二者面談
夕日が射し込む教室で、僕は異性と二人きりの時間を過ごしていた。
相手は大人だ。
「それでは二者面談を始めていきましょう。れっつびぎん」
へたくそな発音の英語が、僕ら以外に人のいない教室に反響する。
机を挟んで僕に相対しているのは、英語教師であり僕のクラスの担任でもある女の先生だった。
今は二者面談の時間。学校生活や進路のことについて、担任の先生と一対一で話をしなければならない。
「みすたあ芯条君」
先生が英語教師とは思えない発音で言った。
「最近どう?」
フランクさだけは西洋じみている。
「どうと言われましても……」
質問が漠然としすぎている。
「元気にしてますか?」
手紙みたいなことを聞いてくる。
「まあ、元気です」
「死にたくなったりしてませんか?」
いきなり重い。
「いや、大丈夫です」
「ぐっど。それは安心しました。もし生徒が死にたいと思っているのであれば、担任としては責任重大ですからね」
先生は手元のノートにペンを走らせた。
「……死にたくない……どんわなだい……と」
どういうメモなんだ。
「すたでい。勉強の方はついていけてますか?」
「まあ、なんとか……」
正直あまり良い成績とは言えないけど、まったくだめな教科があるわけでもない。
「そおそお。そうですね。正直あまり良い成績とは言えないですけれど、まったくだめな教科があるわけでもありません」
先生はエスパーか。
「みすたあ芯条君。きみは授業態度も真面目です。ぐれいと」
「ありがとうございます」
それだけは自信がある。
「ああ、ただ……」
ただ、なんだろう?
「時々、授業が上の空の時がありますね」
ぎくり。
「真面目に授業を聞いている顔をしていたのに、いざ質問を振ると寝起きみたいな顔できょとんとしていることがある」
さすが担任だ。よく僕のことを見ている。
「と、他の教科の先生も言ってましたよ」
担任以外にも気づかれていた。
「何か他のことを考えているのではありませんか?」
「それは……」
理由ははっきりしている。
僕が授業中に上の空でいることがあるのは、僕の斜め前の席に座っている女子、沙鳥のせいだった。
僕と沙鳥はしゃべらなくても頭の中で言葉のやり取りができる、テレパスと呼ばれる超能力者。
そして沙鳥は、授業中に授業とまったく関係のない話を僕にしてきて、僕の勉学を妨げるのだった。
しかし、それを先生に伝えるわけにもいかない。
「悩みごとがあるなら先生が聞きましょう。りっすん」
それだと先生が話を聞けって言ってる感じだけど。
「いいえ、特に悩みはないです」
「そうですか」
先生は、わかっていますという風に何度か小さく頷いた。
「まあ、みすたあ芯条君の年頃なら、色々悩みもあるでしょう。ほわっと。何なのかはわかりませんが、無理に深くは問いません」
そうしてもらえると助かる。
「やはり女子のことですか? がある?」
デリカシーがない。
「せくしいがある?」
なんで性的にした。
「いや、そういうんじゃないです」
広い意味では女子のことだけど、先生が思っているようなことではない。
「そおそおりい。教師がそういう生徒のぷらいべえとに介入するべきではないですね。話題を変えましょうか」
そうしてほしい。
「……のーがあるふれんど……と」
書くな。そして勝手に決めるな。
「それでは進路について聞いていきましょうか。みすたあ芯条君は将来、何になりたいと思っていますか?」
やっと面談らしくなってきた。
「とりあえず、大学には行きたいです」
僕が答えると、先生は人差し指を立てて振った。
「ちっちっち」
実際に口で言う人も珍しい。
「のんのん。そうではなく具体的な将来の夢です。お医者さんとか警察官とか。堂々とお腹の底から大きな声でどうぞ。しゃうと」
そんな風に言われたらすごく答えにくい。
「さあ、みすたあ芯条君の夢はなんですか?」
困った。
なぜなら、今の僕は特になりたいものがあるわけでもない。大きな声で堂々と叫びたい夢なんて、もちろんない。
でも、どうやら二者面談のメインは具体的な将来の夢を聞くことのようだ。何も考えてない、なんて答えでは、のんきな英語の先生でも怒るんじゃないだろうか。
なんて答えればいいだろう。
〝スパイはどうでしょうか〟
そんな馬鹿まるだしの夢あるか。
というか、
〝沙鳥……近くにいるのか?〟
まぎれもなく沙鳥が近くにいるんだろうけど、一応聞いた。
〝おや、その声は――〟
沙鳥は念を返してきた。
〝――みすたあ芯条君です?〟
〝ややこしくなるから先生の真似はやめてくれ〟
混乱する。
〝今、先生と二者面談中だから、静かにしてほしいんだけど〟
〝ああ。芯条くんにも、面談あるんですね〟
〝あるだろ〟
なんで僕だけスルーされるんだ。
〝わたしはこの後なので、今、廊下で待機しています〟
まいったな。じゃあ僕の面談が終わるまでずっと、沙鳥はテレパシーの届く範囲にいるんじゃないか。厄介だ。
〝将来の夢をなんと答えるか考えていました〟
〝スパイになるの?〟
沙鳥はたしかにそう念じていた。
〝候補の一つではあります〟
候補の一つにも入れるな。
〝ちなみに、女スパイです〟
そりゃそうだろ。
〝他には、お花屋さんです〟
〝急に幼稚園児みたいな夢になったな〟
〝女お花屋さんです〟
そんな表現の仕方はない。
〝あとは、アナウンサーさんです。女子アナさん〟
〝絶対向いてないよ〟
授業で当てられた時以外、沙鳥がしゃべっているのを見たことがない。最も素質のない職なんじゃないだろうか。
〝たしかに、です。私、そこまでプロ野球選手さんを好きになれる自信がありません〟
別に女子アナはそういう仕事じゃない。
〝野球しかやってない人だなんて、話合わなそうですし〟
沙鳥と話合うやつなんて誰もいないよ。
「――みすたあ芯条君?」
不意に、耳を通して正しいルートで声が聞こえてきた。英語の先生が心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
「例の、上の空になっていましたよ? すかいはい」
その英訳は正しいのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「すみません、大丈夫です」
「やはり恋の悩みですか? らぶ?」
「違います」
「ちなみに英語では愛も恋も『らぶ』と翻訳されてしまいます。感情の機微を表現できる日本語の美しさ、素敵ですね」
英語教師だろう。
「みすたあ芯条君。なかなか答えられないということはひょっとして、まだ特に夢はないとでも言うつもりですか。のーどりいむ?」
先生が追及の目を向けてくる。
「……いいえ、そんなことは……」
まずい。このままでは、将来のことを何も考えていないだめなやつと思われる。何かそれっぽい夢を答えないと。
なんだろう。
なんだ。
僕のなりたいものって、なんだ?
〝芯条くん、芯条くん〟
〝沙鳥。今、考え事してるからちょっと待ってくれ〟
〝芯条くんは将来何になりたいんです?〟
今考えていることだった。
〝なーんて、です。私、知ってます〟
〝え?〟
僕も知らない僕の夢を、なぜ沙鳥が知っているんだ。
〝芯条くんは、いじわるクイズを作る人になるのです〟
〝……なりません〟
前にそんな話したけど。
〝え……〟
沙鳥はトーンを落として念じてきた。
〝あきらめて……しまうんですか?〟
〝そもそも目指してないよ〟
そんなシリアスに問うな。
〝いいことを聞きました。芯条くんという天才いじわるクイズデビルがいるならわたしの出る幕はないと思ったのですが、ならないのなら話は別です〟
勝手に僕を悪魔にするな。
〝わたし、いじわるクイズを作る人になります〟
〝……勝手にしてくれ〟
先生にそれ言ったら、さすがに怒られるぞ。
〝女天才いじわるクイズエンジェルです〟
〝なんで沙鳥だと天使なんだよ〟
僕は悪魔だったのに。
〝ふふん、です。女スパイなので、寝返りました〟
スパイになる夢も叶えやがった。
「――みすたあ芯条くん!」
英語の先生が言った。
しまった。
また『すかいはい』状態を晒してしまった。
「どうやらきみは今、特に叶えたい夢もなく、将来のことは何も考えていないというわけですね? のーぷらん!?」
「あ、いや、その……」
失敗した。たとえ成績はそこまでよくなくても、とにかく真面目なところだけは先生にアピールしていきたかったのに。
「ああはん。よくわかりました」
英語の先生は微笑んで言った。
「のーぷろぶれむ。それで当たり前です。わんいんちも気にする必要はありません」
「……そうですか?」
「十四歳で人生決めろという方が無茶です。のーてぃー」
絶対その英語間違ってるだろ。
でも、先生がそう言ってくれて、ちょっと安心した。別に何も決まっていなくても恥じる必要はないのだ。きっとみんなもそうなんだ。
「まあ、先生がふぉおていんの頃は、はっきり夢がありましたけれど」
あったんかい。
「何になりたかったんですか?」
僕が尋ねると、先生は英語圏の人に伝わりそうもない発音で言った。
「しいあいえい」
CIA。
先生と沙鳥の面談は、話が弾むかもしれないと思った。
沙鳥が、
ちゃんとしゃべりさえすれば。
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