小林さんのクリスマス
はぁ。
わたしは首を後ろに反らして真っ白な息を吐いた。このツリー、今まで見たことのあるツリーの中で一番大きいかもしれない。
ごめんなさいっ。
十四年くらいの人生で見たことあるツリーの数なんて、そもそもたかが知れてましたっ。
わたしはユニオンモール余所見の正面入り口の前にいる。そこには青いイルミネーションが輝く、大きなクリスマスツリーがある。
かなり目立つから、待ち合わせに使っている人も多いな。
あと、単純にイルミネーションだからうっとり眺めている人たちもいる。夫婦っぽい男女、高校生っぽい男女、バイト仲間っぽい男女、不倫してるっぽい男女。
わたしもツリーの前で男女だったらな。今日、一人ぼっちなのはわたしだけか……。
わあ、今日に限らずわたしはだいたい一人でしたっ。
なんか、大人ぶって感傷に浸っちゃってごめんなさい。年の差カップルだからって勝手に不倫と決めつけてごめんなさいっ。
さて。買い物も終わったし、さっさと帰ろう。
待ってたって、誰も来ないしね。こんなところに一人でいて、うっかり知らない男の人にナンパされたりしたら嫌だしなあ……。
ああっ、わたしみたいな無個性女子中学生が知らない男の人にナンパされるわけありませんでした。知ってる同級生だって声かけてくれるか微妙でした。わたしの存在感はツリーからもげて落ちた枝と、とんとんです。
はぁ。帰ろう。クリスマスの奇跡なんてないや。
そう思って振り返ったわたしは、誰かにぶつかった。
いや、こんな人通りの多いとこでぼーっとツリー眺めてんじゃないよ。
ああ、それはわたしでしたっ。見知らぬ誰かごめんなさいっ。どうか踏みつぶさないでください。
「小林さん?」
小林。それはわたしの苗字。
ぶつかった誰かが、わたしの苗字を発音している。ということは、この人は見知らぬ誰かじゃなくて、知ってる誰か。
え、誰?
わたしの名前を知ってる男子なんて、せいぜい同じクラスの男子くらい……。同じクラスの男子でも限られてるはず。
ま、まさか……奇跡?
わたしは顔を上げた。するとそこには――
「いわば、小さい林さんなわけだ」
――宇佐美くんがいた。
宇佐美かい。
いや「宇佐美かい」なんて失礼だよ小林っ。宇佐美くんだって「小林かい」と思っているんだから!
でも、これは……これは……、
困ったな。
「あ……。小林です」
「宇佐美だ」
「……知ってます」
「……」
「……」
しゃべることがない!
そもそもあんまりしゃべったことない。一回消しゴムをわたしが落っことした時に宇佐美くんが拾ってくれて「ありがとう」って言ったことがあるくらい。他に会話があったとしても、その記憶を越えないレベル。
「……」
「……」
なんだこの時間。
ていうか、そもそも宇佐美くんが声かけてきたんだから、宇佐美くんが話を広げなさいよ。なにそっちも言葉に詰まってんのよ。男が話盛り上げなさいよ。そういうもんだと聞いてるよこちとら。
いや、ぶつかったのわたしだったあ! ごめんなさい。わたしこそ当て逃げ沈黙女でした。どうか握りつぶさないでください。
「う、宇佐美くん」
わたしは何かしゃべらなきゃと思って、とりあえず目に入ったものを話題にした。
「この……イルミネーション――」
まずい。
このままだとわたし、「きれいだね」とか言いそう!
そんないい雰囲気のカップルが言いそうなこと言ってどうすんのよ。余計気まずくなるわ!
わたしは当たり障りのない言葉を選んだ。
「――青い……ね」
なんだそりゃ! 何をありのまま描写してんのよ! 写実主義かわたしは! いや、写実主義ってたぶんそういうことじゃないわ!
「ああ。青い」
宇佐美くんが無表情で言った。
「いわば、ブルーなわけだ」
なんだこの会話!
意味がないにもほどがあるわ! 仮に言葉が通じない同士でも、もうちょっと盛り上がるわ! ジェスチャーとかで! ボディのランゲージで!
あと、今更だけど小さい林さんてなんじゃい! 小林は小林で独立した唯一無二の存在じゃい! 林の眷属みたいにすんじゃないやい!
ああ。そんなこと言うわけにもいかないし。
ごめんなさい宇佐美くん。わたしのコミュニケーションスキルがFランクなばっかりに、変な沈黙を作ってしまって。
というか。
別にここに留まる必要はなかった。お互い何も話すことはないってわかったんだし、ここはさっさとずらかりましょう。その方が宇佐美くんも安心。
さよなら宇佐美くん。年が明けたら学校で、またいつもどおり接点の薄いクラスメイトとして、やんわりすれ違おうね。
「小さい林さん」
だから誰だそれは。
「誰か待っているのか。いわば、待ち合わせなのか」
なんだなんだ、わたしゃさっさと帰るんだ。止めるんじゃないやい。
「ううん、買い物終わって帰るとこ」
お母さんに頼まれて、注文してたクリスマスケーキを受け取ってきたとこなのだ。早く帰らないとケーキが冷めちゃう。いや、ケーキは冷めないね、むしろ冷やすべき。要するに早く帰りたい。
「そうか」
そうだよ。じゃあね。
「俺は、待っている」
そう。ごめんね。わりとどうでもいいや。
「いわば、男と映画を見るのだ」
クリスマスに男の子二人で映画見るなんてチャレンジャーだね。でも、わたしは帰るのだ。
「いわば、芯条が来る」
へえ。芯条がね。
「しし、芯条がっ!」
思わずおっきな声で反応してしまった。
「……あ、いや、芯条なんて呼び捨てにしちゃってごめんなさいっ」
「俺に謝られても。俺も呼び捨てにしているし」
「そ、そうだよね……」
じゃあ、いっか。
いや、よくないよ! わたしにとって芯条くんは大切な人なんだから、呼び捨てになんてできないよ!
え、そうなの? わたしにとって大切な人なの芯条くんって? そうなの小林? 大切な人だったらむしろ呼び捨てなんじゃないの? 下の名前で呼び合うべきなんじゃないっ?
ああ。もう混乱してきた。
とにかく事情が変わった。宇佐美くんと長々と話をしている理由なんて正直一つもなかったけど、芯条くんと待ち合わせているとなれば話は別。
つまり、ここで宇佐美くんと小粋なトークでうまいこと間をつなげば、芯条くんに会えるのだ。
話す理由が一つもないなんて思っちゃったことは、とりあえず頭の中で謝るとして、宇佐美くんとの会話をなんとか引き延ばさなきゃ。
「う、宇佐美くん」
なんでもいいから何か言わなきゃ。えっと。
「……冬だね」
なんでもいいにもほどがあるよ!
「ああ」
宇佐美くんは無表情で言った。
「いわば、二番目に好きな季節だ」
知らんわい!
なんて思っちゃってごめんなさい。わたしの話の振り方が悪いのに。ごめんなさい。どうか削らないでください。
「う、宇佐美くん」
今度こそ、もうちょっと話が続きそうな深いこと言わなきゃ。
「……人間って……なんで生きてるのかな」
深すぎるわ!
なんだその難しい哲学みたいの! そんなの宇佐美ごときに聞いてどうすんのよ! ごときって無礼すぎるでしょ愚か者っ。
宇佐美くんは難しい顔で言った。
「難しいな」
ごめん! 難しいこと聞いてごめん! どうかすりおろさないでっ!
「小林さんは、どう思う?」
聞き返されちゃった。
たしかに質問ばっかりしてるのってなんかずるいよね。フェアじゃないよね。自分の考えを言ってこそのディスカッションだよ。
いや、これ別にディスカッションじゃないよ!
「いわば、どうして人は生きると思う?」
「え、えっと……」
わたしは、なんとか答えをひねりだした。
「やや、やっぱり……あ、愛し、愛されるためじゃないかな」
Jポップかわたしは!
いや、Jポップだって別にそんな歌詞ばっかりじゃないよ。そういう決めつけは良くない!
それ以前に愛がどうとか何言ってんだわたし!
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。今、芯条くんがいなくて本当に良かった。もし芯条くんがいたら、恥ずかしさで死ぬとこだった。
「あ、小林さんだ」
芯条くんの声がする。
え。
声のした方に顔を向けると、そこには芯条くんがいた。
あ、よかった。意外と死ななかった。
いや、よくないよ!
「ししし、芯条くん」
えっと、えっと……。
「なんでいるのっ?」
「宇佐美と待ち――」
「そうだよねっ。宇佐美くんと待ち合わせて映画見るんだよね! 知ってた! 知ってること聞いてごめんなさいっ」
「別にいいけど……」
ああ、いきなり困らせてしまった……。ばかばかわたし。
「芯条よ」
いいぞ、宇佐美くん。何か空気を変える話をしちゃってちょうだい。芯条くんと仲いいんでしょ。こういう時のための宇佐美くんでしょ。
「なぜ人は生きると思う?」
もういいよそれ。なに聞いてんのさっ。そんなことショッピングモールの前で質問されても困るって。言い出したのわたしだけど!
「人はなぜ生きるか……?」
ナチュラルに答えてくれるの? ああ、いい人。やさしいんだ芯条くんは。
「そりゃあ、やっぱり……」
芯条くんは答えた。
「……愛し、愛されるため……とか?」
奇跡。
一緒だよ、芯条くん! それわたしと一緒! わあ、奇跡? 運命? これ奇跡で運命なんじゃないの? クリスマスってやっぱりそういう日なんじゃないのっ?
嬉しい。
でも、わたしの口から「同じだね。奇跡だね」なんて言えないや。
だって「愛し愛されるため」みたいな答えがかぶったなんて、なんかこれから愛し愛され合う二人みたいじゃない。そそそ、そんなことわたしの口から言えない。言えないよ。
「芯条よ。その答えは——」
お。いいぞ宇佐美くん。
宇佐美くんの口から言ってくれるのならわたしの運命ですねアピールにはならないから良し。
さあ、宇佐美くん。わたしと芯条くんの感性が近くて、相性がばっちりなことを示すのです。二人が愛し愛され合う物語の幕を、今こそ開けるのです。宇佐美よ、さあ!
「——俺もまったく同感だ」
宇佐美もかい。
こうして、思わぬ三角関係の火蓋が、切って落とされたのでした。
いや、落ちないよっ!
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