二月十五日
二月十四日に、チョコをもらった。
正確にはもらったというより、見つけた。いつもと変わらない一日を過ごし、普通に学校から帰って鞄を開けると、箱入りのチョコが無造作に入っていた。
市販のチョコだ。特に手作りとかではなく、特に高価なものでもない。スーパーとかで普通に買える、食べたことのあるやつ。箱に何個か入っているやつ。
しかも無造作に放り込まれていた様子だったから、ひょっとしたらくれたのではなく、誰かが間違えて僕の鞄に入れたのかもしれない。
でも、もらったという線もないこともない。
でも――誰だ?
バレンタインに、僕にチョコを渡すような人物はいないはずだ。
「信一。はい、チョコ」
母さん以外には。
「……母さん。勝手に部屋入ってこないでよ」
僕はむきだしのポッキーを素手で渡してきた母さんに言った。
「ちゃんと断ったわ。心の中で」
「聞こえないよ」
「……血縁なのに?」
「無理だよ」
血縁だから心の声が聴こえるとか、そんなのない。
血縁以外に通じるやつはいるけど。
「ほら、母さんの手がベトベトになる前に受け取りなさい。友チョコを」
「友じゃないじゃん」
「あら、嬉しい。友達以上だと言ってくれるのね」
「血縁だからね」
母さんがベトベトになった手を僕の部屋の絨毯か何かで拭き取る未来が予想できたので、僕はポッキーを受け取った。そういう母だ。
「ふう、義務終了」
義務って。
「母さん」
「なにかしら、一親等?」
息子を親等で呼ぶな。
「朝、僕の鞄に、勝手に何か入れた?」
そういう謎の行動をする母だ。
母はにこりともせずに言った。
「入れたわ」
やっぱり。
「リアルなヤモリのオモチャを」
「なんで」
あらためて鞄をくまなく調べてみると、本当に内側のポケットに入っていたので大変驚いた。
翌日。
「おはようございます。ぐっどもおにんぐ、くらす――」
先生の声も上の空で、僕は誰が鞄にチョコを入れたのかについて考えていた。
バレンタインにチョコを渡すのは基本的に女子だ。なぜなら、女子が意中の男子にチョコを渡す行事だからだ。
しかし、世の中そんなに、基本に忠実にはならない。
まず疑うべきはいたずらだ。
女子が意中の男子にチョコを渡す行事だからこそ、それを偽装することで渡された相手をからかうことができる。
自分のことを意中にしている女子がいるのかも、と浮かれきった様子をさんざん観察したあとで、意中でも女子でもない人間が贈り主だったことが明らかになり、その落胆ぶりをあざ笑うのだ。
なんて残酷な話だ。
でも、そんな残酷な仕打ちである以上、ネタばらしをしたあとも気まずくならない程度に、仲が良くないとやりにくい。ただ接点の薄い他人を貶めて笑いたいだけの非道なやつはこのクラスにはいない……と思う。
となると、今も僕の前の席に座っている――宇佐美だろうか。このクラスでは最もよくしゃべっている男子だ。
いや、宇佐美はないだろう。
気になる女子ランキングなんてものを個人的につけている宇佐美だ。きっと昨日は、自分が女子からチョコをもらえるかも、という期待で頭がいっぱいだったはず。実際そんな話をしていた。わざわざ僕をからかうような余裕はなかっただろう。
そうすると、一番前の列に座っている――句縁だろうか。句縁は子供の頃から知っている、幼馴染の女子だ。
いや、句縁はないだろう。
女子らしさこそ控えめだけど、句縁は女子だ。いたずらの形とて、勘違いされかねない行動は取るまい。あんな小さななりで、部活の後輩女子、あるいは男子に慕われているから、句縁自身がチョコをもらっている可能性はあるけど。
となると、他に考えられるのは、
〝芯条くん〟
僕の斜め前の席に座っている女子――
〝芯条くん、芯条くん〟
――沙鳥だ。
僕と沙鳥は、声をかわさなくても頭の中だけで言葉のやり取りができる「テレパス」と呼ばれるタイプの超能力者。
〝……なんだよ、沙鳥〟
たぶんこの世でたった一人、僕とテレパシーを交わすことのできる相手だ。
〝世の中には、縦に歩くカニもいるそうです〟
話題は脈略のない無駄話ばかりだけど。
〝……へえ〟
声を出して喋ったことはない。でも、テレパシーの会話も数に含めるのであれば、このクラスで最も言葉を交わしている女子だ。向こうが一方的にしゃべっていることも多いけど。
宇佐美や句縁でないとすると、いたずらでチョコを渡してくるような関係のやつは、あとは沙鳥しか残ってない。
残ってないけど……、
どうだろう。沙鳥がもし学校にチョコなんて持って来ていたら、渡す前に自分で食べちゃうんじゃないだろうか。こいつはそれくらい食い意地が張っている。
〝横に歩くカニと、味も違うのでしょうか。じゅるる〟
ほらね。
〝それはさておきです〟
自分で言い出したくせに。
〝芯条くん、わたしに――〟
沙鳥は念じてきた。
〝――何か言うべきことがあるんじゃないですか〟
言うべきこと?
〝……なに?〟
〝むむむ、です。ひどいです、芯条くん。わたしに言うべきことがあるでしょう。ちゃんと自分の大胸筋に問いかけてみてください〟
いつ僕が筋肉キャラになったんだ。
いや、そんなことより、沙鳥が僕に何か発言を促している。これはひょっとして、
沙鳥がチョコをくれたのか。
他に思い当たるフシもない。
〝ほら。昨日の今日です、芯条くん〟
昨日の今日、とまで言いだしたから間違いない。やはり、チョコの犯人は沙鳥だったようだ。
……で、なんて言えばいいんだ?
いたずらで渡されたのだから、ここは怒るべきなんだろう。「なんだよ、期待して損しちまったぜ」という具合に。
でも、鞄にチョコを見つけたのは昨日だし、贈り主の正体がぼんやりしたままで一晩過ごして今に至る。そして、今、すごく雑な感じでネタバラシをされた。
素直に「おい!」と怒るようなテンションでもない。
強いて怒るポイントがすれば、いたずらそのものに対してよりも、その計画のいい加減さについてだ。
鞄の中身のチョコを僕がいつ見るか、そもそもちゃんと見つけるのかどうか、きちんと予想できていない。
それに、ドキドキさせたいならチョコのチョイスをもっと考えるべきだ。手作りでないにしても、もう少し高価なのにするとか。あるいは、せめてプレゼント用の包装にするとか。
それに、こういういたずらをするなら、僕がチョコをもらって浮かれている姿をちゃんと確認しないと犯人としてはおもしろくないだろう。ネタバラシのリアクションだけではちょっともったいない。
まったく、これでは、いたずらとして成立してないじゃないか。
……。
……待てよ。ということは、
これは、いたずらじゃないのか?
沙鳥は女子だ。
女子からチョコをもらったのだから、これはよくよく考えてみればバレンタインの基本に忠実な事例といえる。
つまり、女子が意中の男子にチョコを渡しただけ。
いやいや、そんなはずはない。だったら沙鳥といえども、もう少し演出するだろう。市販の安いチョコを雑に鞄に放り込むなんて。
だいたい、沙鳥が僕をそういう風に思っているとはとても思えない。普段の言動、いや念動からは、そんな様子はまるで感じない。
これは、いわゆる義理チョコ……いや、むしろ詫びだ。詫びチョコ。
沙鳥にも案外律儀なところがあって、日頃から迷惑をかけている僕にチョコで詫びを入れようっていう、そういう……。
いや、沙鳥に限ってそんなことはないな。
考えてもわかりそうにない。
沙鳥の目的は不明だけど、何よりとりあえずチョコの感想は言うべきだ。食べ物をもらったら味の感想を言わないと礼儀に反する。
なぜなら、僕は真面目だからだ。
〝ほら、芯条くん〟
〝ああ……えっと……。ありがとう。美味しかったよ〟
市販の食べたことある味だけど。
〝美味しかった……。何がです?〟
〝いや、だからチョコが〟
〝チョコ? チョコがあるんですか?〟
あれ……。
〝……昨日、チョコくれたのって、沙鳥じゃないの?〟
〝何言ってるんですか、芯条くん。わたしですよ? チョコがあったら、たとえお供え物でも食べます〟
ばちあたりめ。
でも、そうか。チョコは沙鳥じゃなかったのか。じゃあ、
〝言うべきことって、なんだったの?〟
〝昨日、カニの豆知識対決しようぜって言ったじゃないですか。なのに、どうしてわたしは教えたのに、芯条くんは教えてくれないんですか〟
そんな盛り上がらない対決を約束した覚えはない。
〝いつそんな話した?〟
〝帰り際に、芯条くんにテレパシーが届くか届かないかのぎりぎりで言いました〟
別れ際にする話じゃない。
〝じゃあ、届いてなかったよ〟
〝なんてことです。昨日、帰ってから、カニの豆知識を二つも調べたのに……〟
対決する気ならもっと調べた方がいい。
〝沙鳥の勝ちでいいよ〟
面倒だから。
〝戦意のないものに勝っても空しいだけです〟
武人。
〝というか、もうカニなんてどうでもいいです。芯条くん、チョコをもらったって本当ですか?〟
〝ああ……。うん〟
嘘ついてもしょうがない。
〝家に帰ったら、鞄に入ってた〟
〝そんな……ショックです……〟
え……。
ショックなのか。
僕が女子にチョコをもらったら、沙鳥はショックを受けるのか。
ということは、
やはり沙鳥は、
〝なんで一人で食べてしまうんですか。ずるいです〟
やはり沙鳥は、
単なる食い意地の張ったやつだった。
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