送辞
体育館が、一年で一番の緊張に包まれていた。
卒業式だ。
卒業するのは先輩たちで、僕らは出席しているだけだけど。
先輩たちが一人一人、名前を呼ばれて壇上にのぼり、校長先生から卒業証書を授与されていく。
「卒業証書。
今日ばかりは校長先生もふざけない。いつもの集会と違って、今日は校長先生の言葉に誰もが耳を傾けているからだ。
「卒業、おめです」
多少はふざけている。
初めて名前を聞いたエイミイコという名の女子の先輩が、校長先生から証書を受け取り、壇上から下りていった。
僕は部活動をしていない。だから、三年生の知り合いはほとんどいない。
「大野央花!」
また、初めて聴く名前が呼ばれる。
「はい!」
返事をした声に聞き覚えがある。
壇上にのぼったのは、女子だった。誰もが振り返る美人なんて見たことないけど、誰か一人挙げろと言われたら、僕ならこの人の名前を言うだろう。すっと伸びた肩で、颯爽と歩いている。
あれはO先輩だ。
「卒業証書。
O先輩は、オオノ先輩だったのか。ちゃんと自分の名前からとったイニシャルをつけていたらしい。変なところで真面目な先輩だ。変な人なのに。
いつもは、お面をつけて変な人なのに。
今日は、お面をつけていないし。
それに今朝、
先輩は――
朝。春の陽気からはまだ遠い寒空を歩き、僕は普段よりも早く学校に来た。
卒業式の前に特別な準備があるわけじゃない。ただ、ある人に呼び出されたから早く登校したのだった。
やって来たいつもの踊り場は、いつもと様子が違った。ソファも机もオカルトの本が詰まった棚もなく、それは本来あるべき踊り場の姿だった。
三年生が卒業すれば、ここを非公式な部活に使う人もいなくなる。それで、きちんと片づけたのだろう。
「やあ、よく来てくれたな」
この踊り場では、聞きなれた声がした。
今日まで三年生の、O先輩。
卒業式だからといって特別な礼服は着ない。だから先輩も、普段と何ら変わらない制服姿だ。
ただ、いつもと違うところがある。
「お面してないんですね」
O先輩はいつも、一つ目オバケのお面をつけている。学校でもだ。
ところが、今日は素顔をさらしている。僕みたく、前に一度素顔を見たことがある人間でないと、この人が誰かわからないだろう。
お面を外した先輩は、ただの美人だからだ。
「卒業式にまで珍妙な面を付けていくほど、常識のない私ではないよ」
そういうと先輩は子供っぽい笑顔を見せた。端正な顔立ちとギャップがある。この人はたぶん、変なお面で変なことを言ってなかったら、さぞかし異性に好かれたんじゃないだろうか。
きらきらした中学校生活を丸ごと放棄して、オカルト否定研究部なんて訳のわからないものに時間を費やした、O先輩の三年間を勝手に思う。
それも、今日で終わりだけど。
「いい天気だな」
先輩は珍しく、天気の話なんてしてきた。
「そうでもないです」
雨は降ってないけど、いい天気というほどでもない。先輩には悪いけど、卒業式日和とは言い難い。
「まるで我々、卒業生の未来を暗示しているかのようだ」
「だとしたら暗雲ですけど」
どちらかといえば、これから晴れそうというより、崩れそうだ。
「だが、心配することはない。なぜなら、空が特定の人間の未来や心情を暗示するなんてことはありえない」
自分で言い出したんじゃないか。
「まあ、晴れてほしかった気もするが」
偏屈な先輩でも、卒業式くらいは晴れてほしいらしい。
「さて、同志S」
O先輩は僕のことをそう呼ぶ。初めて会った時からずっとだ。
「なぜ、私に呼び出されたかわかるかい?」
「……さあ」
僕が怪訝そうな顔をすると、O先輩はわざとらしく指を振った。
「とぼけるのはよしたまえ。同志Sのことだ。感づいているのだろう」
「全然わかりません」
正直言って、本当にわからなかった。
卒業式の日に呼び出されて二人きりになる、という状況だけみれば、思い当たることもある。
でも、何せO先輩だ。そんな普通の展開を用意しているとは思えない。
「そうか。私の見込み違いだったかな」
先輩は続けた。
「同志Sは、私の考えていることがわかる力があるのではないか、と思ったのだが」
「え……」
「私がきみを呼び出したのは、きみに二つのことを告げるためだ。芯条信一」
先輩はそれから、僕にとって衝撃的なことを二つ言った。
「私はきみがテレパスだと思う」
予想もしていなかった、核心に迫ることと、
「だから、私と交際してほしい」
状況だけをみれば、しごく普通のことを。
「それは……どういう」
「言ったままの意味だ」
戸惑う僕をよそに、先輩はいつもの尊大な態度を崩さずに告げた。
「前に話しただろう? もしテレパスが存在したら、私は交際を申し込む、と」
言っていた。国語の先生のテレパス疑惑を調査したあと、O先輩はたしかにそう言った。
「それで、私はきみがテレパスだと思った。そういうことだ」
「それは……根拠があるんですか?」
「勘だ」
「勘って……」
そんなの、
「先輩らしくないですよ。勘なんて非科学的なものは否定するはずじゃ……」
「テレパシーの存在を認めた人間が、勘を信じないのでは筋が通らない」
筋ならそもそもおかしい。
「……からかっているんですか?」
僕は、最も納得のいく結論を口に出した。
バレンタインのチョコの時と同じ。真っ先に疑うべきはイタズラだ。
「私は、冗談や嘘は好まない」
そのはずだけど。
「だって、先輩。そんな急に――」
「急な話でもない」
先輩はただの美人の顔で、少しの動揺もなく言った。
「バレンタインの日、きみの鞄にチョコが入っていただろう」
「なんで先輩がそれを……」
そのことは僕と沙鳥と、あとは母さんしか知らない。他に知っている人間がいるとすれば、入れた人間だけだ。
「あれは私が入れた」
入れた人間だった。
「本命チョコだ」
「……なんで、じゃあ、今日まで名乗りでなかったんですか」
「決まっている」
先輩はいつもの前置きをして言った。
「いざとなったら、言い出せなかった」
普通すぎる。
「だが、今日は卒業式だ。最後のチャンスと思い、勇気をだしてみた」
先輩が普通の女子すぎる。
「今すぐに返事はいらない。卒業式のあとで、またここに来てくれ」
先輩は一方的にそう言うと、
「いい返事を待っている」
呆気にとられている僕を置いて、踊り場の階段を下っていった。
――今朝、先輩は、僕に交際を申し込んだ。
O先輩がだ。オオミヤオウカ先輩がだ。
誰だ。
オオミヤオウカって誰だ。
そんな人は僕の知り合いにはいない。僕の知っているO先輩じゃない。O先輩は、卒業式の朝に男子に告白なんてしない。
そうだ。きっとエイリアンだ。地球外生命体が、O先輩の体を乗っ取っている。だから僕がテレパスだと気づいたんだ。エイリアンだったらわかるんだ。たぶん。でも、なんでエイリアンが僕と付き合いたいんだ。だったらまだO先輩の方が納得がいく。いや、でもO先輩はエイリアンの存在を否定していた。だから、エイリアンじゃない。いや、むしろエイリアンだから否定してたのか。存在を隠すために。すると最初からエイリアンだったのか。僕がO先輩だと思ってた人は最初からエイリアンで――
訳がわからなくなってきた。
きっと夢だこれは。夢。悪い夢だ。
いや、悪い夢か?
あんなに誰が見ても美人としか言いようのない女子の先輩が僕と付き合いたいと言っているのに悪い夢なのか?
じゃあ、いい夢か? いい夢だったら、OKすればいいのか?
でも先輩は、僕をテレパスだと言う。何の根拠もないんだけど、交際を申し込んだ理由は僕がテレパスだと思うからだと言っている。ってことは付き合ったらテレパスを認めなきゃいけないし、テレパシーを証明しなきゃいけないし、それはできないし、じゃあやっぱり付き合えないし、そもそも――
『――今までのように!』
混乱しすぎた僕は、大事なことを忘れていた。
今は、卒業式の途中だった。
「ぎゃっこーではああ!」
いつの間にか、三年生に向けての送辞が始まっていて、いつの間にか、幼馴染のクラスメイトの女子、
「あえにゃく……なりますぎゃああ!!」
学校では会えなくなりますが、と泣きながら言っている。
句縁は部活をやってるから、きっと仲の良い先輩もいる。式の練習では余裕をぶちかましていたけど、本番になって感極まったんだろう。意外と繊細なやつ。
ありゃ、体育館が静まり返っている。句縁の次は誰だ。早く言いなよ。
……。
……僕だ。
僕だ。句縁の次は僕。何度も練習したじゃないか。学校でも何度も練習したし、家ではもっと練習した。あの練習したフレーズを言えばいい。僕が卒業式で与えられた役目はそれだけなんだ。あのフレーズを、あのフレーズは、
なんだっけ。
どうしよう、ど忘れした。こうならないために何度も練習したのに。最悪だ。O先輩のせいでふっとんでしまった。ふざけんな先輩。いや先輩は悪くない。今は何より思いださないと、なんだ、なんだっけ、えっとえっと――
「あなたの声は――」
体育館に、誰かの言葉が響いた。
そうそれ。あなたの声は、だ。
あれ……?
僕が言うべきことを、誰か別のやつが言っている。
これは、
この澄んだ声は――
「――今も心に響いています!」
――沙鳥の声。
でも、脳の中じゃない。これは隣の列に立っている沙鳥が、口を開いて喉から出した声。空気を振動させて僕の耳に届いた声。
「「「「「「「「「「響いています」」」」」」」」」」
在校生全員が沙鳥の言葉を復唱している。
助かった。
おかげで式が台無しにならずに済んだ。よかった。
沙鳥にお礼を言わなきゃ。
〝沙鳥……〟
僕が礼を入れようと語りかけると、念が返ってきた。
〝……芯条くん〟
〝後にしましょう。今は大事な卒業式です〟
もっともだ。
【つづく】
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