おまけ
確率
チャイムが鳴ってしばらくすると、先生が教室に入ってきた。ひそひそ聞こえていた話し声が静まり、授業が始まる。
数学の先生は、教卓の上でサイコロを二つ振った。
「とりゃあー!」
先生が勢いよく振りかぶったせいで、サイコロは机の上をはみ出し、床に落ちて転がってしまった。
「ごめぇーん! やり直し! てか、サイコロどこいった? ね、ちょっと近くの人探して!」
先生と近くの席の生徒は、かがんで床の上を探しはじめた。
遊んでいるみたいだけれど、れっきとした授業中。今日は数学の「確率」を学ぶことになっている。
「あ! 一個あったー!」
でも、そそっかしい先生のおかげで、少しばかり滞っていた。
〝芯条くん〟
僕の頭の中に、女子の声が響いてくる。それは僕の斜め前の席に座っている女子、沙鳥の声だ。
この声が聴こえるのは僕だけ。僕と沙鳥は、直接しゃべらなくても念じるだけで会話ができる、いわゆるテレパスと呼ばれる能力者なのだ。
〝芯条くん、芯条くんってば〟
しかし、能力者だって、別に特別な人間ではない。普通に授業を受けないといけない。今は授業に集中するべきだ。
〝なんだか、飽きてしまいましたね〟
集中するべきと考えている能力者は、僕だけだった。
〝沙鳥。真面目に授業聴きなよ〟
僕も沙鳥も数学は苦手だ。二人して補習を食らったこともある。苦手なのだから、他の授業より力を入れて勉強しないと。
〝飽きるほど、先生の話聴いてないだろ〟
〝ちょっと芯条くん。それは心外です。心外くんです〟
〝混ぜるなよ〟
〝わたしが飽きたと言ったのは、数学の授業のことではありません。数学に関しては、飽きる前から諦めているのです〟
だったら、なおさら良くない。
〝わたしが飽きたのは、これです〟
これですと言われても。
〝……どれ?〟
〝この、テレパシーのことです〟
〝沙鳥――〟
僕は、沙鳥の発言に対する率直な感想を述べることにした。
〝飽きるの遅くない?〟
こっちの迷惑もかえりみず、さんざん授業中に話しかけておいて、急に飽きるってなんなんだ。
〝ということは、芯条くんもテレパシーに飽きていたのです?〟
〝うん、まあ〟
テレパシーというか、沙鳥の面倒な話にだ。
〝それなら、話は早いです。わたしたちテレパスは、次のステージに進みましょう〟
〝次のステージって?〟
〝新たな異能力を手に入れるのです〟
思ってた話の方向と違った。
〝能力者たるもの、いつまでもテレパシーで話ばかりしていても、何の進歩もありません。テレパシーとは異なる超能力、異なる異能を身につけるのです〟
異なりすぎている。
〝つまり、異異能力を身に着けるのです〟
発音しにくい。
〝沙鳥。前に、卑怯なボスキャラでもない限り、能力は二つ持てないとか言ってなかったっけ?〟
〝そんな設定、誰も覚えていないので大丈夫です〟
ずるい。
〝でも、どうやって新しい能力を身に着けるの?〟
〝ちっちっち、です〟
沙鳥は脳内で指を振った。
〝芯条くん。どうやって、などと、いちいち考えているから進まないのです。どうやって目標に辿り着くか、そんなことは後で気にすればよいのです。まずは、こうなりたい、という意志を持つべきです〟
議題はともかく、妙に説得力があった。カリスマ塾講師みたいだ。
〝どうやって手に入れるかは、後で芯条くんが調べます〟
〝自分で調べてくれよ〟
口だけの講師だった。
〝さて、それじゃ芯条くん。良さげな異異能力をプレゼンしてもらえますか?〟
〝なんで僕が……〟
今は確率について学ぶ時間であって、超能力をプレゼンする時間ではない。
〝わたし、前にすきま風の噂で聞いたことがあります〟
窓を閉めなさい。
〝こういう、超能力とか異能とかいう話は、中学二年生が最も詳しいのです〟
確かに中学二年生だけど。
〝だったら、沙鳥もそうだろ〟
〝わたしは、どこか大人びた雰囲気がありますから〟
〝どこがだ〟
確かに沙鳥は、黙っていれば落ち着いた人間に見える。実際、まったくと言っていいほどしゃべらない沙鳥に、クラスのみんなは大人びたイメージを持っている。
〝さあ、どんな異能がオススメですか? もしオススメしてくれないなら、魔法の力で砂の柱に変えてしまいますよ〟
〝そこは超能力じゃないのか〟
しょうがないな。ここは沙鳥の気に入りそうな能力をさっさと提案して、この話題自体に飽きてもらおう。でないと、授業が終わるまでごね続ける。
〝じゃあ、まあ普通だけど……、念動力は?〟
〝お相撲さんの名前ですか?〟
ゴリゴリに肉体で勝負する人がつける名前じゃないな。念動力関。
〝いや、遠くのものを動かしたりだとか、物理的な力を加えたりできるやつ。テレキネシスっていうの?〟
〝ああ。telekinesis、ですか〟
無駄な発音の良さをアピールしてくる沙鳥。
〝そう。念じるだけで物を取れるし、便利なんじゃないかな〟
沙鳥は面倒くさがりっぽいし。
〝うーん、です。ちょっと却下です〟
ちょっと却下された。
〝どうして?〟
〝力が暴走してしまったら、怖ろしいことになります〟
確かに、念動力が暴走したら、建物を破壊したり、まわりの人の体もボロボロにしてしまうみたいなイメージはあるけど。
〝せっかく目の前に美味しそうなカレーがあるのに、力のせいでスプーンが曲がっていたら食べられません〟
怖ろしさの規模が小さかった。
〝曲がってるくらいだったら、食べられるだろ〟
〝そんな食べにくいスプーンで食べても、心から美味しいと思えません〟
沙鳥は食にはうるさい。食い意地が張っているだけだけど。
〝他の能力でお願いします〟
〝じゃあ、瞬間移動は?〟
〝どうやら今度は、お相撲さんの名前ではありませんね〟
〝さっきのも違うけど〟
いちいち確認することか。
〝瞬間移動……。teleportation、ですね〟
〝テレポートできたら、朝とか便利じゃないかな。ギリギリまで家にいても、すぐ学校に来れる〟
沙鳥は寝起き悪そうだし。
〝うーん、です。かなり却下です〟
かなり却下された。
〝どうして?〟
〝力が制御できなかったら、大変なことになります〟
なぜ使いこなせない前提なんだ。
〝もし、現れる場所を少しでも間違えてしまったら――〟
確かに、出てくる場所を間違えると、川の上に出てしまったり、壁の中に埋まってしまうイメージはある。
〝――美味しいカレー屋さんに行くはずだったのに、隣の美味しいラーメン屋さんに入ってしまいます〟
大変さが些細だった。
〝じゃあもう、ラーメン食べなよ〟
どっちも美味しいらしいし。
〝冗談はやめてください。わたしはもう、カレーの口なのです〟
冗談はどっちだ。
〝きっと食べた後で後悔するのです。今日はやっぱりカレーが良かった、と……。ラーメンはラーメンで、替え玉もしたけれど〟
替え玉したんかい。
〝他の能力でお願いします〟
〝沙鳥。基本的に、力は制御できる設定で頼む〟
そうじゃないと、ネガティブな妄想に勝てなくなる。
〝わかりました。わたし、やってみます〟
そんなに意気込むことでもないけど。
〝じゃあ、千里眼は?〟
〝銃火器の名前ですか?〟
千里
〝超能力の名前です〟
最初からずっと。
〝遠く離れたところとか、見えないところにあるものを見たり、どこに何があるかわかったりできる能力だよ。わかりやすく言うと、透視かな〟
〝ああ。clairvoyance、ですか〟
〝……なんて?〟
〝clairvoyance〟
あっているのかわからない。透視って、英語だとそんな聞きなれない単語なのか。
〝何か物を失くしても、すぐに見つかるし。行ったことない場所の景色も見られるし、便利じゃないかな〟
沙鳥はなるべくラクをしたい人間だし。
〝うーん、です。ガチで却下です〟
ガチで却下された。
〝どうして?〟
〝芯条くん、これはわたしたちテレパスが新たに身に着ける能力です。つまり、わたしだけではなく、芯条くんも使えるようになるわけです〟
〝そうなの?〟
〝しらばっくれてもだめです。芯条くんは透視の力を、よからぬことに使うつもりですね?〟
心外だ。
〝そんなつもりはないけど〟
〝いいえ、です。そんなつもりはなくても、つい出来心で見てしまうものです。力は制御できても、心は制御できません〟
何か名言っぽいの出た。
〝芯条くんは、欲望に負けて見てしまうのです〟
〝な、何を?〟
〝決まっています〟
沙鳥は念じてきた。
〝秘伝のカレーレシピです〟
思ってたのと違った。
〝芯条くんは創業八十年のカレー屋さんで、門外不出の秘伝のレシピを、出来心で見てしまうのです。そして、それをライバル店にリークしてお金を受け取るのです〟
そんなややこしい悪事は計画してない。
〝そして、それがひきがねとなり……、カレー業界が盛り上がるのです〟
〝じゃあ、いいじゃんか〟
〝あと、たぶん女湯も見ます〟
〝結局それか〟
〝なんてことです。新たにどんな能力を手に入れたとしても、わたしたちテレパスは、悲劇を呼んでしまうのですね〟
ずいぶんカレー方面に偏った悲劇だけど。
〝わたしが間違っていました。今後もテレパスはテレパスであることを受け入れ、大人しくテレパスとして生きていきましょう〟
沙鳥はちっとも大人しくないけど。
〝……まあ、結論が出たなら良かったよ〟
「――はい! そんなわけで以上のように考えれば、二つのサイコロを振った時に合計が奇数になる確率を求めることができまぁーす!」
いつのまにか、授業の方も結論が出ていた。
そういえば、「確率を操作する」って能力も聴いたことがある。確率が操作できるからって、何の役に立つんだろう。ギャンブルとかか。
「はいー じゃ、もう消しまぁーす!」
え。
慌てて写そうとしたときには、もう遅かった。先生は、確率を求めるためのわかりやすい図を、黒板からさっさと消してしまった。
「きょう説明したとこ、百パー、テストにでるからねー!」
なるほど。
それをゼロパーにできるなら、便利だ。
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