ニュースでは梅雨明けしたとかしてないとかいろいろ言っていたけど、ともかく今日は晴れている。


 僕らは理科室にいて、ビーカーやシャーレ、ピンセットを前にしていた。


 今はもちろん理科の時間。今日は植物が光合成によってデンプンを作ることを確かめる実験を行うのだった。


「えー、デンプンが作られている部分は、えー、このように、えー、写真のように青紫色に変わります、えー」


 白衣の先生が早口で言った。


「えー、日光に当たった部分だけが、変色します、えー、ゾンビのような色です」


 もっとましな例えはなかったんだろうか。


「くくっ、ゾンビならむしろ、日光には弱いはずですがね、くくっ、くくっ」


 自分で言ったことがツボだったらしく、理科の先生は一人で笑いを押し殺していた。


「えー、それではみなさんも、ゾンビ色を確かめてください。今から、えー、詳しい手順を説明します」


 ゾンビ色かどうかはともかく、きちんと手順を覚えて、デンプンの反応を確かめなければ。集中しよう。


〝芯条くん……〟


 頭の中に、集中を乱してくる声がする。それは僕のとなりの班のテーブルに座っている女子、沙鳥の声だ。


 僕と沙鳥は、頭の中だけで念じるだけで言葉のやり取りができる、いわゆるテレパスってやつなのだ。


〝芯条くん、芯条くん……〟


 だから、沙鳥の心の声が聴こえてくるわけだけど、反応するわけにはいかない。


〝芯条くん、私の声が届いていますか……?〟


 届いているけど、届いてない振りをした。今はデンプンの反応を確かめる時間だ。デンプンの反応を確かめるのに必要な情報以外は求めてない。


〝芯条くん。私ですよ……〟


 しつこいぞ、沙鳥。


〝神ですよ……〟


 沙鳥じゃなかった。


〝嘘つけ〟


 あまりの大ぼらに思わず反応してしまった。


〝疑うのですか……? 人の子よ……?〟


 すっかり神気取りの言い方をしてきた。


〝こんな風に……、頭の中に直接話しかけているのに……?〟


 それは確かに神っぽい能力ではあるけど。


〝神じゃなくて、テレパスだろ〟


 僕と沙鳥は喉から声を出さなくても言葉のやり取りができる超能力者、テレパスだ。ちょっと普通の人とは違うのかもしれないけど、別に神ではない。


〝芯条くん。神さまさんに向かって、「だろ?」なんて口の利き方は、問題ありです〟


〝神の名をかたるやつの方が問題ありだよ〟


 しかも理科の時間に非科学的だ。


〝芯条くん、ご存知です? 日本にはやおよろずの神がいるのです。やおおろずと言ったら、だいたい八億くらいです〟


〝八百万だよ〟


〝だいたいですから〟


 だいたいで百倍も盛っちゃだめだ。


〝……まあ、やおよろずっていうのは正確な数字じゃなくて、ものすごく多いって意味だと思うから、そんなに間違いでもないけど〟


〝うーん、です。まあそういうことにしましょう〟


〝なんでそっちが納得してないんだよ〟


 せっかくフォローしてやったのに。


〝ともかく、私は気づいたのです。日本にはものすごい数の神々がいるのです。ということは、私が神々の中に一人まぎれこんだとしても、バレやしないのです〟


 沙鳥が、あまり褒められたものではない思想を持ち始めた。


〝名乗ったもんがちです。お医者さんと同じです〟


〝勝手に医者名乗ったら捕まるよ〟


 法治国家では。


〝大丈夫です。神ですから〟


 医者も神もどっちも名乗る気らしい。


〝さて、というわけで、どうか神である私を崇め奉ってもらうわけにはいかないでしょうか?〟


 傲慢なのか腰が低いのかよくわからなくなった。


〝さあ、お供えのお団子をよこすのです〟


 傲慢だ。


〝結局、食い意地だったんだな〟


 そもそも、


〝沙鳥は何の神になるの?〟


〝何の、と言いますと?〟


〝火の神とか農業の神とか音楽の神とか、そういうの〟


 それがわからないと、何のご利益があるのかわからない。


〝アメリカ建国の父です〟


 父。


〝いや、神の話だけど〟


〝うーん、です。特に決めていませんでしたが、どうせなるのでしたら、全知全能の神がいいです〟


 めちゃくちゃ神の中の神。


〝さらに全自動です〟


 便利。


〝そして全米が泣きます〟


 さすが建国の父。


 いや、感心してる場合じゃなかった。神の名をかたるなんて悪の所業、きちんととがめておかなければ。


〝沙鳥、全知全能の神なんて、いないらしいよ〟


〝どうして芯条くんにそんなことがわかるんです? 無力でおろかでちっぽけな人間の芯条くんに?〟


 マウントをとってくる神。


〝じゃあさ。全知全能の神になった沙鳥は、誰にも持ち上げることのできない岩を作れる?〟


〝誰にも持ち上げられない岩……〟


 やや間があって、沙鳥は念じてきた。


〝まったくイメージがわきませんね〟


 全然全能のくせに。


〝誰にも持ち上げられない、鍋でもいいですか?〟


〝鍋?〟


 なぜ?


〝岩を持ち上げる場面より、お鍋を持ち上げる場面の方が多いです〟


 そりゃそうだ。


〝神として、人間たちに神鍋を振舞うのです〟


〝じゃあ鍋でもいいよ〟


 本題はそこじゃないから。


〝ちなみに、神鍋の中身は何がいいですか?〟


〝なんでもいいよ〟


 別に中身なくてもいいし。


〝それでは湯豆腐ということで〟


〝シブいな〟


〝神湯豆腐ですから、もはや肉の味がします〟


 どういう理論なんだ。


〝ほぼ、すき焼きと言ってよいでしょう〟


〝じゃあ、最初からすき焼きでいいじゃんか〟


〝それでは神鍋の意味がありません〟


 神鍋の意味とは。


〝……で、全知全能の沙鳥は、誰にも持ち上げられない鍋を作れるの?〟


〝それはもちろん、作れるでしょう。なにせ全知全能ですから、作れないものなどありません〟


〝じゃあ全知全能の沙鳥は、その鍋を持ち上げられる?〟


〝それはもちろん、持ち上げられるでしょう。片手でひょいってな具合です。なにせ全知全能ですから〟


〝でも、それじゃ「誰にも」持ち上げられない鍋とはいえなくないかな〟


〝むむ、です。たしかにそうですね。では、全知全能の神にだけは持ち上げられる鍋にしましょう〟


〝じゃあ、誰にも持ち上げられない鍋は「作れない」んだな〟


〝そうなります〟


〝じゃあ、「全知全能」じゃないってことでいい?〟


〝むむむむ、です〟


 沙鳥は眉間に皺を寄せているような念を送ってきた。


〝芯条くん、またイジワルな一面をチラ見せしてきましたね〟


〝そんなつもりはないけど〟


〝だいたいです。なんで神ともあろうものが、人間たちのためにわざわざ鍋を運ばなきゃいけないんですか〟


〝沙鳥が神鍋を振舞いたいって言い出したんだろ〟


〝人間たちの方が、鍋のまわりに集まりましょう。そうすればコンロの火もそのまま使えますし、あったかいまま食べられます〟


 話がズレてきた。


〝持ち上げる必要がなくなりましたから、これで問題解決です〟


 強引に解決された。


〝さあ、理解できたら私を崇めるのです。芯条の子よ〟


〝ただの芯条だよ〟


 芯条の子でも間違いじゃないけど。


〝崇めたら、願い事を叶えてくれたりするのか〟


〝それはもちろん、神ですから〟


〝どんな願い事でも?〟


〝それはもちろん、全知全能ですから〟


〝じゃあ、もしもそれが「願い事を叶えないでほしい」っていう願い事だったらどうする?〟


〝もちろん叶えましょう〟


〝ってことは、願い事を叶えないのか〟


〝そうなります〟


〝じゃあ、どんな願い事でも叶えられるわけじゃないんだな〟


〝むむむむむむ、です〟


 沙鳥は、苦虫をかみつぶしたようなような念を送ってきた。


〝神をこんなに苦しめるなんて……、芯条くん、さては神の天敵です〟


 すごく格好いい肩書きをもらった。


〝ヤギです〟


 そんなに格好よくなかった。


〝なんでだよ〟


〝ほら、悪魔ってヤギみたいなツノしてるじゃないですか〟


 じゃあ、悪魔でいいと思う。


〝あと、ヤギって紙食べますし〟


〝うまいな〟


〝紙がですか?〟


〝そういうことじゃない〟


〝いずれにしてもです。全知全能の神……、思っていたより大変です〟


 沙鳥が神の現実を思い知ってくれた。


〝せいぜい、コンビニの深夜バイトくらいのものと思っていたのですが〟


〝それも大変だと思うけど〟


 たぶん。


〝神になるのはあきらめます。人として生まれた私は運命に従い、人としての生を全うしましょう〟


〝そうしてくれ〟


 沙鳥が何やら壮大な結論を出したところで、白衣を着た先生が早口でしゃべる声が聞こえた。


「――えー、では、今説明したような手順で、反応を確認していきましょう。えー、それでは、はじめてください。えー」


 しまった。


 全知全能の神の存在を否定しているあいだに、先生の説明がすっかり終わってしまったじゃないか。


 これでは僕には――デンプンの存在が証明できない。




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