古い雑誌
ひんやりした空気が漂っているけど、外よりはましだろう。
僕は、校舎の階段を一番上までのぼり切った踊り場で、大きな一つの目玉に凝視されていた。
といっても、この踊り場がファンタジーな異世界と通じていて、サイクロプス的な化け物がうっかり迷い込んできたわけじゃない。
「よく来てくれたな」
目玉から声がした。
可愛らしくデフォルメされた一つ目お化けのお面には、女子の制服を着た胴体がついていて、向かいのソファに腰かけている。
彼女は、三年生のO先輩。あえて名前を伏せているのではなく、先輩自身がOと名乗っている。本名は知らない。
O先輩は、オカルト否定研究部というそれ自体がオカルトじみた非公式な謎の部を率いている。この踊り場は本棚やらソファやらが運び込まれていて、勝手に部室がわりに使われていた。
「朗報だよ。同志S」
先輩は、勝手に僕も部の一員としていて、イニシャルで呼んでくる。
「オカルトの情報をキャッチした」
「へえ、良かったですね」
適当な相槌を打つと、一つ目お化けは突っぱねた。
「良くはない。オカルトと吹聴されているような出来事があれば、我々は否定しなければならないからね」
この部はオカルト部ではなくて、あくまでもオカルト否定研究部なのだ。
「どんなに不思議で神秘的で非現実的な情報なのか、同志Sも知りたくないかい?」
先輩は語気を弾ませた。
本当はこの人、オカルトが大好きだと思う。
「……まあ、はい」
ないと答えたとしても、強引な先輩からは逃れられそうにない。僕はとりあえず適当に返事をした。
「――弱いっす……」
突然耳のすぐ後ろで声がして、僕はびくりとした。
「返事が弱いっす……」
振り返ると、そこにははんにゃのお面をつけた女子制服がいた。こちらはデフォルメされていなくておどろおどろしい。でも角には赤いリボンが結ばれていて、滑稽なようでもあり、より怖ろしいようでもあった。
「B先輩。いたんですか」
「いたっす……」
B先輩は、O先輩の相棒のようなオカルト否定部員。いつも音もなく僕の背後にいて、忍びみたいな人だ。
「もっとお腹の側から相槌を打つっす……」
相槌ってそういうものじゃない気がする。そもそも、そう言っている……というか、うめくように声を出しているB先輩の声は、か細い。
「その通りだ、もっと喜べ同志S。今回の情報はかなり信憑性が高い」
否定する気なのに信憑性も何も……。
というより、
「あの、先輩方――」
僕は目の前でのほほんとしている一つ目ファンシーお化けに言った。
「――受験は、いいんですか?」
二人は三年生。そして、今は一月の下旬。
常識で考えれば絶対に、オカルトの否定なんて活動で時間をつぶしていていいはずはない。
「何を言っている?」
僕がぶつけた疑問にO先輩は得意げに答えた。
「いいはずがない」
一応の常識はあった。
「だからこそっす……」
B先輩が後ろから囁く。
「だからこそ???」
O先輩は腕を組んで、一つ目の視線を落とした。
「ああ、そうだ。普段なら我々が自ら調査をしたいところだが、あいにくと受験がすぐ間近に控えている」
一つ目の視線が僕を射抜く。
「だから、同志S。きみに調べてほしい」
「僕が?」
「ああ」
なんで僕が……。
「調査対象は、きみに比較的近い人物だからだ」
だからって、困る。
受験こそ控えていないけど、僕だって寝る間も惜しんで勉強したい。なぜオカルトの調査なんてしなきゃいけないんだ。勝手に特派員みたいな立場にされてはいるけど、別にオカ否研の部員じゃない。
強引なO先輩の頼みでも、ここはきちんと断ろう。
という僕の意志を、
次に先輩が発した言葉が砕いた。
「この学校にテレパスがいるらしい」
聞き流すわけにはいかなかった。
なぜなら、僕がテレパスだからだ。
僕と、同じクラスで僕の斜め前に座っている女子、沙鳥は、言葉を発さなくても頭の中だけで直接言葉のやり取りができる。
この能力に名前をつけるとしたら、間違いなくテレパスだ。
しかし、それをO先輩が知るはずはないのだけど……。まさか、こうして直接尋ねるために僕を呼んだのか……。
いや、先輩は「調査対象は僕にきみにも比較的近い人物」と言った。
ということは、まさか――
「どうした、同志S?」
「あ、いえ……」
動揺し、目をそらしたまま無言になってしまった僕に先輩が言った。
「その様子。妙だな」
しまった。態度から、何か感づかれたか。
「妙っす」
B先輩も同意している。
「まさか、同志S――」
O先輩は一つ目で睨みつけながら言った。
「――昼食がまだで、空腹なのか?」
とんだポンコツ推理だった。
僕の前には、国語準備室というプレートが掲げられたドアがたたずんでいる。校内のほとんどのドアがそうだけど、ここもまあ古い。
理科や社会科の準備室は、授業で使うような資料が色々と置いてありそうだけど、国語準備室には何があるんだろう。国語って準備とかいるっけ。教科書以外のものを授業で見た記憶がない。
そんなことを考えながら、来たはいいが本当に入るべきなのか迷っていると、横から足音が近づいてきた。
「きみは……」
声がして振り返ると、男の先生――国語の先生がいた。
「芯条信一、だったな」
先生は無愛想に言う。
僕はこの先生が少し苦手だ。国語の先生のくせに親しみやすさがない。最低限のことしかしゃべらず冷たい印象で、なんていうか国語というより数学って感じだ。実際の数学の先生は明るい女の先生だけど。
「国語準備室に用か」
いら立っているような口調で言う。
本来なら適当に挨拶して去ってしまいたいところなんだけど、目的を果たさないといけない。
「あの……。先生に用がありまして」
そうなのだった。
職員室を訪ねたら、こっちにいると教えられたのだ。てっきり中にいるんだと思っていたけど、ちょうどトイレにでも行っていたらしい。
「僕にか。なんだ」
「はい。その……」
僕は言った。
「どうしてもお聞きしたいことがあるんです」
「そうか」
先生はガラガラと準備室のドアを開いた。
「入れ」
それから先生はいつものそっけない調子で言った。
「あまり授業のこと質問されることもないから、嬉しいよ」
この人にも嬉しい瞬間があるのか、と意外だった。
でも、
残念ながら、授業のことではない。
国語準備室の中は、ごく小さな図書館という感じだった。
背の高い五段のラックが、人が通れる程度の間隔を空けて三列置かれ、中には昔の文学やら文学の資料やらが並べられたり雑に積まれたりしている。
奥には事務机と四人掛けのテーブルと椅子があり、僕は先生とテーブルを挟んで向かい合うように座った。
「で、なんだ?」
座るなり、先生がこちらを見つめて聞いてくる。
僕はおずおずと切り出した。
「……実は、授業のことじゃなくて、先生個人に関することなんですけど」
「そうか」
先生は腕を組んでぽつりと言った。
「それはそれで聞かれることもないから、新鮮だな」
機嫌を損ねたわけではないようで助かった。
「で、なんだ?」
機嫌がいいわけでもなさそうだけど。
「あのですね……ちょっと待ってください」
僕は自分の鞄を開いて、さっきO先輩から借りてきた本を取り出した。透明なフィルムでコーティングされていて、市立図書館の名が入ったラベルが貼ってある。
それは超常現象や心霊現象、UMAなどを扱う専門雑誌のムック本で、その号は「エスパー」特集だった。
「十年くらい前の本です」
「懐かしい雑誌だ」
先生の言う通り、雑誌自体は廃刊になって、今はないらしかった。
「このページを、まずは読んでもらえますか」
僕はピンクの付箋で目印を付けたページを開く。それは「元・
記事の中の高校二年生K君は、自分がかつて普通の人間とは違う不思議な能力を持っていたことを語っている。
その能力とは「テレパシー」であり、見知らぬ女の子の声がたびたび頭の中に聞こえてきたのだという。
しかし、高校生に上がる少し前にぷっつりとその声は途絶えてしまった。声の主は誰だったのか。あるいは自分のただの妄想だったのか。それはわからずじまいだということだった。
先生は、無表情でその記事に目を通すと、
「この雑誌らしいインタビューだ」
そう言って、本を机に置いた。
「で、これがどうした?」
たしかに、これをわざわざ放課後に残ってまで、国語の先生に見せにくるのは不可解だろう。
「はい、あの、この記事に出てくるK君ですけど、その――」
僕は、本題に入った。
「――これは、先生なんじゃないですか」
【つづく】
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