくる声?〟


〝そう……学校にいると……自分ではない誰かの声が……頭の中に聞こえてくるのです……。でも、それは……他の人には……聞こえていないのです〟


〝それって――〟


 僕ははっきり念じた。


〝――ただのテレパシーじゃないの?〟


 いつも僕らがやっている、今もやっていることだ。


〝ふふふ……〟


 沙鳥はクスリと笑いながら念じてきた。





〝……じゅうぶん、不思議じゃないですか?〟





 もっともだ。


 もっともだけど。




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