三学期

年賀状

 起きたら、正午を過ぎていた。


 なんてことだ。早く起きて数学の宿題をやろうと思ってたのに。


 昨日の夜、遅くまで起きていたのが悔やまれる。いったいなぜ、こんなことになってしまったのか。


 理由は簡単。


 昨日は大晦日で、今日は元日だからだ。


 普段なら休日であっても昼過ぎまで寝ているような失態はおかさない僕だが、お正月だからしょうがない。


 だって、日本人だし。


「あ、起きた」


 母さんがノックもせずにドアを開けて入ってきた。というか、いた。


「信一」


 母さんは真剣な目で言った。


「おめでとう」


「……あけましても言ってよ」


 僕が個人的に何か成し遂げたわけではない。


「あけましておめでとう、信一。今年もよろし」


 変なとこで切った。


「あけましておめでとう……。いや、部屋入る時はノックくらいしてよ」


「起こしちゃうと思って」


 起こさずに僕の部屋に入る目的とは。


「そんなことより、信一。あなたにファンレターが届いています」


「ファンなんかいないよ」


「じゃあ、アンチかしら」


「アンチもたぶんいないよ」


 そんなに尖った活動はしていない。


「年賀状でしょ?」


 母さんが手にしているのは、どう見ても年賀状の束だ。


「よくわかったわね。さっそく母さんが、音読しましょうか?」


 なぜ。


「自分で読むよ」


「そう……。信一も、立派に……なったわね」


 そんなに感極まることでもない。


「でもね。いずれにしても、まだこの年賀状を渡すわけにはいかないわ。あなたにはその前になすべきことがあります」


「なに?」


 母さんは遺言でも尋ねるようなトーンで言った。


「……おもち……何個いれる?」


 お正月だった。





 二学期の最後に、担任の先生が冬休みの宿題を出した。



「最近は、年賀状を書く人も少なくなりましたね。あ、りとる。しかしながら、はうえばあ。私は年賀状を日本の誇る素敵な文化、かるちゅあだと思っています。くうるじゃぱん。ということで、えぶりわんのみなさん。冬休みの宿題として、年賀状を出しましょう。えすえぬえすではなくて、紙、ぺいぱあの年賀状ですよ。ぐりいてぃんぐ」



 そんなわけで、僕らのクラスは宿題として年賀状を出しあうことになった。


 三人以上の相手に出すという一応の決まりはあるものの、出したかどうかは自己申告でいい。先生もいちいち本当に出したか調べるわけではないみたいだから、嘘をついて出したことにしてもたぶんバレない。


 しかし、学校の宿題である以上、この芯条信一がそんな卑劣な真似をするわけにはいかない。僕は真面目なのだ。


 僕は幼馴染の女子の句縁くえんと、仲の良い男子の宇佐美、それと、席の近い女子の沙鳥に出した。つまり、僕の年賀状の宿題はすでに完遂している。何の問題もない。


 ないのだけど。


 誰からも来なかったらそれなりにショックだったので、母さんが年賀状の束を持っているのを見て本当に安心した。その辺を考えると結構シビアな宿題だなこれ。


 おせちとお雑煮を食べ終えた僕は年賀状を受け取り、自分の部屋に戻った。


 全部で十枚くらいある。思ったよりたくさん来てるな。句縁や宇佐美からはたぶん来てるだろうけど、他に仲の良い人がクラスにたくさんいるわけでもない。母さんの言うように、知らないうちにファンかアンチを量産していたのだろうか。


 これは返すのが大変そうだ。


 僕はとりあえず、一枚ずつ年賀状を読むことにした。



『HAPPY NEW YEAR! 三学期もよろしくお願いします。ちなみによく "A HAPPY NEW YEAR" と書く人がいますが "A" は必要ないのですよ。unnecessary! SEE YOU NEXT TIME!』



 担任からだった。


 日本が誇る素敵な文化と言ってたわりに英語だらけなのは気になるけど、文字だからいつもの疑わしい発音と違って、ちゃんと英語だ。


 干支をあしらったイラストがプリントされていて、吹き出しに「DEAR SHIN-ICHI SHINJO」と文字がある。


 ひょっとしたらこういう宿題を出した以上、誰からも来ない人がいるとかわいそうだと思って、全員に一人ずつ手書きで出したのかもしれない。マメだな先生。


 でも先生、心配は無用です。僕にはまだまだ他にもたくさん届いてます。


 さてさて、他には誰から来ているのだろう。僕は次の一枚を手に取って、送り主の名前を確認した。



 沙鳥だった。



 僕と沙鳥は、近くにいれば声を出さなくても頭の中で言葉のやり取りができる、テレパスと呼ばれるタイプの能力者。沙鳥はいつも、どうでもいい話をテレパシーで僕の頭の中に仕掛けてきて、勉強の邪魔をしてくる。


 でも、今は冬休みだからその心配はない。だから文字とはいえ、沙鳥の発する言葉に触れるのは久しぶりだ。


 あの沙鳥のこと、きっと年賀状にもよくわからないメッセージを書いてくるに違いない。ここは覚悟して読まなければ。


 僕は、沙鳥からの年賀はがきを裏返した。


  

『明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 沙鳥』



 ……。


 これだけ……?


 何度見直してみても、日の出をイメージした和テイストの背景に、整った文字でそう書いてあるだけだった。


 普通。


 沙鳥のことだから、ちょっと対処に困るような年賀状を送ってくるかと思っていたのに、とんだ肩透かし。


 まあ、何事もないならそれが一番いいか。ひょっとしたら今年の沙鳥は心を入れ替えて真面目に生きるつもりなのかもしれない。そういう所信表明かもしれない。いいことじゃないか、


 僕は気を取り直し、次の一枚を手に取って、送り主を確認した。



 沙鳥からだった。



 ……は? 二枚目??


 僕は不思議がりながら、裏返してその文面を読んだ。



『明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。 沙鳥』



 さっきのと同じ背景のハガキにそう書いてある。文面は違うけど……。なんだこれは?


 よく見ると、端っこにメモ書きのような文字が小さく書かれている。



『文面が固くなってしまったのでボツです』



 ボツらしい。


 ボツなら送っちゃだめじゃんか。どういうことだ??? 混乱しながら僕は次の一枚を手に取る。


 それも沙鳥からだった。文面は――



『あけよろです。 つたは』



 今度はずいぶん雑だ。そしてまたメモ書きがある。



『フランクすぎたのでボツです』



 いや、だからボツならなぜ届いてるんだ。


 僕はフランクな文面とは裏腹に、得体のしれない不安を覚えながら次の一枚を手に取って、送り主を確認した。


 またも沙鳥だった。



『明けましておめでとうございマス寿司。 沙鳥』



 突然の駄洒落。


 文の終わりには何度か描き直したと思われる寿司のイラストも添えてあった。乗っているネタはあまえびだった。マス寿司じゃないんかい。


 そして、やはりこれも端っこにメモがある。



『マス寿司のイラストがうまく描けなかったのでボツです』



 いや、だから届いちゃってるよ沙鳥。あと、ボツのポイントそこなの?


 僕は嫌な予感がして、残りの年賀状の送り主だけをまず確認した。


 すべて沙鳥だった。


 あれ。年賀状ってこういうのだっけ。同じ人から嫌がらせみたいに何通も届くものだったっけ。


 一瞬、自分の日本文化への認識を疑いそうになったけれど、そんなはずはない。明らかに沙鳥の送り方はおかしい。


 僕は、残りの文面を確かめてみた。それぞれ文がちょっとずつ違って、端っこにはどれもボツにした理由が書かれているという構成になっていた。構成って言っていいのかわからないけど。


 いったい沙鳥は何がしたいんだ。


 謎が深まる一方の中、最後の一枚の文面を確認する。そこには小さな文字で長い文が綴られていた。


 

『拝啓、芯条くん。お元気ですか』



 もう年賀状でさえ無い。



『芯条くん。あなたがこの年賀状を読んでいるということは、きっとわたしはもう、栗きんとんに飽きていることでしょう』



 だから、なんだ。



『芯条くんに年賀状を出そうと思ったのですが、何度も書き間違えてしまい、大量のボツが生まれたのです』



 下書きしなよ。



『でも、わたしは思いました。きっと間違いじゃないと言い張れば、間違いも間違いじゃなくなるんだって』



 いや、間違いは間違いだよ。



『失敗したハガキを捨ててしまうのももったいないので、ボツにした年賀状も勇気を出して全部送ってみることにしました』


 

 こんなところで勇気を使うな。



『なぜボツにしたのかの理由も添えてあるので、あわせてお楽しみいただける構成になっています』


 

 構成だった。



『そんなわけですので、他にも年賀状がたくさん届いていると思いますが、嫌がらせなどではないので、そんなに思いつめなくても大丈夫です』



 そんなに思いつめてはいない。



『それでは、また地獄で会おうぜ相棒。 沙鳥』



 縁起でもなかった。


 沙鳥め……。まさか、学校でテレパシーを飛ばしてくる時と同じ感覚で、年賀状までも乱打してくるとは……。


 今年も沙鳥は、正月から沙鳥だ。



 そして、僕は気づいた。

 先生以外で僕に年賀状をくれたのは、



 沙鳥のみ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る