答辞

 式が終わり、体育館から教室に戻る途中で、僕は担任の先生に呼び止められた。


「あ! みすたあ芯条くん!」


 まずい。怒られる。


 沙鳥のフォローのおかげで式の進行に支障は出なかったけど、僕がミスをしたことには変わりない。


 これはきっと怒られる。


「さんくゆう!」


 さんくゆう?


 さんくゆうって、どんなお叱りの英語だっけ。


「先生はみすたあ芯条くんに感謝しないといけません。さんくゆう、べりいまっち」


 ああ。Thank you のさんくゆうか。


「……どういうことですか?」


 僕はミスを責められるべき立場にいるはずだ。感謝されるようなことはしていない。


「みず沙鳥さんのことです」


「沙鳥……?」


「先生は嬉しかったのです。みず沙鳥さんが、えぶりわん、みんなの前であんなに堂々と声を出してくれたのは、ふぁあすとたいむ、初めてのことです」


 たしかに。


 僕はテレパシーのせいで沙鳥の声をいつも聴いている。でも、みんなは授業で当てられた時の流暢な英語くらいしか聴いたことがないはずだ。


「みず沙鳥さんのおかあさま。まざあさとりも心配していたのです」


 沙鳥のお母さん?


「みず沙鳥さんは、帰国子女。いわゆる、りたあん・かんとりい・がある」


 その直訳は絶対あってない。


「日本に来たばかりの頃、しゃべり方が変と言われ、人前でほどんどしゃべらなくなってしまったそうなのです」


「え……」


 知らなかった。しゃべらない沙鳥にそんな理由があったなんて。


「だから、クラスの友達、ふれんどとうまくやれていないのではないかと。そういう心配の手紙を以前にもらいました。ゆにばあさる・しりある・ばす」


 ゆにばあさる・しりある・ばす?


「USBでもらいました」


 そういえばUSBに文字を書くお母さんだったな。


「ですが、さっきのみず沙鳥さんを見て安心しました。仲良くもないふれんどのために、大きな声で助け船をだしたりはしません。そうでしょう。みすたあ芯条くん?」


「はあ。まあ……」


 最近はテレパシーでもあまりしゃべってなかったし、なんとも答えられなかった。


「沙鳥さんも、ちゃんとクラスのふれんどに馴染めていたとわかったのです。さんくゆう、みすたあ芯条くん」


 僕は沙鳥のテレパシーに付き合ってただけだけど。


「まあ、英単語をまじえた、わたしのぐろおばるな指導方針のおかげもあるかもしれませんが」


「まさか、先生。沙鳥のために、会話に英単語を織り交ぜてたんですか?」


 だとしたら発音こそめちゃくちゃだけど、めちゃくちゃいい先生だ。


「いいえ。これはなちゅらる、もともとです」


 もともとかい。


「みすたあ芯条くん。これからも、みず沙鳥さんと、仲良くしてくださいね」


 どっちにしろ、いい先生だな。


「ところで」


 先生はちょっとだけ、頬をふくらませて言った。


「大事な送辞の時に、上の空ではいけません」


 ちゃんと叱られた。


「すみません」


「他のことを考えていたんですか? ほわっと?」


「それは……」


 それについては、



 このあと、答えを出す。





 今朝、見たのと同じ、ソファも机もない踊り場を僕はまた訪れた。


「やあ」


 O先輩改め、オオノ先輩は今度も先に来て待っていた。


「とりあえず、来てくれて良かった。来ないかと思ったよ」


 そう言って先輩は不敵に笑ってみせた。お面をしている時も、きっとこんな顔をしているんだろうな。


「返事を、聞かせてくれるかい?」


 返事。


 もちろん今朝の話だ。僕をテレパスだと思うから交際したい。先輩はそう言った。


 僕ははっきりと答えた。


「すみません。僕はO先輩とは付き合えません」


「そうかい」


 先輩は堂々とした態度を崩さなかった。


「私は、同志Sのタイプじゃなかったかな?」


「そういうことじゃありません」


 僕は式の後から今まで、ずっと考えていたことを話した。


「先輩は、僕がテレパスだと思うから付き合いたいと言いましたね」


「ああ」


「だったら、困ります」


「きみは、テレパスじゃないからかい?」


「そうです」


 いや、そうじゃない。


「いえ、仮に僕がテレパスでも断ります」


「なぜだい?」


「僕がテレパスだから付き合いたいというのなら、先輩にとって僕はテレパスでしかないからです。僕じゃなくても、テレパスだったらいいわけでしょう。もっと言えば、不思議な能力を持っているなら、テレパスじゃなくてもいいわけです。違いますか?」


 先輩はオカルトを否定したいと言いながら、本当はオカルトが大好きなのだ。だから、きっと付き合いたいのは僕じゃなくて「テレパス」なのだ。


「芯条信一」


 先輩は少しだけ頬をゆるめた。


「きみは真面目だね」


 ああ。僕は真面目だ。


 それで損をしていたとしても、それが僕だからしょうがない。


「だから、すみません。先輩とは付き合えません。先輩は、相手がテレパスだからだとか、そういうことじゃなくて」


 僕はオオノ先輩に言った。


「本当に、好きになった人と付き合ってください」


「そうかい」


 先輩は少し下を向くと、小さく息を吐いて言った。


「ありがとう。実験はこれで済んだよ」


「実験?」


「よく言うだろう。誰かが自分に気があるらしいとわかったら、それから、そいつのことが気になりだすという話」


「はあ……」


 たしかに。なんかどこかで聞いたことがあるような気がするけど。


「私は、そんなものはオカルトだと思ったのさ。だから、それを否定したかった」


「え……」


「同志Sのおかげで、見事証明されたよ」


 ちょっと待ってくれ。


「それじゃあ、先輩はオカルトを否定するためだけに、僕に告白したんですか?」


 先輩は無言で微笑むだけだった。


 先輩、それはひどいじゃないか。僕は心を揺さぶられて、大事な送辞が上の空にさえなったのに。


「僕がOKしていたら、どうしたんですか?」


「そんな仮定に意味はない」


 先輩はじっと僕を見据えて答えた。


「きみは断ったんだ」


 そうだけど。


「ついでに、これできみがテレパスだとも認めずに済んだわけだ。二つもオカルトを否定できたとはね。オカルト否定研究部冥利に尽きる」


 そういうと、先輩はサブバッグを開いていつもの一つ目のオバケのお面を取り出して付けた。踊り場の、明かり取りの窓から射す光がそれを照らす。


 崩れそうだった空は、持ち直して今は晴れ間がさしている。


「これで……三つ否定できたな」


 先輩はそうつぶやいた。


「さ、もう行ってくれていい」


 一つ目のオバケが言う。


「私は少し、ここですることがあるから」


 もう何もない踊り場で何をするというのだろうか。


 と思っていると、


 先輩は僕の心を見透かしたかのように言った。


「テレパスでないきみには、きっとわからないよ」





 校舎から正門の近くまで歩いてくると、まだ卒業生たちがたくさん残っていて、くだらないことをしゃべったり、校舎と一緒に写真を撮ったりしていた。


 僕も一年後にはこうしているのだろうか。まだ全然、実感はわかないけど。


 そんなことを思いながら、門の外に出ると、


〝卒業式。一年後にはわたしにも訪れるのですね……〟


 頭の中に声がした。


〝これからの一年の間に〟


 これは間違いなく、


〝砂の柱にさえされなければ……〟


 沙鳥の声だ。


 テレパシーが聞こえてくるということは、どうやら近くにいるらしい。というか、門を出てすぐのところに、塀を背にして突っ立っていた。


 ホームルームのあと、待っていてくれるように僕が頼んだのだ。


〝沙鳥〟


 僕はスマホを見ているような振りをして立ち止まった。本当は、見えてるんだから話しかければいいんだけど。


〝おや、この声は〟


 沙鳥は僕に念じてきた。


〝在校生の声です〟


〝ざっくりしすぎだろ〟


 間違いじゃないけど。


〝沙鳥……。さっきはありがとう〟


 僕は素直に感謝の気持ちを述べた。悔しいけど、今日ばかりは沙鳥に助けられてしまった。


〝芯条くん……〟


 沙鳥は念じてきた。


〝これは貸しです〟


 沙鳥らしい返事だった。


〝ああ。どっかで返すよ〟


〝やったーです。じゅるる……〟


 食べ物で返すことに決まったらしい。


〝なあ、沙鳥〟


 僕は気になることを聞いた。


〝なんで最近、テレパシーしてこなかったんだ〟


 この前、沙鳥は教えてくれなかった。


〝ふふふです。冥土の土産に教えましょう〟


 僕は殺されるのか。


〝女に悪いと思ったのです〟


〝女?〟


〝芯条くんの女です〟


 言い方。


〝芯条くん、バレンタインにチョコをもらったと話していました。ひょっとしたら、その子と、それから……いい感じなのかもと思ったのです〟


 いい感じ、と伝える時に、沙鳥は珍しく言葉を選んだ。


〝だとしたら、その子の知らないところで、わたしが芯条くんとテレパシーなんか飛ばしていたら、申し訳ない気がしたのです〟


 なるほど。つまり、ただの勘違いだったのか。


〝いないよ、そんなの〟


 僕がはっきり伝えると、沙鳥は念じ返してきた。


〝カモノハシがですか?〟


 いや、カモノハシはいる。


〝女がだよ〟


 僕はスマホを見ている振りを続けながら沙鳥に念じた。


〝あのチョコは……実験のチョコだったんだって〟


 本人がそう言っていたんだ。


〝なるほどです〟


 沙鳥は念じてきた。


〝遺伝子組み換えチョコですね〟


 全然伝わってないけど、納得してくれたからまあいいか。


 そうこうしている間に、卒業生たちも少しずつ減ってきていた。


 これからお祝いでもするのか、グループで帰る人。大事そうに卒業証書の筒を持って一人で帰る人。色々だった。


 あと一年。


 あと一年経っても、僕と沙鳥は、こんな感じでテレパシーのやり取りをしているのだろうか。来月には進級する。クラスだって違うかもしれない。


 テレパシーだっていつまでもあるわけじゃない。


 どうなるのかは、今の僕には予想もつかなかった。


 今の僕にわかるのは――


〝……沙鳥〟


〝なんです?〟


 念じてから、僕は沙鳥の方に向き直った。沙鳥も気づいてこちらに顔を向ける。長い髪が少しだけ揺れた。


〝一緒に帰ろうか〟


 なんとなく、


 そう言わなきゃいけない気がした。


 いや、そう言いたかった。



 今の僕にわかるのは――沙鳥が今、僕の言葉が届く距離にいるってことだけだ。



 沙鳥は僕の顔を見ると、口を開かずに返事をした。


〝芯条くん――〟





〝――おうちの方向、逆です〟





 そうだけど、さ。

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