豆
暖房のおかげで、寒さに震えずに済んでいる。そんな教室で、僕はいつも以上に授業へと集中していた。
期末考査が近づいている。
三学期だから、期末考査であり学年末考査でもある。つまり、一年の集大成ともいうべき成績が出る。
英語の先生の指導にも気合いが入っていた。
「ばっど! わあす! わあすと!」
発音は相変わらず怪しいけど。
「このように比較級、最上級で特別な形になる単語があります! 期末試験に出るかもしれません! おあ! 出ないかもしれません!」
どっちなんだ。
「どんとふぉおげっと! どんとふぉおげっと、ふぉおえばあ!」
出るんだなこれは。
〝芯条くん〟
先生の気合いに応えて、こちらも本気で覚えなければ。
〝芯条くん、芯条くん〟
終わりよければすべてよし。
期末テストではなんとしても良い成績を残すのだ。
〝おや、返事がありません〟
余計なことにかかわっている余裕はない。
〝ひょっとして、今わたしの斜め後ろにいるのは、芯条くんではなくて――〟
沙鳥にかかわっている余裕はない。
〝しんじゃうくんですか?〟
〝誰だよ〟
縁起でもないことを言われたので、かかわってしまった。
〝よかったです〟
〝勝手に瀕死にするなよ〟
〝失礼しました。しんじゃうくんではなくて、ちゃんと、いきちゃうくんでしたね〟
それも誰だ。
〝芯条です〟
僕、芯条信一と沙鳥蔦羽は、口から声を発さなくても頭の中だけで言葉のやり取りができるテレパスだ。
そして沙鳥は授業中に、まったく関係のない話を脳内で仕掛けてきて僕の集中力をそいでくる。
特に英語の時間はそれが多い。沙鳥はなぜか、英語が帰国子女レベルで話せるから暇なのだろう。
〝沙鳥。今、無駄話してる時期じゃないんだ〟
学年末が迫っているのだ。
〝わかっています。いよいよ時期が到来です〟
おや。
のんきな沙鳥といえども、やはり期末考査はおろそかにはできないらしい。
〝お豆の季節が到来です〟
おろそかだった。
〝そんな季節は来ない〟
〝何を言っているんですか、芯条くん。それでもjapaneseですか〟
そういう怒り方をするなら、日本語で言うべきだ。
〝芯条くん。今週です〟
〝何が?〟
〝節分です。節の分です〟
節分はそんな風に分けない。あと、
〝お豆の季節なんて言い方しないよ〟
〝お豆をたくさん食べるじゃないですか〟
食い意地がとにかく張っている沙鳥にとって、節分は食のイベントだった。
〝沙鳥。どっちかっていうと、豆をまくイベントだよ〟
食べるよりまく方がメインだろう。
〝わかっています。掛け声がありますね。鬼は外、福は内〟
沙鳥としては珍しく、正確な情報だ。
〝豆は腹〟
余計な一節さえなければ。
〝……そんなにあの豆が好きなの?〟
〝だってです、芯条くん。あのお豆、異常に美味しくないですか?〟
〝わからなくもないけど……〟
たしかにあの豆、意外とおいしい。
〝毎日でも食べたいくらいです〟
〝さすがに飽きるだろ。年に一回くらいだから美味しく感じるんじゃないかな〟
〝ということは……十年我慢したら、どれだけ美味しくなってしまうのですか〟
そんな地味なチャレンジ誰がやる。
〝じゅるる……。気になるところですが、十年我慢できる自信がありません〟
沙鳥には無理だろうな。
〝そもそも、年の数だけしか食べてはいけないだなんて、ホクホクです〟
ホクホク?
〝いつから芋の話に?〟
〝間違えました。酷です〟
難しい間違え方。
〝年の数ということは、去年が十三マメでしたから……〟
そんな数え方はしない。
〝今年は、二十七マメですね〟
沙鳥が一年でアラサーに。
〝詐称するなよ〟
〝ちっ、鋭い小豆め〟
〝小僧です〟
小僧でもないけど。
〝でもです。だいたいのみなさんは芯条くんより鋭くないですから、わたしがサバを熟読しても気づかないでしょう〟
十三も読んだらたしかに熟読だ。
〝二十七はさすがに無理があるだろ〟
〝むむむ、です。では十七なら、どうですか〟
〝それくらいなら、まあ〟
〝大観衆を欺けますか〟
〝そんな大勢の人の前で食べるの〟
〝いえ、父と母のみです〟
〝じゃあ、年はごまかせないよ〟
最も年齢を偽れない相手、それが親。
〝ですが、父も母も血縁の年齢には疎いです〟
どんな親だ。
〝特に父は、久しぶりに会った親戚の子に、「いくつになったんだ?」と必ずと言っていいほど尋ねます〟
〝それは久しぶりに会ったからだよ〟
毎日顔を合わせる中二の娘の年齢を忘れるか。
〝沙鳥の年はわかるだろ〟
〝くっ、です。そうですね……。ポリ公ですしね〟
口が悪い。
〝わかりました。では、こうなったら……お豆の前借りです〟
節分の豆のことだけで、よくこんなに語れるな。
〝お豆の前借り?〟
〝来年食べる予定の豆を、先に今年食べてしまうのです。今年が十四マメ、来年が十五マメですから〟
沙鳥は計算した。
〝三十マメです〟
〝一マメ盛っただろ〟
〝ちっ、鋭い大豆め〟
でかくなった。
〝二十九豆食べられるのです。本来なら二十九歳にならないと食べられない量を十四歳にして食べられるのです〟
〝でも、沙鳥。それだと、来年は一マメも食べられないけど〟
前借りとはそういうものだろう。
〝それなら、来年は再来年の分で十六マメ……。いえ、今年より減ってしまうと物足りないですね。さらに次の年の分も、いえ次の次の年の分も足して……〟
沙鳥、計算中。
〝うんと食べます〟
数学は苦手な沙鳥。
〝でも、沙鳥。そうすると、十六、十七、十八歳の時はゼロマメだけど〟
〝うう、です。高校三年間を棒に振るのは嫌です〟
豆が食べられないだけで、棒に振る高校生活なのか。
〝では、向こう十年分のお豆を前借りして、三年間ゆっくり食べましょう〟
なぜそんなややこしいことを。
〝いや、でも、そうすると今度は高校卒業したあと十年食べられないよ〟
負債が貯まる一方だ。
〝では、二十八歳の時に十年我慢した豆が食べられるわけですね。じゅるる……〟
ポジティブ。
〝ううう、です。でもやはり、十年も我慢する自信がありません〟
ネガティブ。
〝我々は大人しく年の数だけお豆を食べるしかないんでしょうか……。そんな世の中でよいのでしょうか〟
〝よいと思う〟
誰も困らない。
〝ぽん、です。思いついたのです〟
沙鳥が脳内の拳を、脳内のてのひらに打ち付けた。
〝年の数だけしかお豆を食べてはいけないという、ルールの方を変えてしまえばいいのです〟
そもそも、みんなそんな忠実に守ってないと思うけど。
〝時代は移り変わるもの……。現代にそぐわない悪しき慣習は滅ぶべきです〟
そんなシリアスな話だっけ。
〝古いしきたりは捨てましょう。新しい時代の節分は、お豆を年の数よりも――〟
沙鳥は改革案を練った。
〝――四マメまで多く食べてもいいことにしましょう〟
熱意のわりに大人しい改革だった。
〝次の選挙は、そういう方針の党に投票します〟
そんな党も、沙鳥の選挙権もまだない。
〝候補者にお豆をぶつけて応援します〟
〝それむしろ嫌がらせだよ〟
そこで、チャイムが鳴った。
「――はい! ということで、特別な比較級と最上級、頭に叩き込みましたね! へっど、ひっと!」
ごめんなさい、先生。
沙鳥の豆漫談のせいで、ヘッドにヒットできませんでした。
〝沙鳥。授業、終わっちゃったんだけど〟
〝そのようです〟
他人事かい。
〝沙鳥は英語得意だろ?〟
〝それはもう、朝メシです〟
〝前だろ〟
メシそのものなのか。
〝じゃあ、テストに出そうなところ教えてくれないか〟
こんなにも、本当にまったく意味のない情報でさんざん授業の邪魔をしたんだから、少しはつぐなってもらわないとさすがに怒る。
〝やれやれ、です〟
そっちが呆れる筋合いはないけど。
〝仕方ないですね。それでは、お詫びに一つ表現をお教えしましょう〟
珍しい。沙鳥が勉強の役に立ってくれるなんて。
言ってみるものだ。
〝He knows how many beans make five.〟
先生よりも、確実に流暢な英語が脳内に流れ込んでくる。
〝……なんて言ったの?〟
〝「彼は豆がいくつあれば五つになるか知っている」〟
〝豆はもういいんだけど〟
お腹いっぱいだ。
〝……で、どういう意味なの?〟
〝「抜け目のない人」ということです。つまり――〟
〝――「彼は鋭い小僧だ」です〟
学年末に、出るかな。
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