小林さんの三月
びっくりした。
三年生を送り出し、教室まで戻る途中、わたしは、式での出来事の余韻が抜けなかった。
いつも異様に大人しくて、授業で当てられた時くらいしかしゃべらない沙鳥さんが、送辞であんな声を出すなんて。
ごめんなさいっ。
目立たない消しゴムのカス以下の存在の小林が、大人しいとはいえ男子にも女子にも実は人気の沙鳥さんを偉そうに評価してごめんなさいっ。
でも、ほんと驚いた。
「うわああああ! うわあああああ!」
すぐ前を歩く柿月さんが、わめいている。柿月さんが、先輩の卒業でこんなに号泣する人だったのも驚き。
「うわああああ! うわあああああ!」
さすがにうるさいな。
ああ、ごめんなさいっ。廊下の隅っこの黒い汚れほどの価値もない小林が、みんなのマスコット的存在の柿月さんをうるさいだなんてのたまってごめんなさいっ。
「うわああああ! ……あ」
柿月さんが急に静かになった。なに突然。
「どしたの、柿月さん?」
「ないたら、すっきりした」
そんなに突然ぴたっとすっきりするもんなの?
「いやー、しかし、そうじはおどろいたなー」
切り替えが早い。
「しんいちが、セリフわすれるとはなー」
そっち? たしかに、沙鳥さんが言った送辞の言葉は、本当は芯条くんが言うはずのだったけど。
「うちのセリフのあとだから、れんしゅーつきあってやったのによー。まいにちまいにち、ばかみてーに」
おいこらちびすけっ! 芯条くんはバカじゃねーよ、は?
なんて思っちゃってごめんなさいっ! 器の小さい、ハートの狭い心のちびすけはわたしの方ですっ!
でも、いいなー。芯条くんの練習に毎日付き合えるなんて。
「ほんばんによえーんだよ、あいつ」
「……ドキドキしてたんじゃないかな」
一人のパートって緊張するもんね。わたしは、クラス全員の台詞と女子全員の台詞とその他大勢の台詞しかなかったから楽勝だったけど。
「あー、おんなのことかんがえてたか」
「そ、そういうドキドキじゃないと思うよ?」
そういうドキドキでたまるか!
あ。でも、考えてたのがわたしのことだったら嬉しいな。
って、なに言ってんの小林! だいたい、誰にも名前以外なにも認識されてないような小林に芯条くんがドキドキするか! 身の程を知りなさいっ!
「まちがいねー。おんなだな」
「な、なんで?」
「おんなのかん」
そんなもん、あてになってたまるかい!
でも、心配。芯条くんにだって、いつ女の一人や二人や十二、三人できるかわからない。
って、真面目な芯条くんがそんな何股もかけるようなひどい男子なわけないでしょうがっ! ゲス小林っ!
あ。待って。何股もかけてくれるなら、わたしにもチャンスあんじゃねコレ?
って、そんな不純な関係で満足しちゃいけないでしょうがっ! ダメ小林っ!
とにかくっ!
わたしは、もし芯条くんが、女子と付き合いだすことになったら……。もしそんなことになったら、わたしは……、
「うわああああああ!」
こんな風に泣くかも、
って、
「ど、どしたの?」
「うわああああああ! ぶりかえしたあああああ!」
風邪か。
帰りのホームルームを終えるまでに、わたしは決心した。
芯条くんと仲良くなろう。
今日の卒業式を見て思ったんだ。時間は無限なようで有限。そう、化石燃料みたいなもの。意外と千年くらい持つ。なんだ、結構持つじゃん。じゃ、大丈夫か。
大丈夫じゃない!
三学期はあと少し。進級して、芯条くんと同じクラスになる保証はない。早めにつばをつけないと。
つばってなに! 表現汚い! 反省っ!
ひとまず「一緒に帰ろう」って声をかけるんだ。それくらい普通。普通の友達。なんたって帰るだけだもん。柿月さんなら余裕でやる。まずはこれだ。きっとできる。沙鳥さんにだって、おっきい声が出せたんだもん。
勇気だせ、小林っ。
方針を固めていたら、芯条くんがちょうど教室を出ていくところだ。よし、あとをつけよう。あとをつけて、よきところで言う!
……よきところっていつ?
ほぼ尾行みたいな感じで、身を潜めながら芯条くんについていったわたしは、校舎の奥へ奥へと進んでいた。なんでかといえば、芯条くんがそっちに進むから。
どういうこと? 芯条くんは芯条家に帰らないの? 放課後の教室で誰かと密会でもするの?
密会ってなに! 密かな会なの? ひそひそ何すんの?
芯条くんは校舎の一番奥まで来ると、階段を上がっていった。上には踊り場しかない。なんだろう。やっぱり誰かと待ち合わせしてるの?
知りたいような、知りたくないような……。
「行かせないっす」
「わっ!」
耳元で突然囁かれて、わたしは腰を抜かした。いつのまにか背後に誰かいたらしい。誰……?
振り返って目に入った顔に、わたしは尻餅をついたまま後ずさった。
「は、はんにゃの人っ!」
そこにいたのは、おどろおどろしいはんにゃのお面をつけた女子だった。制服で女子とわかる。角の部分にはなぜかリボン。
わたしはこの人を前に見た。去年の夏、うちの猫が逃げ出した時、はんにゃさんが見つけて届けてくれたのだ。ということは……。
「そ、その節はありがとうございました!」
わたしが立ち上がって言うと、はんにゃさんはか細い声で言った。
「スイカおいしかったっす……」
そうだ、お礼にスイカあげたんだ。うちの先輩だったのか。こんな目立つお面してるのに、なんで今まで気づかなかったんだろ。驚異的に存在感がないのかな。
って小林の分際で言うことじゃないやいっ! 猛省っ!
そんなことより、
「あの、わたし、この上に行きたいんですけど……」
芯条くんが気になる。
「だめっす」
う。声が小さいのに妙な威圧感がある。はんにゃの目に睨まれてるみたい。
「今はだめっす」
「な、なんでですか?」
「まさに今、この上には……大事な友達の、生涯の思い出があるっす……」
「思い出……?」
何の話だろう。大事な友達って、芯条くんのこと……? それとも、別に友達がいて、その人が芯条くんと待ち合わせてるの? ていうか……、
「まさに今なのに、思い出なんですか?」
「思い出にしか、ならないっす」
そう言うと、はんにゃさんはうつむいた。
「自分の調べでは、そうっす。忠告したっすのに……」
よくわからないけど、はんにゃさんは感傷に浸りだした。
チャンスかもしれない。この隙に階段をのぼろう。もう一緒に帰るとかはおいといて、単に気になってきたよ小林は!
トン。
足を踏み出した瞬間、うなじのあたりにトンと何か重い一撃を受けた。あ、これ知ってる。漫画とかで見る、手で敵の首をトンして無力化するやつだ。
「だめと言ったはずっす……」
わたしは薄れゆく意識の中で思った。
……え。ここまでする?
気がついたときには、教室の中の壁にもたれて座っていた。
し、死んだかと思った。
まさか、人生でトン気絶を味わう日が来るとは。ひょっとして小林、こう見えて実は主人公なのかも?
なんて、思い上がるな小林っ! むしろザコが食らう技だコレ!
扉を開けて廊下を覗くと、はんにゃさんに止められた場所が見えた。
階段から、足音が降りてくる。
まずいっ。芯条くんかもしれない。一緒に帰るつもりだったけど、いま見つかったらただのストーカーだ。
わたしは、音を立てないように扉をそっと閉めながら、隙間を少し開けた。足音は近づいてくる。
歩いて来たのは三年生の女子だった。卒業生っていうべきかな。
きれいな人。
切れ長の目、筋の通った鼻、スラリとした体格。モデルさんみたい。こんな人、この学校にいたんだ。もっと人気者になってないとおかしい。
モデルさんみたいな先輩は、唇をぎゅっと結んで通りすぎていった。
少し目が赤いように見えたけど、
それは、わたしの気のせいかもしれない。
校門まで出ると、もう卒業生の姿もまばらだった。
わたしは、ひたすら考えた。
芯条くんが踊り場に上っていって、モデル先輩さんが同じとこから降りてきた。二人の間に何かあったのか。だとしたら、
もう小林ごときには踏み込めねえ!
だってなに、その大人の世界っ。いや、わかんないけど。わかんないことしてたのかな。わかんないことってなにっ。
いやいや、待て待て。
わたしはしばらく気絶してたんだ。芯条くんは結局あのあと、どこにも姿はなかったし、モデル先輩さんは全然別件かもしれない。うん。きっとそう。そうそう。別、別。
うーん。でも、二人が会ってた可能性も消えなくはないし……。
「小林さん」
うるさいやい。今、忙しいんだわたしは。
「いわば、小さい林さん」
はっ、この呼び方は……。
顔を上げるとそこには、宇佐美くんがいた。だよね、そりゃ宇佐美だよ。わたしのこと林の眷属みたいに呼ぶの宇佐美だけだもん。宇佐美のみ。
三回も呼び捨てしちゃってごめんなさいっ。
宇佐美くんは言った。
「きみを待っていた」
「え」
こ、小林を?
「いわば待機だ」
わたしが来るのを待ってた? 宇佐美くんが? ホールームのあと、こんなに長い時間? やっぱり一緒に帰ろう的な目的? それって……?
待ちなさい、よく考えて小林。相手はあの宇佐美、この宇佐美その宇佐美。ときめいてどうするの、宇佐美なんぞに。
ああっ、なんぞなんて最低の侮辱をごめんなさいっ。なんぞは小林の方です。どうも、なんぞ小林です。なんぞ小林なんぞっ。
待って待って、冷静になれ小林。
芯条くんは大人の世界に行っちゃったかもしれないし、夢を追うより現実を見た方がいいんじゃない? よく言うじゃない。幸せって、意外と身近にあるって。
「渡したいものがある」
「わ、わたしに?」
どうしよう。ちょっとドキドキしてきた。なに、なにを渡す気なの宇佐美。ねえ宇佐美。おい宇佐美。
「受け取ってくれ」
渡されたのは――チラシだった。
「……二代目オカルト否定研究会、入会希望者募集?」
なんだこりゃ。
「先代の意志を継ぐことにした。いわば、義務だ」
義務なの……?
「それが最後の一枚だったのだ。言わばラスイチを、配り終えたかったのだ。小林さんが来てくれて助かった」
「そ、そう」
「では、さらばだ」
そう爽やかに告げると、宇佐美くんは普通にスタスタと歩いて去っていってしまった。
まあ、なんていうか……
これが小林だよねっ!
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