放課後の後



「――うちがすきっていえよ!」



 幼馴染でクラスメイトでちびで女子の句縁くえんが、放課後の教室で僕に言った。


 でも、告白されたわけじゃない。ラブレターをもらった句縁が告白を断る練習がしたいと言い出し、僕はそれに付き合っただけ。その中で、たまたま告白みたいな台詞が出た。


 だから何の問題もなかったんだけど、廊下にいた同じくクラスメイトで女子でテレパスな沙鳥が、それを聴いてしまった。


 沙鳥はきっと誤解した。


 それは、困る。


「……しんいちー。なにぼんやりしてんだ?」


 僕がフリーズしているので、当の句縁が怒りを通り越して心配しはじめた。


「わるいくさったものでもくったか?」


 腐った時点で悪い。


「かおいろよくねーけど、だいじょーぶか?」


 大丈夫では、ないな。


「……なんか具合悪くなっちゃって」


「やっぱりわるいもんくったか? なっとうとか?」


 納豆は悪くない。


「お腹じゃなくて、なんか熱がある感じなだけだから。風邪かもしれない。一応、保健室に行ってみる……」


 僕はけだるそうな芝居をしつつ、椅子にかけてあったコートを身に着ける。


「芯条よ」


 立会人として教室に居たクラスメイトで男子で尊大な宇佐美が言った。


「一人で平気か? いわば、ピンで?」


 ピンて。


「大丈夫。宇佐美は残って、句縁の練習に付き合ってやって」


 そう告げてバッグを手に教室をあとにする僕の背中に、句縁が少しだけ心配そうに声をかけた。


「おちてても、なっとうくうなよ?」


 落ちてないし食べない。





 僕は小走りに廊下を駆けた。沙鳥はせっかちなやつじゃない。校門に着くまでには追いつくだろう。


 誤解を解かないと。


 僕は言い訳を考えた。句縁がラブレターをもらったのは、句縁のパーソナルな情報だ。無関係な沙鳥には教えられない。だから、正しい経緯は話せない。



 うちがすきっていえよ!



 沙鳥に聞かれたフレーズはこれだけだ。これを別の意味だったことにできればいい。



 うちがすきっていえよ。



 僕と句縁がインドアとアウトドアのどっちがいいか議論していたというのはどうだ。インドア派の句縁とアウトドア派の僕の口論。うち、とはインドアのこと。


 うーん。そもそもなんで放課後の教室でそんな議論をしていたのか謎だ。それに、どっちかといえば句縁の方がアウトドアだ。



 うちがすきっていえよ。



 句縁が、うちわを「うち」と略す人だというのはどうだ。そして、うちわが大好き。うちわ原理主義。将来はうちわのお嫁さん。棺桶にうちわと入りたい。そんな句縁だから、うちわのことになると声を荒げてしまった。


 うーん。句縁が普段うちわの話をしてないからだめだ。だいたい、冬だし。



 うちがすきっていえよ。



 ウチガスキッテイエヨ。そういう競走馬の名前というのはどうだろう。今、注目している競走馬を僕が尋ねて、句縁が答えた。


 うーん。そんな馬いない。



 満足な言い訳が決まる前に、僕は校門まで来てしまった。


 沙鳥の姿は見当たらない。



〝沙鳥……〟



 呼びかけても返事はない。もう近くにはいないのか。あいつ、そんなに早足だったっけ。


 僕は沙鳥の下校ルートと思われる方へ足を向けた。学校を囲む塀に沿って進む。吐く息は白くて、生まれてはすぐ消えた。


 角を曲がってもいない。


 見通せる道の先にも沙鳥らしき女子はいない。


 いったいどこへ――



〝……肉まん……〟



 ――見つけた。


 いや、姿はないけど、テレパシーが微かに聞こえる。念が届くということは、近くに沙鳥がいる。


〝……あんまん……〟


 でも、この先にはいない。ということは、沙鳥は塀の向こう。つまり学校の敷地内にまだいる。僕がいる位置から推し量ると、おそらく体育館の近く。


 なぜ?


〝……ピザまん……〟


 そんな場所にいる理由と聞こえてくる念の意味は不明だけど、僕は来た道を戻り、校門から体育館の方へ向かった。





 体育館の中からは、部活中と思われるかけ声が漏れ聞こえた。バレー部かバスケ部かな。


 頭には別の声が聞こえる。


〝……チーズカルビチリソースまん……〟


 中華まんに意識を支配された沙鳥の念をキャッチする。


〝……かいようぼうけんろまん……〟


〝それは違うだろ〟


 新世界が到来している沙鳥に、僕はテレパシーを飛ばした。


 沙鳥からの返事は、


〝おや、その声は――〟


 あった。


〝――まん条くん?〟


〝僕までまんにするな〟


〝とても寒いので、あったかいものを思い浮かべていたのです〟


 僕は人気のない体育館の裏手を見回した。近くにいるはずだけど……。


〝沙鳥。どこにいるんだ?〟


〝それはちょっと……言えません。見つかるわけにいかないのです〟


 なぜかわからないけど、沙鳥は自分の所在を隠そうとしている。


 まあいいや。テレパシーが届いて会話ができるなら、沙鳥がどこにいようと関係ない。


〝沙鳥。ちょっと聞いてくれ〟


〝構いませんが、ちょっとですよ?〟


 念で念を押された。


〝さっき、その……教室で、僕と句縁の会話、聞いたか?〟


 まずはそれをはっきりさせないと。


〝はい、はっきり〟


 はっきりした。


〝あの……沙鳥。あれは、句縁が僕に告白をしたみたいに聞こえたかもしれないけど、そうじゃなくて……〟


 そうじゃなくて、


 しまった。結局、うまい言い訳を思いつかずに来てしまった。どうしよう。何か納得のいく言い訳をしないと。沙鳥の誤解を解く言い訳を……。



 いや……そもそも僕は、沙鳥の誤解を解かなきゃいけないのか?



 別にいいじゃないか。だってもし仮に、僕と句縁が幼馴染以上の関係だとしても、沙鳥には関係ない。


 前にもこんなことがあった。


 ハロウィンの日だ。O先輩と僕がたまたま一緒にいて、近くに沙鳥がいて、あの時も僕は、必死で見つからないようにしていた。


 なんで僕はわざわざまた――


〝知ってます〟


〝……知ってる?〟


 何を?


〝柿月さんが男子にラブレターをもらって、芯条くんは告白を断る練習に付き合ってたいたのでしょう〟


 そう!


 いや、そうだけど。


〝なんで知ってんの?〟


〝柿月さんが、朝から何人かの女子に練習相手をお願いしてるの、見たり聞いたりしていましたから〟


 なんだあいつ。自分で自分のパーソナル情報を周りにガンガン漏らしてたのか。気をつかって損した。


〝先生にも頼んでいました〟


 すごい度胸だな。


〝わたしは頼まれませんでしたが〟


 句縁は沙鳥をリスペクトしてるから、気安くは頼めないんだろう。


〝でも途中で「やっぱりだんしあいてじゃないとれんしゅーのいみねー」と言い出して、結局女子に頼むのはやめたようです〟


 そうだったのか。


〝だから、柿月さんが劇的な台詞を芯条くんに言っていたのを聴いて、被験者は芯条くんになったんだなとわかったのです〟


 被験者って。


〝邪魔してはいけないと思いまして、ドローンしたのです〟


 遠隔操作されていた。


〝……するならドロンだけど〟


 そういえば沙鳥は「事情はわかっています」と言った。あれは沙鳥特有のノリじゃなくて、本当に事情を知っていたのか。


 なんだ。一人で色々考えて、バカみたいだった。


〝ところで、さておっきーです。芯条くんは、わざわざそれをわたしに伝えに来たのですか?〟


〝いや、えっと、それは……〟


 そうなんだけど、なんて言ったら――


〝あ!〟


 沙鳥が脳内で声をあげた。


〝来ましたよ!〟


 来ました? 何が?


〝芯条くん、すぐ隠れてください! ほら、早く! ハウス! ハウスです!〟


 犬か。


 なんだかわからないけど、僕は促されるまま物陰を探した。体育用具室と高い植え込みの間は周りから隠れられそうだ。僕は慌ててそこに駆け込もうとした。


 そこに沙鳥がいた。


 マフラーで口元を覆った沙鳥は、植え込みの陰にかがんで辺りの様子をうかがっている。澄んだ目がかえって滑稽だ。


「さと――」


〝しっ、です! 隠れてです!〟


 思わず本物の声をかけそうになった僕を、沙鳥が制した。僕は仕方なく沙鳥の隣にかがんだ。


〝沙鳥……? なにしてんの?〟


〝えっと、です。たまたま居心地良かったんです〟


 そんなわけあるか。こんな寒い日にこんなところでうずくまって快適なはずがない。なにやってんだ??


 沙鳥がじっと見ている方を見ると、そこへジャージ姿の男子が歩いてきて立ち止まった。


 ジャージの色から察するに一年だけど、背丈は句縁の倍くらいある。それは言い過ぎとしても相当でかい。何やら緊張した顔で、誰かを待っている様子だ。


 こんな人気のない体育館裏で誰を……。


 あ、そうか。



 あいつが句縁にラブレターをだしたやつだ。



 ということは、


〝沙鳥……〟


〝しっ、静かにです〟


 テレパシーだから聞かれることはない。


〝……句縁が告白されるところ、こっそり見にきたのか?〟


 それ以外にない。


〝ままま、まさかです。そんな下品なこと、わたしはしないですなのです〟


 明らかに動揺している。


〝でもです。たまたまです。現場を目撃しそうですので、見届けることにします〟


 かなり無理がある。無理があるけど。


〝じゃあ、僕もそうする〟


 僕は空気を読んだ。


〝……ふふふ、です〟


 沙鳥は微笑んだ。テレパシーの中でだけど。


〝芯条くん〟


 それから沙鳥は、こんなことを聞いてきた。


〝柿月さんのこと、やはり気になるのですか?〟


 どうだろう。


〝別に、そこまでは……〟


 何も気にならないといえば嘘になるけど、それは友達として気になる程度だ。


 むしろ、僕が気になることは別にある。


〝沙鳥こそ、句縁のラブレターのことなんて、気になるのか?〟


 宇佐美いわく、男子からひそかに人気があるという噂の沙鳥だけど、本人は寒い日に中華まんをひたすら思い浮かべている女子だ。


 そこまで仲が良くもない女子が告白される現場を覗き見に来るほど、そういうことに興味があるとも思えない。


〝もちろんです。だって、わたしは――〟


 それから沙鳥は、はっきりと念じてきた。



〝――女子ですから〟



 僕の方を見るでもなく念じた沙鳥の、マフラーから覗く白い頬に少し赤みがさして。


 僕はなんとなく、誤解を解きたかった理由がわかった気がした。


 雪でも降っていたなら、もっとわかったかもしれない。





 それからしばらくして。


 僕と沙鳥は、句縁が後輩のでかい男子を弟子に取る現場を見ることになるのだけど、それは語るほどのオチでもない。

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