古い雑誌と今

 本ばかり整然と並ぶ国語準備室に、僕の声が静かに反響した。



「――これは、先生なんじゃないですか」



 十年前にオカルト雑誌に載っていた元テレパスの少年「K君」の正体が、国語の先生なのではないか。


 僕はO先輩の命で、それを本人に尋ねるためにここへ来たのだ。


「これが僕?」


 先生は、特に動揺するでもなく聞き返してきた。


「なぜ?」


「写真の後ろの、鏡を見てください」


 顔は隠されているけど、記事には写真が数枚載っている。K君は会議室のような場所で質問に答えていて、部屋の中には姿見の細長い鏡が置かれている。


「ここ、サブバッグの名札が見切れています」


 鏡には壁際のソファに置かれたサブバッグが映り込んでいて、ネームプレートにマジックで書かれた苗字が見切れてしまっていた。


「先生と同じ苗字です」


 先生は、写真をまじまじと眺めた。


「別に珍しい苗字じゃない」


 その通りだった。クラスに一人とは言わないまでも、学年に一人くらいは居そうな苗字だ。


「こっちの写真を見てください」


 別の写真。鏡は映ってないが、こっちはサブバッグ本体の逆側が見切れている。


「これは余所見よそみ北高校の校章です」


 サブバッグには校章がデザインされている。生地がたわんでいるから、歪んでわかりにくくなっているものの、僕の住む市にある余所見北高校のものに見える。


「先生は余所北よそきたの出身ですよね」


 職員名簿と、おそらく昔なんとなく作って全然更新していないのであろうSNSのアカウントを照らし合わせて、先生の経歴は確認できた。


「ああ」


「この本が発売された年は、ちょうど高校二年生だったはずです」


「そうなるな」


 クラスに一人とは言わないまでも、学年に一人くらいはいる苗字。


 つまり、この年に余所見北高校の二学年に在籍していたこの苗字の少年は、先生であった可能性が高い。


「教えてください。K君は、先生なんですか」


 先生はしばらく写真を眺めてから、やがて口を開いた。


「こんな、鏡に見切れてる名前によく気づいたね」


 もちろん、この本を見つけて名前に気づき、推理したのは僕じゃない。オカ否研の先輩たちた。


 たぶんB先輩だろう。O先輩は勢いが先走っているだけで勘はポンコツだけど、B先輩はあれでなかなか頭が切れる人だ。


「結論から言おうか」


 先生は僕に向き直って言った。


「僕は、Kを知っている」


 知っている、


 ということは本人ではないのか。


「知ってはいるが、しかし、彼が超能力者だったかどうかはわからない」


「親しくなかったんですか?」


「親しければ、なんでも話すというものでもない」


 それはそうだ。僕だって幼馴染の句縁にも、クラスで一番仲の良い宇佐美にも、自分がテレパスであることは話してない。


 知っているのは、同じテレパスの――沙鳥だけだ。


「いいか。この記事のKの発言には『見知らぬ女の子の声がたびたび頭の中に聞こえてきた』とある。僕の知るKもそう言っていた」


 先生は授業の時のように、教えるような口調で僕に言った。


「一方通行なんだよ。Kの方はテレパシーを送れたわけじゃない。だから、こうも考えられる。彼が他人の心を読み取れるテレパスなのではなく、女の子の方が、一方的に誰かへテレパシーを送れるテレパスなのだと」


 なるほど。でも、


「それは……同じことじゃないですか」


「そうかもしれない。しかし、だからといって、どちらかがテレパスと決めるのも、どちらもテレパスだと決めるのも違うだろう」


「そうですね……」


 確かなことは言えない。でも、


「でも、逆に言えば……どちらかは、テレパスですよね」


「そうなるな」


 先生はうなずいた。


「いずれにしても、女の子の方は、この不思議な現象が起きていたあいだも、何も知らずに普通の日常を生きていた」


 そうか。仮に自分の方が能力者だったのだとしても、本人は知る由もない。


「だから、声の主に出会うまでは、ただの妄想の声が聴こえているのかもしれないと、不安だったのじゃないかな。Kは」


 沙鳥が謎のサプライズでテレパシーを送ってこなくなった時、僕は今までの沙鳥は幻だったんじゃないかと疑った。


 K君も同じような疑いを抱いていたのかもしれない。


「……やっぱり、先生がK君なんじゃないですか?」


 他人の話にしては、心の中まで知りすぎているような気がする。


「……」


 先生は言った。


「芯条。きみが聞きたいことはそれか。他にも聞きたいことがあるんじゃないか」


 図星だった。


 先輩に命令されたからとかじゃなくて、僕はもしテレパスの経験者に話が聞けるなら、尋ねたいことがあった。


「……どうして、そう思うんですか?」


「テレパシーだよ」


 そう言ってからすぐ、


「なんてな」


 先生は授業で一度も見たこともないような笑みを浮かべた。


「大人は顔でだいたい察するものだ」


 ジョークを言うような人だったのか。


「間違っていることも多いが」


 僕は少し気が楽になって、思い切って尋ねることにした。


「あの……、それじゃ、K君じゃなくて、先生の考えでいいのですが……」


「ああ」


「K君は、このインタビューに答えている時、もう女の子の声は聞こえていなかったのですよね?」


 記事には、高校に上がる前に聞こえなくなったとある。


「そうらしいね」


「でも、本人には出会っていた」


「……どうだったかな」


 さっき「出会うまでは不安だった」と先生は言った。


 だから出会っていたはずだ。


「もし、二人の間にテレパシーがあるのが、当たり前の関係だとして、ある日、急にそれを失ったのなら――」



「――そのあとも二人は、それまでと同じ関係でいられるものでしょうか」



 テレパシーは成長とともに、やがてなくなるものらしい。少なくともK君、あるいはその相手の女子はそうだった。


 僕と沙鳥もそうかもしれない。もし、そうなったら――


「無理じゃないか」


 先生はあっさりと言った。


「それまで一番大きなつながりだったものがなくなるんだ。今までと同じ関係が続いていく方が不自然だ」


 もっともだ。


 もっともだけど、そんなにきっぱり無理と言われるとは。


「そうですよね……」


「ただ、どう変わるかは決まってない」


 先生はまた授業の時のように、何かを説くように僕へ言った。


「同じじゃなくなるというだけだ。悪い方に変わるとも限らない。良い方に変えたければ、そうなるようにすればいい。それだけだ」


 そんな単純な話だろうか。


「K君の場合は、良い方に変わったんですか?」


 やや間があって、先生はそっけなく言った。


「さあな。そこまでは聞いてない」


 そして、腕時計をちらりと見た。


「さて。そろそろ先生は仕事に戻らないといけない」


 退出を促している。


 ここまでか。


 結局、先生はすべてにおいて曖昧な答えしかくれなかった。僕が知りたかったことは、よくわからなかった。


 ただ、先生が授業マシンでないことはわかった。先生にも過去があって、思い出があって、心があって――


 実は、国語の先生らしい人だった。


「先生。最後に一つだけ聞いていいですか」


「なんだ?」


「K君に聞こえていた女の子の声はどんなだったか、……K君から、聞いたことはありますか?」


 単なる興味本位の質問に、先生は答えた。



「いつも英単語を覚えていたそうだ」

 



 

 翌日の昼休み。


 オカルト否定研究部が部室がわりにしている踊り場へと再び呼び出された僕は、国語の先生への聞き取り調査について、O先輩に報告した。


 K君は先生本人ではなかったが、同級生であり、少なくとも先生が話を聞いた限りではテレパシーらしき現象が起きていたらしい、


 という具合に、簡潔にまとめて話した。


「――同志S。見事な働きだ。我々のためによく調べてくれた」


 どちらかというと、自分のために調べたのだけど。


「オカ否研の次期ボランチはきみに決まりだ」


 現ボランチは誰なんだ。


「……でかしたっす……」


 いつのまにか来ていたB先輩が、また背後で言っている。できれば発言する時は前にまわり込んでほしい。怖いから。


「ふむ。しかし、先生は友人として話を聞いたことがあるだけか。何の証左にもならないな」


 それを言い出したら、なんでもそうだけど。


「当事者の体験談が聞きたかったのだがな……」


 否定したい立場のはずなのにがっかりしている。やっぱりこのお化けお面、好きだな超常現象。


「O先輩は、テレパシーで会話ができたら、どんなことを話したいんですか」


「テレパシーなどというものは存在しない」


 あー、いい、いい。そういうのいいから、ぱっと答えて。


「あった場合の話です」


「むむ……。では不本意だが、あると仮定した場合の話をしよう」


 そう。それです。


「特定の誰かと、テレパシーで会話ができる関係か。記事のKに基づけば同世代の異性だな……。ふむ。そうだな、決まっている。私なら――」



「――交際を申し込む」



 意外すぎた。


「……ガチっすか……」


 さすがのB先輩も動揺している。


「テレパシーが通じるなど、ありえない奇跡だ。運命を感じずにはいられない」


 お面だから顔の表情はわからないけど、先輩は堂々と言った。そういえば、そういうロマンチストあふれる頭の人だった。そんなに意外でもないか。


 でも、


「テレパシーだけで付きあっちゃうんですか。顔とか性格はいいんですか」


「同じテレパス同士なんだろう。少なくとも――」



「――話は合うはずだ」



 先輩。


 現実のテレパスは、全然話が合いませんよ。

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