卒業式の練習

 全校生徒が体育館に集合していた。もうすぐ卒業式があるから、その練習をしているのだ。


 卒業式といっても、卒業するのは僕ではない。三年生の先輩たち。


 でも、卒業式には段取りがある。何度も立ったり座ったり、忙しい。このタイミングを頭だけではなく体で覚えなくては。


 さらに、僕らにとって最も大事なのは、在校生から卒業生へ贈る言葉、「送辞」を群読するパートだ。


「卒業生のみなさん! ご卒業おめでとうございます!」


「「「「「「「「「「おめでとうございます!!!」」」」」」」」」」


 こんな風に何度も練習をするから、先輩たちもどんな言葉を贈られるのかは完全にネタバレを食らってしまっているけど、式典ってそういうものらしい。


 いずれにしても、本番までには完璧に仕上げないと。



 なぜなら、僕のソロパートがあるからだ。



 贈る言葉は基本的に、リードする一人が何かを言って、それに呼応する言葉を全体で繰り返す。


 例えば、



「晴れて今日の日を迎えた、その凛々しい姿!」


「「「「「「「「「「凛々しい姿!」」」」」」」」」」


「まぶしく輝いています!」


「「「「「「「「「「輝いています!」」」」」」」」」」



 こんな感じだ。



「ほわっと・あ・びゅうてぃふる!」


「「「「「「「「「「ほわっと・あ・びゅうてぃふる!」」」」」」」」」」



 ……原稿を書いた人物が、なんとなくわかる台本だな。


 基本的にはこんな調子で進むから、前の台詞をきちんと聞いていれば間違えることはない。それに、うっかり間違えたとしても、全体の中で一人だけ声がしないくらいでは何の違和感もない。


 でも、



「入学したばかりで!」


「右も左も、わからなかった頃!」


「先輩たちは、優しく助けてくださいました!」



 こんな風に一人ずつ台詞を言わないといけない部分がある。


 ここでうっかりミスをしてしまえば大きく目立つし、先輩たちにとって一生に一度の卒業式に水を差してしまう。


 絶対に間違えられない。


「――今までのように!」


 おっと、そろそろ僕の番が来る。


「がっこーでは、あえなくなりますが!」


 幼馴染でクラスメイトの女子、句縁が子犬のようにきゃんきゃん響く声で言うのを合図に、僕は自分の台詞を言った。



「あなたの声は、今も心に響いています!」



「「「「「「「「「「響いています!」」」」」」」」」」


 練習といえども、全校生徒の前で一人で台詞を言うのは緊張する。


 普通はクラス委員のやつ、部活で活躍してるやつ、成績のいいやつ、あとは自分で志願したやつがソロパートを担当する。


 そのどれでもない僕がなぜ任されたのかというと、担任の先生に指名されてしまったからだ。


 先生いわく「みすたあ芯条くんなら、真面目に取り組んでくれそう」とのことだ。真面目な僕としては、そんなことを言われたら、ますます間違えられない。


 今日のところはなんとか無難な滑舌と声量で言えた。


 言えた理由は、ある。


 沙鳥蔦羽が邪魔をしてこないからだ。


 沙鳥は僕と同じクラスで、斜め前の席に座っている女子だ。物憂げな眼差しでほとんと口を利かす、大人っぽい落ち着いた性格だとみんなに思われている。


 ただし、それは見せかけで、本当の沙鳥はうるさい。僕にだけ聞こえる沙鳥のテレパシーは、とてもおしゃべりだ。


 だから授業中、僕は沙鳥のテレパシーに邪魔されて、勉強がちっともはかどらないという事態にしばしば陥っている。


 その沙鳥が、どういうわけか邪魔をしてこないのだ。


 テレパシーには、可聴範囲のようなものがある。式の沙鳥の席は、僕の隣の列の少し前の方。余裕で念が届く位置にいる。


 だけど、邪魔をしてこない。


 邪魔をするものがいなければ、事態はスムーズに運ぶ。僕も本来の実力が出せて、つまずくこともないという好ましい事態になっているのだ。


 ……。


 しかし、沙鳥はなぜ邪魔をしてこないのだろう。


 練習は今日始まったわけじゃない。もう何度か重ねていて、今回が全学年合同で行う練習としては最後の日だった。


 沙鳥はどの練習でも、黙っていた。


 そして、


 そういえば卒業式の練習に限らず、沙鳥は最近、あまり自分からは僕にテレパシーを飛ばしてこない気がする。




 

 チャイムが鳴って、帰りの会が終わった。


「卒業式はすぐそこ。かみんぐすうんです。先輩たちのために、ぐっどなせれもにいにしましょう。しいゆう」


 英語教師らしからぬへたくそな発音の英語で、僕たちは解放された。


 と、同時にポケットに入れていたスマートフォンがブーと振動した。何の通知か確認したいところだけど、今はそれどころではない。


 僕は誰かの連絡を後回しにして、いま逃がしてはならないやつに呼びかけた。


〝沙鳥〟


 声ではなくテレパシーで。


〝おや、この声は……〟


 斜め前の席の沙鳥は、鞄に教科書やノートを詰めながら念じ返してきた。


〝最近の芯条くんですね〟


 間違ってはないけど、なんだそれ。


〝なあ、沙鳥。ちょっと聞きたいことがあるんだけど〟


〝プライベートな質問はNGです〟


〝全部プライベートだろう〟


 ただの中学生なのだから。


〝では、すべてNGです〟


〝なんで、卒業式の練習で、僕の邪魔をしてこないんだ?〟


 僕が聞くと、少し間が空いてからテレパシーが返ってきた。


〝質問はすべてNGとしています〟


〝おかしいじゃんか〟


 じっとしているのもまわりから変に思われそうなので、僕は机の中をごそごそと何か探すような振りをしながら、念を送った。


〝卒業式なんて、一番真面目にやらなきゃいけない行事だ。しかも、僕には一人で言わなきゃいけないセリフまである〟


 つまり練習とはいえ、絶対にふざけられない緊迫した状況。


〝それなのに、沙鳥がテレパシーで邪魔しないなんてどうかしてる〟


 こんな絶好のチャンスを、沙鳥が見逃すはずがない。


〝最近の芯条くん。そもそも、わたしは芯条くんを邪魔しようなんて思ったこと、一度もありませんよ〟


 嘘つけ。


〝じゃあ、なんでやたら声かけてくるんだよ〟


〝企業秘密です〟


〝プライベートじゃなかったのか〟


〝それに、です。どうかしてるのはそちらです〟


 沙鳥は念じてきた。


〝最近の芯条くんは、わたしにテレパシーで邪魔をされないのが、残念なのですか?〟


 珍しく、沙鳥がもっともなことを言った。


 そうだ。これでは僕がまるで、沙鳥に邪魔をしてほしくてしょうがない人みたいではないか。


〝そんなことはないけど〟


〝それなら、何も問題はないじゃないですか〟


 まったくだ。でも、


〝……問題はあるよ〟


 なぜなら、


〝今まで普通にあったことが、突然なくなったら気になるだろう。沙鳥は前に、謎のサプライズみたいなこともやってきたし〟


 夏休みよりももっと前に、やはり沙鳥のテレパシーが全然とんでこなくなることがあった。


 あの時は沙鳥が誕生日で、なぜかその誕生日の沙鳥が、誕生日でもなんでもない僕にサプライズを仕掛けるために黙るという、今思い返しても意味不明な理由があった。


 ……待てよ。


 それじゃ、ひょっとして今回も、


〝まさか、沙鳥。これはいわゆる、フリってやつなのか?〟


〝イガイガのですか?〟


 たぶん栗だけど、今はそんな指摘はいい。


〝ぎりぎりまで邪魔をしないと見せかけて、一番大事な本番になって急に、ここぞとばかりに妨害してくる気なのか?〟


 沙鳥なら、そのくらいの下準備はやりかねない。


〝ふふふふです、最近の芯条くん。一つ教えてあげます〟


 沙鳥は、いつものように澄んだ声色のテレパシーで念じてきた。



〝わたしは芯条くんのことばかり考えているわけではないです〟



 珍しく、


 沙鳥が、


 めちゃくちゃもっともでまったくな、その通りとしか言いようのないことを言ってきやがった。


 そりゃそうだ。


 話し相手が、テレパシー相手が僕だけしかいないからと言って、別に沙鳥の生活は、僕を中心に回っているわけではなかった。


〝そんな話はしてないけど……〟


 しかし、そんな話をしているようなものだった。


〝わたしは、もっと他にもいろいろ考えないといけないことがあります。ぎゅうひのこととか〟


 僕は、おもちのニセモノみたいなのに負けた。


 教室には、もうほとんど人が居なくなっている。このまま二人きりになってしまったら気まずい。


〝まあ、です。安心してください〟


 沙鳥もそれを察したのか、かばんにノートやらなにやらを詰め終えた。


〝本番でも、最近の芯条くんを邪魔したりするようなことはないです〟


 席を離れて歩きだす沙鳥の背中に、僕は何か念を投げかけようとして、でも、なんと言えばいいかわからなかった。


 すると沙鳥は立ち止まって念じてきた。


〝……最近の芯条くん――〟



〝――いくら心配だからって、朝から帰りまで、頭の中でずっと送辞のセリフばかり繰り返しているのは、どうかと思いますよ?〟



 まさか、


 沙鳥に常識的なダメだしをされるなんて。


〝それでは、see you〟


  担任よりもはるかに発音のいい挨拶を残して、沙鳥は教室を出ていった。

 

 屈辱だった。


 いや、それ以上に何かショックだった。


 僕は普段と違う沙鳥の様子に、いろいろと考えをめぐらせていたのに、沙鳥の方は僕のことなどてんでどうでもよく、むしろ、煙たがってさえいたようなのだ。


 僕はすぐに帰る気にもなれず、おもむろにスマートフォンを手に取った、通知が一件来ている。そういえば、さっき一回鳴っていた。


 確認すると、メッセージアプリに通知が来ていた。


 それは、

 

 ある人からの、


 

 卒業式の朝に話したいことがある、という内容のメッセージだった。

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