ハロウィン

 ショッピングモールはモンスターであふれかえり、どこにも逃げ場はない。でも、逃げる必要もない。なぜなら僕もすでにゾンビだからだ。


 なんでこんなことになったのか。僕は家を出る前のことを思い出していた。



「信一。母さんだけど、開けてもいい?」


「もう開けてるけど」


「信一にミッションを課します。時間制限は二時間、クリア難易度はX4」


「基準がわからないよ。どうせ買い物でしょ」


「察しがいいわ、その通りよ。さ、メイクするから顔洗ってきなさい」


「ごめん。わからない」


「今日は十月三十一日。世間はハロウィーン、ハロウィーンと唱えているわ」


「だいたいハロウィンって言うよ」


「この町の生活の要であるユニオンモール余所見よそみ東店も、馬鹿騒ぎに乗じてハロウィーンに絡めた思い付き先行の安易なキャンペーンをやっているわ」


「説明と毒が強いよ」


「仮装して来た客には一割引きで商品を提供するの。安易だけどお得なことには違いない。さ、あなたにゾンビメイクを施します」


「僕そういうの恥ずかしいんだけど」


「わかる。母さんなら親にそんなこと言われたら家出する」


「それを息子にさせないでよ」


「母さんは息子を手駒として扱う権利があるわ」


「手駒って」


「さ、行きなさい。傀儡くぐつ


「傀儡って」



 そして僕はゾンビになった。


 メイクは嫌だと言ったら「じゃ、これをかぶりなさい」とゾンビレスラーの覆面を渡されたので、それをかぶっている。結婚式の引き出物でもらったらしい。ゾンビレスラーの覆面が引き出物になる結婚式ってなんだ。


 そもそも、ゾンビレスラーがなんだ。


 モールは魔女やら吸血鬼やらゾンビやらでひしめいていた。安易なキャンペーンの割りに大盛況。この町の人は元から欲望に飢えたゾンビだったんだ。


 警備は心配だけど、おかげで覆面も目立たない。さっさと買い物して帰ろう。買い物メモを見ると、中にレバーの文字があった。


 ゾンビ、臓物を買う。





 僕は会計を済ませた。


 買ったものをカゴから袋に移していると、レジに並ぶ人の中に、普通のブラウス姿の、普通の人間の女子を見つけた。


 並んでいるのは、猫耳OL、河童、人間の女子、フリルのおじさん、ガスマスク警官、の順。こうなると普通が異常だ。町でただ一人の、欲のない人間かもしれない。


 と思ったのは間違いだった。


「なぜ割り引かないのですか」


 生卵のパックをレジに持ってきたその女子は、悪魔の角を生やしたレジのおばさんに毅然とした態度でそう言った。


「ごめんなさいね。仮装してる人だけ割引きで」


 悪魔の主張はもっともだ。


 しかし、人間はあきらめが悪い。


「私はこの姿こそ普段と違うのです。割り引かれる権利がある」


「わかりやすく、コスプレとか仮面とかしてくれないと」


「普段の私がそうなんです」


 どんな普段だ。


「そう言われてもね」


「この顔が嘘をついているように見えますか」


「いや、美人さんとは思うけどね」


 悪魔おばさんの言う通り、端正な顔立ちだ。まわりがモンスターであふれかえっているから、余計そう見えるのかもしれないけど。


「では、美人の仮装と考えてください」


 すごいこと言う。


「んー、ケチくさいこと言ってもしょうがないかー。OK、割り引きましょう」


 悪魔は押し切られた。


 なんだ。これなら僕もゾンビになる必要なかったじゃないか。いや、でも僕はあんなに強く押し切る自信はない。やっぱりマスクが必要だな。


 などと思っていると、会計を済ませた人間は僕の隣にカゴを置いた。


 そして、こっちを見ている。


 なんだろう。ゾンビレスラーのファンかな。


「奇遇だな。同志Sじゃないか」


 驚いた。そんな呼び方をするのは一人しかいない。


「……O先輩ですか?」


 オカルト否定研究部を率いる三年生の先輩。いつもはファンシーなオバケのお面をつけているから、素顔を晒している今はたしかに「仮装」だ。


「私の顔を忘れたか」


「初めて見たんです」


 今までオバケの先輩しか見たことがない。声もいつもはお面越しだから、今日は少し違う。


「逆に、よく僕がわかりましたね?」


 僕は目元が出ているだけの覆面だ。


「オカ否研をなめてもらっては困るね」


「第六感ってやつですか?」


「いや、ただ私の観察眼が鋭いだけだ。なぜなら――」


 先輩は笑顔で言った。


「第六感などというものは、存在しないからね」


 普段は見えない先輩の笑顔は、思ったより子供っぽかった。



 先輩らしく一杯おごろう、とO先輩は言い出し、自動販売機コーナーのベンチに僕を座らせた。


「同志Sは、あったかいポタージュでいいな」


 おごってもらう分際で贅沢も言えない。先輩はあつあつのポタージュを僕に渡すと、隣に座った。自分はプリンのシェイクみたいのを買っている。


 変な飲み物好きなんだな。


「B先輩は一緒じゃないんですか」


 O先輩のそばには、いつも般若のお面のB先輩が相棒のようにいる。


「いつも一緒と思うな」


 ケンカでもしたのかな。


「Bは私の部屋で、降霊術の儀式の飾りつけをしている」


 仲良しだな。


 先輩は居合抜きでもするような真剣な顔で缶を振りだした。


 先輩の「仮装」は、友人が女子ランキングの上位にO先輩をランクインさせるのもうなずける姿だった。あいつの物好きじゃなかったんだ。


「同志Sも偉いな。おつかいとは」


 シェイクしながら先輩が言った。


「先輩も卵買ってるじゃないですか」


「これは降霊術に使う」


 趣味用の卵だった。


「無論、降霊術などないと証明するためだが」


 不思議な感じだ。普段はオバケのお面のO先輩の方が明らかに異常なのに、今は僕がゾンビレスラーで先輩は普通の人間。はたから見たら僕の方が変な人だ。


「ハロウィンだから、霊も現れやすいかもな。もっとも、霊など存在しないが」


 結局、変なことを言っているのは先輩だけど。


 僕はあたりを見回した。色々な人、いや人に限らず様々な異形が自販機コーナーの前を通りすぎていく。


 隣のベンチには、さっき見かけたガスマスク警官が座った。制服は男物だけど、体格とバッグとしぐさを見る限り中身は女性だ。手をパタパタして顔に風を送っている。


 十月末でも、ずっとガスマスクじゃ暑い。僕のゾンビ覆面もかなり熱がこもっている。ポタージュを飲みたい体温じゃない。


 もう会計は済ませたし、マスクとるか。


 ガスマスクも同じことを考えたのか、首元に手をかけてマスクを外していた。黒い髪と白い頬が現れる。


 その顔は――



〝沙鳥かよ!〟



 声を上げそうになりながら、なんとか頭で念じるのにとどめた。


〝今の声は――〟


 でも、当人には聞こえている。なぜならガスマスクの中身である沙鳥と、ゾンビの中身である僕は、声を出さずに会話できる能力者――テレパスだからだ。


〝――芯条くんですか?〟


 こんな時に限って正解してくる。沙鳥があたりを確認しだしたので、僕は視線を慌てて逸らした。


〝自販機の近くにいるんです?〟


〝いや……〟


 沙鳥はしつこい。黙っているより自分から煙にまいた方がいいと判断した僕は、念を返すことにした。


〝……トイレにいる〟


 ゾンビが僕だと気づかれるわけにはいかない。


〝さっき沙鳥を見かけて、今、思いだしたんだ〟


〝トイレでですか?〟


 たしかに変だ。


〝マスクつけてたのに、よくわかりましたね〟


 たしかに妙だ。


〝だ、第六感かな〟


〝さては芯条くん。エスパーですね〟


〝エスパーだけど〟


〝そんなことより芯条くん。ちょっと聞いてください〟


 面倒くさい時間が始まった。


〝わたし、ついに人間の愛を知りました〟


 壮大。


〝見たんです。人間の美少女がゾンビと寄り添う姿を〟


 寄り添ってない。先輩はプリンのシェイクを振ってるだけだし、僕はポタージュが冷めるのを待ってるだけだ。


〝種族を越えた愛です。美しいです〟


 沙鳥はこっちの様子が気になってるみたいだ。早くここから離れてほしいのに。


〝これが、ハロウィーンなんですね〟


 ハロウィーンって言うタイプかい。


「同志S。どうした?」


 急にフリーズした僕を心配した先輩が、シェイクの手を止めて言った。今日ばかりはイニシャルで助かる。


「ドウモ、シテ、ナイデス」


 僕は声色を変えた。沙鳥に気づかれてはまずい。


「いや、何かおかしくないか?」


「オカシク、ナイ」


「同志S?」


 先輩は緊張した様子で言った。


「まさか! 実はそれが呪いの覆面で、本当にゾンビになってしまったのか?」


 しまった。そういう発想をする人だ。


「今すぐ脱げ、同志S!」


 先輩は僕のマスクに手をかけて強引に外そうとしてきた。僕は必死でマスクをひっぱって抵抗する。


 まずい。顔を見せたらまずい。だってもし沙鳥に見られたら、



 ……見られたら、なんでまずいんだ?



 先輩と僕は、ただのなんでもない先輩と後輩だ。沙鳥と先輩だって、たぶんなんでもない。何もまずくないはずだ。


 いったい僕はなぜ――


〝芯条くん、聞いてください〟


 テレパシーが僕の思考を遮る。


〝二人の愛が深すぎて、人目も気にせず愛をたしかめだしてしまいました〟


 そうじゃない。そう見えるかもだけど、断じてそうじゃない。


〝お邪魔しては悪いので、おいとまします。芯条くんも、見かけてもじろじろ見ちゃだめですよ?〟


〝見ないよ〟


 沙鳥はマスクとバッグを持って、ベンチから去っていった。


 不本意だけど助かった。


「先輩、なんともないですから」


 僕は先輩を制して、自分でマスクを外した。


「同志S……正気か?」


 こっちが聞きたい。


「はい。呪いの覆面だとか、そんなもの存在しません」


 僕が言うと、先輩は安心した様子で言った。


「なるほど。はからずも、またオカルトの存在を否定できたわけだ」


 勝手にまとめるな。


「おっと、そうだ。降霊術に必要なアイテムをひとつ買い忘れていた」


 先輩はシェイクし尽くしたプリンのようなものを一気に飲み干すとベンチから立った。


「引き止めて悪かった。同志Sは帰っていい。また学校で会おう」


「先輩。何を買い忘れたんですか」


 慌てて買いに戻るんだから重要なものだろう。


「クラッカーだ」


 そう言って去っていく先輩の貴重な「仮装」姿を見ながら、僕には一つだけ、わかったことがある。





 降霊術の儀式って、たぶん普通にハロウインパーティーだな。

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