夏祭りのつづき

 僕は知らない偉人の銅像の前に1人で立っていた。


 待ち合わせをしているちびの幼馴染はまだ来ない。出店へナンパに出かけてしまった友人は戻ってこない。


 沙鳥も、もういない。溶けたかき氷の容器の残骸を残し「公園でつづきをやる」という男に連れ去られてしまった。


 甚平を着た日焼け金髪のサメ男。沙鳥は誰か待ち合わせをしていると言っていたから、あの男がその待ち合わせの相手なのだろう。


 僕は沙鳥の学校以外での交友関係を知らない。僕は勝手に、沙鳥が家族以外で一番コミュニケーションをとっているのは僕なのだろうと思っていた。


 そうではなかったのだ。沙鳥には容赦なく手を握って連れ去られても抵抗しない間柄の男がいたのだ。


 待て。あれが沙鳥のお父さんという可能性もある。


 いや、ない。若すぎるし、たしか父親は警察官だと言っていた。金髪の警官なんて漫画と漫画原作の実写以外で見たことない。


 じゃあ、誰だ。


 誰でもいいか、別に。



 ――〝私……黙っていたことがあります……〟



 あの沙鳥の言葉は、ひょっとしたらあの男のことだったんだろうか。二人がやろうとしている「つづき」ってなんだ。僕には見当もつかない。



 ――『祭りの夜になると、女は軽くなると聞いている』



 宇佐美の言葉が頭をよぎる。沙鳥も軽くなってしまうのだろうか。物理的にはもともと軽そうだけど、きっとそういう軽さじゃない。じゃあ、どんな軽さだ。まさか。


 いや、言っても沙鳥は中学生だ。


 変な子ではあるけど、変なことはしてないだろう。


 変なことってなんだ。


 変なことって――


「しんいち、なにへんなかおしてんだよ」


 いつのまにか、下から誰かが見上げていた。


「句縁……」


 やっと待ち合わせに来たちびの幼馴染は、いつもと様子が違った。


「じろじろみんな」


 句縁も浴衣を着ていた。白地に水色の模様だ。髪も結って花のかんざしまでつけている。手間取っていた準備とはこのことだったらしい。しかし、


「着せられてるみたいだな」


「おい」


 句縁は言った。


「それはしょうじき、いなめねー」


 自覚しているなら、そっとしておけばよかった。背の低さと着物の相乗効果から生まれる七五三っぽさは、どうしてもぬぐいようがない。


「……悪かった」


「まあ、ゆるさない」


 許さないんかい。


「珍しいな。句縁が浴衣なんて」


 昔から句縁とは何度も祭りに来てるけど、いつもTシャツにハーフパンツという少年のようないでたちだった。部活帰りでジャージ姿だったこともある。そんな句縁が今日は七五三だ。


「へへ、ファストファッションのゆかた」


 お前もか。


「だいじなひとにあうんだぜ。ゆかたくらいきるだろ」


「大事な人?」


「あ、しんいちじゃねーから」


「だろうな」


 句縁と僕に限ってそれはない。


「……で、誰なんだ」


「シークレットゲスト」


 だとしたら仕掛け人が遅刻したら意味ないんじゃないのか。


 そういえば、シークレットとか言ってたのは……。


「宇佐美?」


「ちげー」


 秒で否定された。


「そういやあいつもついでのついでによんだんだった。すげーわすれてた」


 大丈夫だ。宇佐美は宇佐美でお前を待とうという気持ちがまったく無かったから。


「じゃあ、他にも誰か呼んだのか?」


「へへへー、ひみつー」


 句縁は満面の笑みで言った。


 句縁がこんなに浮かれるほど執心している人物は1人しかいない。実際の性格を知る由もなく、なんとなくの大人びたイメージで勝手に神格化している存在だ。


「……沙鳥か?」


 僕がそういうと句縁は驚愕の表情を浮かべた。


「おまえ、エスパーかよ」


 そうだよ。


「そーなんだよ。さとりさん、はやくこねーかなー」


 なんだ。シークレットゲストって沙鳥だったのか。ということは、沙鳥も句縁が呼んだのか。ということは、沙鳥が待ってたのも句縁だったのか。なーんだ。


 ……。


「……しんいち?」


 待ってくれ。じゃあ、あの男は誰だ。


 あのジンベエザメは。


「しんいち? なんか、かおこえーよ?」


 沙鳥はあの男を待っていたわけじゃない。じゃあ、沙鳥は見ず知らずの男に、強引に連れ去られたんじゃないか?


 こうしている場合じゃない。


「句縁。沙鳥に電話できるか?」


「いや、ばんごうもなにもしらねー。てがみでよびだした」


 古風。


 でも、僕も知らない。


「句縁。ちょっとここで待ってろ」


「どこいくんだよ?」


 僕は句縁を置いて駆けだした。





 出店の並ぶ通りは大変な人だかりだ。花火の時間も近づいているから、今が客足のピークだろう。


 にぎやかな家族連れ、ベタベタしている男女、目が笑ってない出店のおじさん、ヨーヨーが割れて泣く子供、学校で何度か見たことある男子、沙鳥と同じ浴衣で金魚すくいに励む女子……。僕は人並みをかきわけて進んだ。


 このあたりで公園といえば遊歩道のはずれにある小さな公園だ。偉人の像とは逆方向のはずれだ。あそこもちゃんとした明かりがない上に、まわりを背の高い植樹に囲まれているから夜はとても暗い。


 沙鳥が何をされているのかはわからないけど、急いだほうがいい。履きなれない雪駄に足をとられながら、僕はテレパスのもとへ急いだ。





 思った通りだった。


 背の高い木に囲まれた暗い公園のベンチに、サメ男らしき人物と沙鳥らしき人物が並んで座っている背中が見える。


 これは邪魔をしない方がいいのでは……。


 いや、男は沙鳥と無関係な人物のはずだ。助けなくては。


〝沙鳥……〟


 僕がテレパシーを飛ばすと、沙鳥からすぐに返事が来た。


〝……ああ、その声は芯条くん〟


 明らかに安堵の念だった。


〝芯条くん……。お願いです〟


 沙鳥ははっきりと、こう念じてきた。


〝助けてください〟


 当たり前だ。そのつもりで来た。


〝……待ってろ〟


 サメ男は図体がかなりでかい。もしもの時には、僕は一撃でぶっ飛ばされてしまうかもしれない。でも、それでも助けなくては。沙鳥が助けを求められる相手は、僕しかいないのだ。


 僕は恐る恐る、ベンチに近づいて声を絞り出した。


「……あ、あの……」


 我ながら蚊の鳴くような声だった。


「あァ?」


 サメ男が振り返る。お面をつけているから実際の表情はわからないけど、声にはいら立ちが感じられる。


「……その……あなたの横にいる人は……僕の……友達です」


「あァ?」


 サメの牙が一瞬光ったように見えた。


「そ、そいつは、その……何もしゃべらないですけど、本当はこう思ってます」


 沙鳥は僕に助けを求めている。


〝一回くらい勝ちたいです〟


「一回くらい勝ちたい……はあ?」


 沙鳥から思いもよらない念が来て、僕は自分の言葉に首を傾げた。


「はァ?」


 サメ男が疑問の声を返すのも無理はない。


〝……沙鳥、勝ちたいって何?〟


〝ゲームです〟


 よく見ると、沙鳥とサメ男はベンチの前にあるテーブルに、持ち運べるゲーム機を置いて操作していた。一台あれば二人で対戦できるものだ。


 画面には男がつけているお面のサメのキャラクターと、沙鳥がつけているお面のキツネのキャラクターが映し出されている。そうか、ゲームのキャラだったのか。


〝ちっとも勝てないので、芯条くんが必勝法を知っていればと思いまして〟


 男から強引に何かされそうで助けを求めていたわけではなかった。


〝……沙鳥、この人知り合いなの?〟


 そうでなければ仲良くゲームなんかしない。


〝わかりません〟


〝……わかりません?〟


〝知らない人だと思ったんですが、自信満々に連れ去られたので私が覚えていないだけかと〟


 そんな解釈ってあるのか。


「つーかジブン、なに? トトコの知り合い?」


 サメ男は僕にそう言った。


「トトコ……?」


 初めて聞く名前に僕が戸惑っていると、沙鳥が念じてきた。


〝こちらのサメさんが、さっきから私のことをそう呼んでます〟


 なるほど。


 じゃあ完全に人違いじゃないか。


「オレ、トトコのアニキだけどさぁ。ジブンは? トトコとどういう関係よ?」


「あの……勘違いしてるみたいですけど、これはあなたの妹さんじゃないです」


「は? じゃ、なんで黙ってついてきたん?」


 もっともだ。


〝……沙鳥、お面とれよ〟


〝え、なんでですか〟


 なんでまだわからないんだ。


〝この人は沙鳥を自分の妹と間違えてるんだよ〟


〝ああ、なるほどです。そういうことですか。謎がとけました〟


 謎になったのは沙鳥のせいだけど。


〝お面とれば解決するから〟


〝……でも……〟


 どうした。


〝なんだか今更、恥ずかしいです……〟


 そんなこと言ってる場合か。


「沙鳥」


 僕がテレパシーでなく直接声をかけると、沙鳥はピクリと肩を揺らした。


「お面をとりなさい」


 さすがの沙鳥も僕の本気を察したらしく、そっとつけているお面を外した。白い頬があらわになる。


「え……」


 サメ男は沙鳥の顔を見て動揺した、


「やべ、ガチでトトコじゃねーじゃん。え、誰よ。え、言ってよ」


 黙っている沙鳥のかわりに僕が説明した。


「すみません、しゃべるの苦手なんです」


 授業以外では一度も生の声を聞いたことがないほどに。


「うわ、なんだよ。負けそうになって兄ちゃんが勝手にリセットしたの、まだ怒っててしゃべんねーのかと思ったし」


 だめな兄ちゃんだな。


「つーか、きみらゴメン。いや、ガチでゴメン」


 サメ男はベンチから飛びあがると、僕と沙鳥に深々と何度も頭を下げた。


「え、じゃあ、トトコどこいるん?」


「……わかんないですけど、さっき同じ浴衣の女子が金魚すくいの前にいましたよ」


「マジか、行ってみるわ。いや二人、鬼ゴメン」


 サメ男はゲーム機をバッグにしまうと、申し訳なさそうにそそくさと去った。


 お祭りの日に大好きなゲームのキャラクターのお面をつけて、そのゲームがもとで妹とささいなケンカをする男。絶対に悪い人ではない。金髪で色黒だからといって、勝手なイメージを持つのはよくないな。


〝むむ、です。勝ち逃げされてしまいました……〟


 ベンチに取り残された沙鳥がのんきに念じてきた。


〝……あのな、沙鳥〟


 さすがに言ってやらなくては。


 沙鳥だって一応、女子なのだ。見知らぬ男に連れ去られて抵抗もせずのほほんと仲良くゲームしているなんてさすがに危機感がなさすぎる。


〝約束守ってくれましたね〟


 沙鳥は急にそんなことを念じた。


〝……約束?〟


〝期末テストの賭けです。モンスターに襲われたら助けてくださいって〟


 そういえば、そんな約束したな。


〝来てくれた時、とっても嬉しかったです〟


 テレパスはこちらを振り返ると、しっかり僕の目を見て念じた。


〝ありがとう〟


 そうして、すぐにまたうつむいた。


 ……。


 まあ、いいか。


 説教くさいことを言うのは、今はやめよう。



 だって、お祭りの夜だ。



〝……沙鳥、そういえば今まで黙ってたことってなんだ?〟


 まぎらわしい誤解を生んだ発言について僕は尋ねた。


〝ああ、あれはですね……私、実は――〟



 沙鳥が、


 取り立てて言う必要もない、


 とてもどうでもいい告白をした時、



 遠くで花火が鳴った。

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