台風

 昨日から降っていた雨は、朝のホームルームの時間になってもまだ降り続いている。ただ、風はおさまったみたいだ。


「みなさん。たいふーんの中、無事に登校できたようで何よりです」


 担任の先生は言った。


「午前中にはたいふーんはげらうぇいしてしまうようです。帰りは傘や雨具を忘れないように注意してくださいね。こーしょん」


 今日も先生は、英語の先生とは思えないほど発音が怪しい。


「連絡事項が一つあります。一時間目の数学、まてまてかですが」


 江戸時代の人みたいだ。


「そーりーなことに、先生がまだ学校に登校していません。来られるまで、それぞれ予習や復習をしていてください、とのことです」


 数学の先生は、たしか県外から二時間くらいかけて学校に通っているはずだ。この台風の影響で交通網がまひしたんだろう。


「えぶりわん。みなさんは、二日酔いで寝坊する大人になってはだめですよ」


 寝坊かい。





 というわけで、チャイムが鳴ったのに授業は始まらなかった。


 せっかく先生がいなくて課題もないのに、わざわざ勉強する生徒はいない。みんな、休み時間気分で近くの人としゃべったり、席を移動したりしている。


 でも、この芯条信一は違う。


 自習とはいえ、予習復習をしなさいと指示は出ている。それならば生徒として、予習復習を行うのが正しい。僕は前回の復習をすることにして、教科書を開いた。


「しんいちー」


 隣の席から声がした。


 声の主は、僕の幼馴染で背の低い女子、柿月かきづき句縁くえんだ。


「なんで句縁がいる」


 句縁の席は僕の列の一番前のはずだ。


「あいてた」


 たしかに今日、その席の人は欠席している。だけど、それで句縁が授業中に移動してきて良い理由にはならない。


「なあ、むかしいまひがしゲームみたいなゲームやろーぜ」


「むかしいまひがしゲームみたいなゲーム?」


 なんだそりゃ。


「ほら、やまもとさんゲームともいうやつ」


 余計わからなくなった。誰だ。


「柿月よ。それはいわば、山手線ゲームではないか」


 僕の前の席の男子が、僕らに振り向いて言った。こいつの名は宇佐美。妙にかしこまった態度の、偉そうなやつだ。


「あー、それだ。むかしいまひがしゲームのやつ」


「それは古今東西ゲームではないか」


「なんだよ、こまけーな」


 句縁は宇佐美に厳しい。


「かくがりのくせに」


「それはもう過去だ」


 夏休み明け、なぜか宇佐美は髪型を角刈りにしてきてとてつもなく浮いていたのだけど、今はリセットするべく坊主にしている。


「なあ、しんいちー。とうざいせんゲームやろーぜ」


 混ざったことにより、路線が変わった。


 古今東西ゲーム。テーマに沿った言葉を一人一つずつ言っていく遊びだ。間違えたり答えられなかったりしたら負けだ。


 しかし、僕は勉強をしなければならない。


「句縁。今、自習の時間だから」


「おめー、すうがくにがてだろー。ちょっとじしゅうしても、かわんねーよ」


 もっともな意見。


「ほら、うさみもやるからさー」


 宇佐美も勝手に参加者にされている。


「そうだ。いわば俺もやる」


 乗り気かい。


 しょうがない。ここはきっちりと意志を表明しなければ。僕は句縁に言った。


「まあ、ちょっとだけならいいよ」


 句縁の言うとおり、僕は数学が苦手だ。正直に言うと、積極的に勉強する気はまるで起きない。ここは友人となごやかに過ごす時間の方が大事だ。


「よし。まけたやつのばつゲームは、すっぱだかでそくてんで、いいな?」


 あまりなごやかでもなかった。


「いや、いいわけないだろ」


「柿月よ。芯条の言う通りだ」


 そうだろ、宇佐美。


「俺は側転ができん」


 そこかい。


「じゃー、すっぱだかでヘッドスプリングでもよし」


 難易度が上がった。


「いや、裸で回転する方向から離れてくれよ。句縁が負けたらどうすんだよ?」


 そんな子供みたいなナリでも女子だろ。


「まけねーし」


 子供みたいなことを言ってきた。


「まー、でもたしかに、うちのすっぱだかは、コンプラてきにやべーな」


 なんのだ。


「じゃー、かばんもちくらいにしとくか」


「かばん持ち?」


「そ。いちばんにまけたやつが、げこーのときに、いちばんかったやつのかばんをいえまでもっていくっていう、くつじょくのやつ」


「まあ、裸で側転よりは現実的だけど」


 地味に面倒な罰だ。


「じゃあやろーぜ。テーマは、れきだいそうりだいじん」


「それ句縁、わかるのか?」


「さんにんくらい」


 なぜいばらの道を選ぶ。


「柿月よ。ここは無難に外務大臣でどうだ」


 宇佐美がさらなるハードモードを提案する。


「いや、無難なら動物とか植物の名前じゃないかな」


「植物は困る。いわば、不利だ」


 宇佐美は花の名前を知らない。


「おっけー、じゃ、どうぶつのなまえで!」


 ゲームマスターの許可が出た。


「じゅうびょういないにいえなかったら、まけ。じつざいしないどうぶつも、まけ」


 架空の動物なら、なんでも言えるもんな。


「あと、うちがしらないどうぶつも、まけ」


 ゲームマスターに有利なルールだ。


「じゃ、しんいち、うさみ、うち、さとりさんのじゅんで」


 プレイヤーが一人増えた。


「そんじゃ、しんいちから!」


「ちょっと待て句縁。沙鳥も参加者なのか」


「あたりめーだろ」


 沙鳥さとり蔦羽つたはは僕から見て斜め前、宇佐美の隣に座っている女子だ。一時間目の授業が自習であることを知るや否や机につっぷして、それから目を覚ましていない。


「沙鳥、めちゃくちゃ寝てるけど」


「だろ? だからじかんぎれにおいこむチャンス!」


 卑怯。


「さとりさんがまけて、うちがゆーしょーして、さとりさんがうちにくるけーかく」


「面倒な計画立てないで、普通に遊びに誘えよ」


「はぁ? さとりさんだぞ! あそびにさそうなんて、おそれおおいわ!」


 かばん持ちにさせようとしているのに。


「寝てる人を勝手に参加させて勝手に負けさせるのはどうかと思うけど」


「じゃ、おこす」


 それも困るな。


 沙鳥がどっぷり寝ているおかげで、僕の脳内は平和なのだ。


 僕と沙鳥は、声を出さなくても頭の中だけで言葉のやり取りができる、いわゆるテレパスだ。


 起きている時の沙鳥、あるいは浅い眠りの沙鳥は、僕に絶えずテレパシーを飛ばしてくる厄介な存在なのだ。


〝うーん……です……〟


 まずい。沙鳥が起きかけている。


「句縁。沙鳥は睡眠を妨害した人間を最も憎むと言われている」


 危機回避のために適当なデマを流した。


「まじかよ、あぶねー」


 沙鳥の肩をゆすろうと、震えながら手を近づけていた句縁は腕をひっこめた。


「いわば、肝に命じておく」


 関係ないやつも騙してしまった。すまない、宇佐美。


「じゃ、しょうがねー。へいみんのさんにんでやるかー」


 沙鳥は貴族らしい。


「じゃ、しんいちから、スタート! いーち、にーい、さーん――」


 強引に始まり、勝手にカウントダウンが始まった。


〝うーん……むにゃ……です……〟


 動物の名前か。


〝……うーん……おや……そこにいる……〟


 自分で提案しておいてなんだけど、このテーマはちょっと広すぎた。自習のあいだに勝敗なんてつくのか。


〝……顔が三つある犬さんは――〟


 おっと。まずい。


〝――ケルベロスさんですね……〟


 沙鳥が天性の妨害気質で、無意識に空想上の動物を僕に刷り込もうとしてくる。


〝……おや……そちらの……〟


 ここは誘導されずに無難な動物の名前を言おう。よし、猫でいいや。


〝羽の生えた馬さんは――〟


 ペガサスを誘導されてるけど、猫だ。ペガサスじゃない。猫だ。ペガサスじゃない。


〝――ぬりかべさんですね〟


「ペガサスさんだよ!」


 僕が言った。


 しまった、念じるべき訂正を口に出してしまった。


「しんいち、ペガサスじつざいしねーよ」


 知ってる。猫って言いたかったんだ。


 でも、沙鳥の思考が紛れこんできたからしょうがない。ペガサスをぬりかべと言い張るような大胆な間違いをされたら、訂正せずにはいられない。


「芯条よ。しかもなぜ『さん』付けなのだ」


 同感です。


「はい、しんいちが、いちまけー。かったほうがいえにかえるときに、しんいちがかばんもちとしてついてくるのけいなー」


 句縁はにんまりした。


「よし。ゲームさいかいな。うさみから、スタート! いーち、にーい――」


 句縁はカウントダウンを始めた。


 だが、宇佐美は無言のまま十秒待った。


「――じゅーう。まけー! ……いや、うさみ。どうぶつしらねーのかよ」


「いや、知っている。いわば、リス、ネズミ、チンチラなどだ」


 なんで齧歯げっし類だ。


「だが、俺は勝負を放棄した」


 宇佐美は真剣な表情で言った。


「俺が勝ったら、芯条が俺のかばんを持って俺の家までついてくるのだろう」


 そうだな。


「それは困る。いわば、変な噂とか立てられたら恥ずかしい」


 立つかそんなもん。


「あー、たしかになー」


 句縁が同意してしまった。


「うちがかっちゃったけど、へんなうわさたつんなら、いやだなー」


 句縁と一緒に帰ったところでそんな噂は立たない。というか、家の方向が一緒だからそういうことは普通にある。


「よし。じゃー、うちはゆうしょうのけんりを、たにんにじょうとします」


 譲渡。


「なー、こばやしさん」


 句縁は机に突っ伏している沙鳥ごしに、もう一つ前の席の女子に声をかけた。


「え、なに、柿月さん?」


 真面目に自習をやっていた小林さんは慌てて振り向いた。


「しんいちと、へんなうわさたってもいい?」


 説明が足りない。


 小林さんは激しく動揺した。


「え、え、なに言ってんの柿月さん!」


「だよなー。やだよなー」


「嫌だよ! ……あ、ごめんなさい。ぜんぜん嫌じゃないよ! いや、あ、えっと嫌じゃないけど困るよ! 困らないけど!」


 すごく困らせてごめん、小林さん。


「じゃ、さとりさんにしよう」


 再び深い眠りについていた沙鳥に句縁は声をかけた。


「しんいちと、へんなうわさたってもいい?」


 沙鳥の返事はない。


「きょひしなかったので、おっけーのサインとみなす」


 いや、勝手にみなすな。





 というわけで、

 僕は沙鳥の家までかばん持ちをすることになった。





【つづく】

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