台風一過

 道路の上にできた水たまりが、日差しを跳ね返してくる。空には雲一つなく、朝は頼みの綱だった傘が、今や邪魔なお荷物だ。


 僕、芯条信一は、見慣れない住宅地の道を物陰に隠れるようにしながら、こそこそと歩いていた。


 一人で、ではない。


「きたことねーみちだなー」


 クラスメイトの背の低い女子、句縁くえんと、


「ああ。いわば、初見だ」


 同じくクラスメイトで僕の前の席の、宇佐美も一緒だ。


 僕、句縁、宇佐美の順でぞろぞろと歩く姿は、昔のRPGのパーティーみたいだった。


 なぜこんなことをしているのか。


「さとりさんにばれてねーよなー?」


 少し前を歩いている、沙鳥のあとをつけているからだ。


 数学の自習時間にゲームをして敗れた僕は、沙鳥の家までかばん持ちとしてついていくことになった。


 しかし、そもそもゲームに参加しておらず、句縁から一方的に勝利者の権利を譲渡された沙鳥は、その事情を知らない。


 そして、帰りのホームルームのあと、句縁が経緯を説明するのをためらっているうちに――句縁は沙鳥と話すと緊張するのだ――沙鳥は教室から出ていってしまった。


 結果として本人が知らないまま、僕は沙鳥の家までついていく罰を受けなければならなくなり、このような尾行めいた状況を生んだ。


「しんいちー。さとりさん、みうしなうなよ」


「芯条よ。いわば、追撃だ」


「なんで攻撃すんだよ」


 句縁と宇佐美は、僕が正しく罰を受けたか確認するためについてきている。それでは僕と一緒に罰を受けているのと、一緒なんじゃないかと思うけど。


「さとりさんち、どんなのかなー」


 句縁の目的が変わっている。


〝もしかして……〟


 少し前を歩いている、当の沙鳥の声が僕の頭の中に響いた。


 僕と沙鳥は、声を出さなくても頭の中だけで言葉のやり取りができる、テレパスと呼ばれる超能力者なのだ。


〝私……、つけられてますか?〟


 そしてばれていた。


〝ついに……警察があの件に感づいたのでしょうか〟


 ばれてなかった。


〝沙鳥。つけてるのは僕だ。芯条〟


 あらぬ誤解を生まないよう、僕は沙鳥に念を返した。


〝なんだです。芯条くんですか。尾行といえばサツの仕事だと思っていました〟


 サツって。


〝サツに追われるようなことしたの?〟


 たしかお父さんが刑事だったはずだけど。


〝私も砕けばホコリが出る身ですから〟


〝砕かれたらホコリどころじゃないけど〟


 粉々だ。


〝ちょっと待ってください。よく考えたら「なんだです、芯条くんですか」じゃありませんでした。どうして芯条くんが私のあとをつけてるんですか?〟


 さすがの沙鳥もそこに気づいたか。


〝まさか芯条くん、私服警官だったんですか?〟


〝制服だけど〟


 中学校の。


〝沙鳥、実は――〟


 僕は、僕と句縁と宇佐美が沙鳥の下校を尾行することになった、どうでもいいけどややこしい経緯について話した。


〝――というわけなんだ〟


〝なるほど、です〟


 沙鳥は念じてきた。


〝つまり、内緒で家ついてっていいですか、ってことですね〟


 ただのストーカーだなそれは。


 今の状況を表す言葉として、間違ってはないけど。


〝うーん、です。でも、それは困りましたね〟


 まあ、勝手に家についてこられたらそれは困るだろう。


〝私、今日はgrandmaに用事がありまして〟


〝グランマ?〟


〝ばばあさんです〟


 失礼なんだか丁寧なんだか。


〝つまり、今、向かっているのは私の家ではなく、祖母の家です〟


 驚愕の事実。


〝困りました。このままでは芯条くんに厳罰を与えることができません〟


〝そこまでの罰じゃないけど〟


 でも、たしかにこのまま沙鳥のおばあさんの家に連れていかれるのは困ったな。


〝それから、芯条くん。もう一つ困ったことがあります〟


〝なに?〟


〝道に迷いました〟


〝は?〟


〝正しい道を忘れてしまったのです。実はわたし、かなり前から適当に道なりに歩いているだけです〟


 なんと、おばあさんの家にすらたどり着かないとは。


 この尾行、ますますなんなんだ。


〝すみません。祖母の家に行くのが、かれこれ一か月ぶりなもので〟


 そこそこ最近だった。


〝芯条くん。案内してもらえます?〟


〝できるか〟


 沙鳥の家を知らない僕が、なぜ沙鳥のおばあさんの家だけを知っている。


〝では、柿月さんが知っていたりしませんか?〟


〝ないだろ〟


〝もう一人のかたは?〟


〝名前くらい言ってやれよ〟


 というか、宇佐美が道知ってたら怖いだろ。


「思い出したぞ」


 宇佐美が急に言った。え、嘘だろ。


「とてつもなく重要な用事を思い出した」


 おばあさんの家の場所でなくて良かった。


「なんだよ?」


「今日はオカルト否定研究会の定期会合があるから、放課後に顔を出すよう、O先輩に言われていたのだった」


 宇佐美はよくわからない先輩のよくわからない非公式な部活に入っている。


「顔を出さないと、あとでB先輩にPをZされてしまう」


 よくわからないが大変そうだ。


「いわば、Rだ」


 なんなんだ。


「柿月よ。本当に申し訳ないが、罰ゲームの監視からは抜けさせてもらう。いわば、陳謝だ」


 宇佐美は句縁に深々と頭を下げた。


「へえ」


 句縁はとことん宇佐美に興味がない。


「芯条よ。俺は学校に戻る。沙鳥さんの家が何階建てだったかあとで教えてくれ」


「知りたい情報はそれでいいのか」


 もっと他にあるだろ。


「それではお別れだ。いわば、さらば」


 宇佐美はスプリンターのように全速力で駆けていった。そんなに怖ろしいのだろうか。B先輩による「いわばR」は。


 ともかく、追跡パーティーは二人になってしまった。


 抜けたのが句縁でなくてよかった。もし宇佐美と僕だけになったら、男子二人で女子一人のあとをつけるという社会的にまずい状態になる。


「しんいち、じゃーな」


 説明もなく、句縁が去ろうとする。


「いや待て。なんで急にじゃーななんだ」


「わりー。うちもそろそろ、ぶかつにいかねーとおこられる」


 そういえばこいつは、宇佐美よりもはるかにちゃんとした正式な運動部のれっきとした部員だった。


「今日はさぼったんじゃなかったのか?」


 堂々と尾行に参加してるからそう思ってたんだけど。


「いやー、さとりさんのいえが、がっこうからちかいってパターンをきたいしてたんだけどよー。そうでもねーみてーだし」


 行き当たりばったりな計画だった。


「だから、うちもじゃーなするわ」


「罰ゲームはどうするんだよ?」


「うーん」


 句縁はちょっと悩んでから言った。


「あとは、さとりさんマターだな」


「マターって」


「さとりさんのゆるしがでたら、かえれ」


 そもそもこの罰ゲームを知らない(はずの)沙鳥が、どうやって僕に許しを出すと思ってるんだ。


「じゃーな!」


 句縁は言うが早いが来た道を駆け戻って言った。


 ……。


 追跡パーティーは僕一人になった。


 というか、もう別に追跡する必要もない。


〝沙鳥〟


 尾行チームが会話で立ち止まっているのを、少し先の離れたところで律儀に待っていた沙鳥の背中に、僕はテレパシーを飛ばした。


〝沙鳥〟


〝はい、なんです〟


〝じゃあな〟


〝え、大ばばさまの家まで一緒に行かないんですか?〟


 ファンタジーの住人感。 


〝もしも一緒に来てくれたら、ぶぶづけくらい出そうと思ったのですが〟


〝帰らせる気じゃんか〟


 そもそも道に迷っているのでは、このままついていってもどこにもつかない。


〝芯条くん。懲罰ゲームはどうなったんですか?〟


 なんか過酷になっている。


〝沙鳥の許しが出れば帰っていいってさ〟


 念じてから、僕はしまったと思った。


〝ほほう、です〟


 やっぱり。


〝わたしの許しが出れば、ですか〟


 そう言われて、許しを出す沙鳥ではないのだ。


〝出しましょう〟


 出した。


〝ただし、案内してくれたらです〟


〝沙鳥の大ばばさまの家なら知らないよ〟


 無理な相談だ。


〝違います。実は学校に戻らないといけないことに気づいたんです〟


〝学校に?〟


〝傘を忘れてきてしまいました〟


 たしかに沙鳥は今、傘を持っていない。帰りのホームルームでも先生が、忘れないようにとあんなに釘を差していたのに。


〝なので、です。取りに戻ります。一度学校に戻れば、ばあばの家までの道もわかると思いますので〟


 呼び方が統一されない。


〝学校まで案内してくれませんか?〟


〝来た道を戻るだけだろ?〟


〝芯条くん。それができない者を、人は迷子と呼ぶのですよ〟


 なんで得意げなんだ。


〝お願いします〟


 沙鳥はこちらを振り向いて、ちょっとだけ僕を見るとすぐに目をそらした。


〝絶妙な距離感で、芯条くんについていきますから〟


 僕は沙鳥に背を向けた。


〝……わかったよ〟


 しょうがない。面倒だけど学校まで戻るか。結局、全員学校に戻ることになったな。なんだったんだ、この時間。


〝じゃあ、見失うなよ〟


〝そちらこそです〟


 こっちからは見ないよ。


 

 沙鳥の追跡を受けながら、僕は学校までの道を戻った。


〝そういえば、芯条くん。わたし、思いついたんですけど……〟


 沙鳥が語る、地球人か宇宙人か一発で見分ける方法を適当に受け流しながら、僕はふと考えた。


 もしも今、また雨が降ってきたら。


 傘を持っているのは僕だけだ。僕は沙鳥に駆け寄って、沙鳥を傘に入れてやらないといけない。


 その時、沙鳥はどんな顔をして、何を言うだろう。

 いや、念じるだろう。



 いつまでも空は青くて、答えはわからなかった。

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