波長

 休み時間。授業の緊張が解けた教室は騒がしい。


 休み時間とは休む時間だ。でも、休む時間さえも学びに使うことによって、他人よりも学びを深めることができる。


 僕はそうしよう。


「しんいちー」

 

 学びの妨げが現れた。


「しんいち、しんいちー」

 

 僕の前の席の主が不在であるのをいいことに、我が物顔で席に陣取っているやつがいる。


 この女子の名は柿月句縁。お互いに、小さい頃から知っている仲だ。句縁の方はいまだにわりと小さいけど。


「しんいちー。せけんばなししよーぜ」


「いちいち前置きいらないよ」

 

 そもそも、句縁は世間話しかしない。取るに足らない、意味のない、聞いて損するような話ばかりだ。


「しんいちは、テレパシーについてどうおもう?」


 聞き捨てならないことを言いやがった。


「……テレパシー?」


「しらねーのかよ。こえをださなくても、ねんじるだけでことばのやりとりができるのうりょくだろ。つかえるやつは、いわゆるテレパスってよばれるやつ」


「知ってるけど」


 知っているに決まっている。何を隠そう、僕がその「いわゆるテレパスってよばれるやつ」なのだから。


 もっとも、テレパシーを互いに通じさせることができる相手は、一人しかいないんだけど。


「なんで急にテレパシーの話なんだ?」


 句縁は、椅子ごとカタカタ揺れながら答えた。


「はなせばながくなる」


「じゃあ、いいや」


「きのう、そういうドラマやってた」


「一言で終わったな」


 とりあえず、僕がテレパスであることに感づいたわけではなくてホッとした。知られたから何が困るわけでもない気もするけど。


「で、どうおもう、テレパシー?」


「どう思うって言われても……。まあ、便利な時もあるだろうけど、余計なことまで聞こえてきて、大変そうだなって」


 特に授業中に邪魔されるときつい。


「いっぱんてきないけんだな」


「いいだろ」


 一般人なんだから。


「うちはさ。おもったんだよ。テレパシーって――」


 句縁は椅子のカタカタを停止させて言った。


「――ザコののうりょくだなって」


 当事者を前にひどい。


「ザコ?」


「だってよー。バトルでやくにたたねーもん」


「何と戦うんだよ」


「テレパシーなんかより、ものをぶっこわすしょうげきはとかだせるほうが、ぜってーかっけーだろ」


 テレパシー「なんか」とはなんだ。


「でもな。うちは、ぎゃくにかんがえてみたんだよ」


 句縁は一人で頷きながら言った。


「ザコののうりょくってことは、ちょっとしゅぎょーしたら、うちでもおぼえられるんじゃねーかって」


「テレパシーを?」


「そ」


 どうだろう。


 努力で身に着くようなものじゃない気がする。僕や沙鳥だって、なんだか知らないうちに出来るようになっただけで、別に修行したわけじゃない。


「そういうわけで、しゅぎょーはじめることにしたから」


「そうか」


 勝手にやってくれ。


「しんいち、きょうりょくしてくれ」


「なんでだよ」


「なんか、きょうりょくしてくれそうなかおしてっから」


 とりあえず、現時点での僕の思考は全然読めていない。


「修行って何するんだ?」


「しんいちのかんがえてることを、あてる」


「僕の考えてること?」


「ほら、なんかかんがえろ」


「なんかって」


「んじゃー、どうぶつ、どうぶつをおもいうかべろ。しんいちがおもいうかべたどうぶつが、なんのほにゅーるいかあてる」


 さりげなく限定しやがった。


「な、うちはめぇつぶるから」


「目をつぶる意味はあるのか?」


 書くわけでもないのに。


「さ、おもいうかべろ」


 句縁は勝手に目をぎゅっと閉じた。


 本当は次の授業のことを考えたいところだけど、句縁が解放してくれそうにない。僕はとりあえず、何かほ乳類を思い浮かべることにした。たぶん当てさせて満足させた方がさっさと終わる。


 僕はネコを思い浮かべた。哺乳類といえばパッと思いつくのはイヌかネコ、句縁が無難に答えてくれれば二分の一で当たる。


「おもいうかべたか?」


「ああ」


「よし……」


 句縁は目を開けると、僕の目を見つめながら言った。


「……カニ?」


「甲殻類じゃんか」


 哺乳類縛りわい。


「あたってるか?」


「全然」


「えー、こたえなんだよ?」


「ネコ」


「おい、なんだよー。すなおにほにゅーるい、こたえてんじゃねーかよ。はなしがちげーし」


 むしろ話の通りだ。


「なんかイジワルしてくるとおもったから、うらをかいたのによー。うらのうらをかいてんじゃねーよ」


「かいてないよ」


 そもそも。


「駆け引きとか推理で当てるんだったら、テレパシーじゃないと思うけど」


「じゃあ、どうやってあいてのかんがえてることがわかんだよ?」


「そりゃ、相手の心の声が頭の中に聴こえてくる、みたいな感じじゃないかな。知らないけど」


 関西の人みたいな言い回しになってしまった。


「あいてのこころのこえがきこえてくる……」


 句縁は再び目を閉じると、左手を左耳に添えてこちらに向けた。


 いや、だからそれだと心の声じゃないだろう。


「よし、なんかかんがえろ」


「なんかって」


「んじゃー、のりものだ、のりもの」


「乗り物?」


「しんいちがどんな、はたらくくるまをおもいうかべたかあてる」


 また結構限定している。


「はたらかないくるまはだめだからな?」


 働かない車って逆になんだろう。


「すなおにかんがえろよ?」


「さっき素直じゃなかったのそっちだろ」


「さ、おもいうかべろ」


 僕は救急車を思い浮かべた。働く車といえばパッと思いつくのは、救急車、消防車あたりだろう。


「おもいうかべたか」


「ああ」


「よし……」


 句縁は耳に添えていた手をそっと降ろし、目を開けてまたこちらを見つめた。


「……しょうぼう――」


 残念、


 と言いかけたところで句縁は慌てて言い直した。


「――タンクローリー!」


 消防タンクローリー。


「こっちの表情見て変えるなよ」


「あたってるか?」


「全然」


 火災現場に油を注ぎにいくような車は思い浮かべてない。


「くー、ゴミしゅうしゅうしゃか」


 それも違う。


「救急車でした」


「くー、おしーな!」


 何をもってだ。


「ちくしょー。あたまのなかにぼんやり、しんいちが、かさいげんばにとりのこされるイメージうかんだのによー」


「ぼんやり嫌な光景浮かべるなよ」


「あれは、きゅうきゅうしゃにかつぎこまれるとこだったのかー」


 いずれにせよ縁起は良くない。


「……心の声は聞こえなかったんだな」


 イメージ浮かべちゃうってことは。


「んー。たぶん、あれだなー うちとしんいちだと、はちょーがあわねーんだな」


 句縁は眉間に皺を寄せて言った。


「しゅうはすうっての? なにヘクトパスカルとか」


「それは台風の強さだ」


 周波数ならヘルツだろう。


「きっと、しゅうはすうみてーのが、あうやつどうしじゃねーと、テレパシーってできねーんだよ」


 不意に正解を出す句縁。


 そんないつもの「おんなのかん」を句縁が発揮していると、一人の女子生徒が僕の横を通りすぎた。僕の斜め前の席、つまり句縁の隣の席に座る。


 彼女の名は沙鳥。


 僕が唯一、テレパシーで会話できる相手だ。


 沙鳥は自分の席に戻るなり、なめらかな動作で机に肘をつけて頬杖をついた。休み時間の沙鳥は机に突っ伏して寝た振りをしているか、頬杖をついてぼーっとしているかのどちらかが基本スタイルだ。


「なあ、しんいち」


 句縁が耳打ちしてきた。


「さとりさんのかんがえてることなら、わかるかな?」


「沙鳥の?」


「うちとさとりさんだったら、はちょーがあいそうなきがしねー?」


「……どうかな」


 どっちも急に妙なことを言い出す性格ではあるけど。


 句縁は目をぎゅっと閉じると、今度は沙鳥の方に耳を向けて手を添えた。


「……」


「どうだ? 沙鳥は何考えてる?」


「たぶん……」


 句縁は目を閉じたまま小声で言った。


「……ひとはなぜいきるのか?」


 それは絶対にないな。


「さすが、さとりさん。むずかしいことかんがえてんだなー」


 句縁の沙鳥への幻想が、テレパシーの捏造を生んだ。


〝……沙鳥〟


 僕はテレパシーで沙鳥に話しかけた。


〝おや、芯条関〟


〝力士みたいにするな〟


 十両以上の。


〝沙鳥。いま何か考えてたか?〟


 テレパスは、テレパシーとは別に思考することもできる。一応、沙鳥が人が生きる意味について考えていたかどうか、確かめておこう。


〝今ですか? そうですね――〟





〝――最近カニ食べてないなって〟





 テレパシーはともかく、波長は合ってそうだ。




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