タイムスリップ

 工作室では、耳障りな振動音があちこちで鳴っている。


 今は技術の授業。電動の糸ノコを使って板を切り、簡単なパズルを作るのだ。


 僕は糸ノコの刃の正しいセッティングの仕方を、工作室の壁に貼られた図で慎重に確認している。


 危険な刃物を扱う。普段の授業以上に、今は集中しなければならない。


〝グルルルルル……〟


 集中しなければいけないのに、謎の声が頭の中に聞こえてきた。


 声が頭の中に聞こえてくること自体は、別に謎ではない。なぜなら僕、芯条信一は、同じクラスの女子である沙鳥蔦羽と、テレパシーのやり取りができるテレパスだからだ。


〝グルルルルル……〟


 この声が、糸ノコを使う順番待ちの列に並んで澄ました顔をしている、沙鳥の心の声なのはわかっている。


〝グルルルルル……〟


 謎なのは、その中身だ。普段から脈略のない言葉を僕に伝えてくる沙鳥ではあるけど、もはや日本語ですらない音声を伝えてくるとは。


〝沙鳥〟


 僕は沙鳥にテレパシーで声をかけた。いつもなら可能な限り放っておくところだけど、今は授業に集中しないと危険だ。懸案事項は解決しておかないと。


〝グルルルルル……〟


〝沙鳥、ちょっと〟


〝グルルル……おや?〟


 沙鳥は謎のうなり声を中断して念じてきた。


〝その声は……いつもの人じゃないですか?〟


〝よそよそしいな〟


 せめて名前を言ってくれ。


〝沙鳥。うるさいからそのグルルルルルっていうの、やめてくれないか〟


 ふざけていたらケガをしてしまうかもしれない授業だ。僕はもちろん、沙鳥だって集中しないと危ない。


〝驚きです。芯条くん〟


 沙鳥は僕の注意には構いもせず念じてきた。


〝まさか、すでにジュラ語を使いこなしているなんて〟


 またよくわからないことを言い出した。


〝ジュラ語?〟


〝そうです。ジュラ紀の人間にだけ通じる言葉です〟


 ジュラ紀。たしか何億年も昔の恐竜の時代。


〝ジュラ紀に人間いないけど〟


〝すいません。間違えました。ジュラ紀の恐竜にだけ通じる言葉です〟


 どっちにしても無茶だった。


〝今のグルルルルっていうのは、どういう意味だったの?〟


〝これはジュラ語の基本です〟


 沙鳥は講義するように念じてきた。


〝意味は――「今、西暦何年ですか?」〟


 絶対に通じない。


〝タイムスリップをしたら、人は必ずそれを聞くのです〟


 たしかに映画とかでタイムスリップした人は、最初にそれを必ず聞くけど、


〝恐竜が『西暦』とか言われても、わからないんじゃないかな〟


〝あ。まだ旧暦でしたっけ?〟


〝まだれきがないと思う〟


 というか。


〝なんで突然ジュラ紀にタイムスリップしてるんだよ〟


〝芯条くん、おかしなことを言いますね。タイムスリップというのは突然巻き込まれるものなんですよ? だからスリップなんです。予定されていたらslipとは言いません〟


 久しぶりに沙鳥のいい発音を聞いた。


〝それはわかったけど、なんで急にそんな話を始めたんだ?〟


〝もちろん、急なタイムスリップに備えてです〟


 話が見えない。


〝生きている以上、いつタイムスリップに巻き込まれるかわかりません。だから、我々は準備をしておく必要があるのです〟


 我々に今必要なのは、安全な糸ノコのセッティングだと思うんだけど。


〝備えあればウェーイ、ってやつです〟


〝どんなやつだよ〟


 備えているとパリピになってしまうらしい。


 百歩ゆずって、タイムスリップに備えて何か準備する必要があるとしても、それはありもしないジュラ語をでっちあげることではないと思う。


〝ジュラ語さえ覚えれば、恐竜のみなさんとスムーズに交流できます〟


 僕の疑問をよそに沙鳥は妄想を続けた。


〝グロロロロロ……〟


〝それはどういう意味?〟


 あまりさっきのと変わっていないけど。


〝「あなたが森の中を歩いていると、小さな動物が顔をだしました」〟


〝恐竜に心理テストしかけるなよ〟


 意味の長さに反してジュラ語がシンプルすぎるし。


〝「あなたは――」〟


 まだ続いていた。


〝「――その動物を食べますか?」〟


 ちゃんと恐竜向けの質問になっていた。


〝それ聞いてどうするんだ?〟


〝心理テストを通じて、恐竜のみなさんと仲良くなるのです〟


〝その前に沙鳥が食べられるんじゃないかな〟


 何せ恐竜だ。


〝芯条くん。たとえ肉食でも、恐竜が人を食べるというのはおかしな話です〟


〝どうして?〟


〝よく考えてください。恐竜にとって我々は、小さいとはいえ見たことのない変な形の生き物です。芯条くんは、見たことのない小さな虫を食べようと思いますか?〟


 なんか一理あった。


 でもそれを言うなら、初対面で心理をテストしてくるような未知の生物と仲良くなろうとも思わない気もするけど。


〝沙鳥は恐竜と仲良くなって、どうすんの?〟


〝仲良くなったら、巣穴に入れてもらうのです〟


 恐竜って巣穴とかあるんだっけ。どうだっけ。


〝そして仲良しの証に、大切な卵を見せてもらうのです。じゅるる〟


 沙鳥はむしろ捕食者だった。


〝仲良しなら食べるなよ〟


〝ひどいです、芯条くん。誰が食べると言いましたか〟


〝じゅるるって言っただろ〟


 脳内ヨダレはごまかせない。


〝はっ、つい……〟


 沙鳥は残念そうに念じてきた。


〝やはり、人と竜は相いれないものなのですね……〟


 なんか壮大になってきた。


〝わかりました。やはり、人は人と仲良くするべきです。タイムスリップするのはジュラ紀じゃなくて幕末にしましょう〟


〝時代選べるの?〟


 slipじゃなかったのか。


〝タイムスリップといえば、ジュラ紀、戦国時代、幕末と相場が決まっています〟


 たしかによく見るけど。


〝そして、戦国より幕末の方が好きなので、幕末です〟


 やっぱり選んでいた。


〝幕末に行ってどうするんだ?〟


〝芯条くん。興味しんしんしんですね〟


〝そうでもないけど〟


 沙鳥のせいで僕は、糸ノコの刃のセッティングの図をひたすら見続けるおかしな人になってしまっている。


 とはいえ、ここで話を中途半端にしてしまえば、糸ノコで作業をしている途中にまで脳内トークを繰り広げられかねない。沙鳥にはひととおり話したいことを話させて、満足しておいてもらわないと。


〝幕末に行ったら、もちろん幕末のみなさんと仲良くなります〟


〝どうやって〟


〝バクルルルルル……〟


 沙鳥は幕末語を繰り出した。


〝沙鳥。幕末は日本語通じると思う〟


〝恐竜にもですか?〟


〝人間にだよ〟


 人と仲良くしたかったんじゃないのか。


〝恐竜はだいぶ前に絶滅してると思う〟


〝それもそうですね〟


〝ちなみに今のバクルルルはどういう意味だったの?〟


〝「あなたが織田信長さんですか?」〟


 いろいろ間違っていた。


〝沙鳥。幕末で信長には会えないよ〟


〝芯条くん、夢のない人ですね。会えるかどうかなんて、行ってみなきゃわからないじゃないですか〟


〝いや、信長は戦国時代の人だから、会いたいんなら戦国時代に行かなきゃ〟


〝うーん、です。どっちにもいらっしゃると思ったのですが〟


 どういう発想なんだ。


〝つまり恐竜さんと一緒で、信長さんも幕末には絶滅しているのですね〟


 個人を絶滅とは言わない。


〝独眼竜だからですかね〟


〝それは伊達政宗だ〟


 むちゃくちゃだ。


〝沙鳥、全然戦国と幕末の区別ついてないじゃないか〟


 何をもって幕末の方が好きと言ってたんだろう。


〝むむむ、です。そうみたいですね……〟


 沙鳥は確認するように念じてきた。


〝それでは、ペリーさんがご来航されたのはどっちですか?〟


〝幕末〟


〝では、ペリーさんがアメリカにお帰りになったのはどっちですか?〟


〝幕末だろ〟


 なんで幕末に来た人が戦国に帰るんだ。


〝では、ペリーさんの――〟


 ペリー好きだな。


〝――初恋はいつですか〟


〝知らないよ〟


 僕に聞かれても。


〝では、これは戦国の可能性もありますね〟


〝幕末だろ〟


 いや、たぶん初恋のペリーはまだ日本に来てないだろうから、幕末っていうのもなんか違う気もするけど。


〝なるほどです。ペリー系は基本、幕末ですね〟


 まいったな。


 僕は甘く見ていた。ある程度しゃべらせれば満足すると思ったけど、今日の沙鳥は留まることを知らなかった。このままでは張り紙を見るだけで授業が終わってしまう。


 だいたい、これじゃ沙鳥だって工作が進まないだろう。


 と、思ったその時、すでに切る作業を終えた板を抱えた女子が、僕のそばを通り過ぎていった。



 それは、沙鳥だった。



 ……はい?


 なんてことだ。沙鳥は無駄話を脳内で繰り広げながら、きちんと糸ノコを使いこなして作業を進めていたのだ。


 沙鳥め、意外と器用だったのか。これじゃ授業をさぼっていたのは僕だけじゃないか。


〝……沙鳥。そろそろ授業に集中したいから黙っててくれ〟


〝やれやれです。わかりました〟


 そう言って黙ってくれる沙鳥ではないけど、ここは信じるしかない。僕は慌てて、空いている糸ノコの前に走った。


 図で見た通りに、慎重に刃をセッティングする。何度も確認したから大丈夫。これで刃が飛んだり変に曲がったりすることはない。あとは、板の上に引いた曲線の通りに切ればいいだけ。


 スイッチを入れると、刃が振動を始めて耳障りな音が鳴りだした。僕は板をゆっくりとスライドさせていく。


 切るあいだ、沙鳥が黙っていてくれることを祈ろう。





「ずいぶんとぐちゃぐちゃなパズルだな」


 僕が完成させたパズルを見てクラスメイトの宇佐美が言った。


「いわば、惨劇だ」


 ああ、その通りだ。僕もそう思う。ピースの数が予定の十倍くらいある。おかげでパズルとしての難易度はあがったけど、本意ではない。


「芯条よ。さては女のことでも考えて、集中していなかったな」


 それは違うな。


 沙鳥は約束どおり、僕が板を切るあいだテレパシーを送ってこなかった。僕はきちんと板を切ることだけに集中して、板を切ったのだ。


 ではなぜ、こんなにぐちゃぐちゃになってしまったのか。答えは簡単だ。



 芯条信一は、単に不器用なのだ。

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