夏祭り

 終わっていない宿題のことは、いったん考えないものとする。



 川の両岸にある遊歩道が、今夜は窮屈になる。


 もちろん、道そのものが狭くなったりはしない。派手な原色の屋根をつけた屋台がずらりと並び、その前をたくさんの人が行き交い占領してしまうのだ。


 今日は市民祭りの日。市立の中学校に通っているれっきとした市民である僕はやはり参加しなければならない。


 まだ沈みきる前の夕日を浴びながら、僕は遊歩道のはずれにある誰だかわからない偉人の銅像の前にいた。銅像になるくらいだから、きっと歴史に名を残した人だ。でも教科書に名を残すほどでは無かったらしく、名前を見ても全然ぴんと来ない。


 台座の石に刻まれた経歴によれば幕末に活躍したこのあたりの画家らしい。きっと当時の地元ではそれなりスターで、いつもまわりにはたくさんの人がいたことだろう。


 銅像となった今、近くにいるのは僕だけだった。


 屋台の群れからは遠く、街灯もなく、このあと川岸で打ち上げがある花火も立地の関係上見づらい。わざわざこんな所で立ち止まる人はいない。誰だかわからない過去の偉人より、かき氷や焼きそばの方が人気だ。


 僕だって別に偉人の銅像が好きでここにいるわけじゃない。僕と同じくこの市に住む市民であり、例年どおり僕を祭りに誘ったちびの幼馴染が待ち合わせにこの場所を指定してきたのだ。 


 だが、来ない。


 さっき一度連絡をとってみたら、ちょっと準備に時間がかかるとのことだった。あのちびめ。あんなナリで何を準備することがあるのだ。


 こう待たされると、もう少し家にいてやるべきことをすればよかったという考えが頭をよぎってくる。でも、



 終わっていない宿題のことは、いったん考えないものとする。


 だって、お祭りの夜だ。



「芯条よ」


 聞き覚えのある声がして僕が振り返ると、同じ中学に通うクラスメイトの宇佐美が立っていた。お祭りらしく甚平なんて着てやがる。


「宇佐美。何してんだ?」


「待ち合わせだ。いわば、柿月かきづきに呼ばれた」


 宇佐美は僕が待っているちびの苗字を言った。ちなみに下の名は句縁くえんだ。


「宇佐美も呼ばれたんだ」


「聞いてないのか?」


「特に」


 僕がそう答えると宇佐美はばつの悪そうな顔をした。


「まずいな。俺はシークレットゲストだったのかもしれん。悪かった」


「いや、たぶん言い忘れただけだと思う」


 なぜなら、宇佐美がシークレットで現れてもどうということはない。


「ならいい。柿月は?」


「まだ来てない。遅れるって言ってたから、しばらく待つと思う」


 あまり時間に厳しいタイプではない。


「そうか」


 宇佐美は甚平のすそを正した。


「では、行ってくる」


「どこへだよ」


「芯条よ。どこへだと思う?」


 クイズにされても。


「えっと……、出店の方でナンパとか?」


 僕は適当に宇佐美が言いそうなことを答えた。


「正解だ」


「正解かい」


「プールでの失敗で俺は気づいたのだ。逆ナンを待っているだけではだめだ。逆に自分から行かなければ。いわば、逆逆ナンだ」


 それはいわば、ただのナンパだ。


「祭りの夜になると、女は軽くなると聞いている」


「そうなの?」


「そうだ。このまま時間を無駄にしていたら、渋谷あたりにいそうな日焼けした金髪の男によって祭りに来ている女が全員連れていかれてしまう。いわば、お持ち帰りだ」


 渋谷じゃないから大丈夫だと思うけど。


「だから俺は行く。芯条はどうする?」


「句縁を待つよ」


 なぜなら句縁と待ち合わせ中だから。


「わかった。では俺は行く」


「ああ。いわば、がんばれ」


 たぶん声をかけることすらできずに終わるんだろうけど。





 日は落ち、宇佐美は去り、句縁はまだ現れない。遠くに見える遊歩道の松の並木に取り付けられたきらびやかな照明が夜に映えている。


 ナンパはともかく僕も屋台の方が恋しくなってきた。あんなににぎやかな場所を遠巻きに見ながら1人でただ待つのは結構な苦痛だ。


〝きーん、です。きーん〟


 何やら苦悶を訴える声が頭の中に聞こえてきた。


 僕と同じクラスの女子、沙鳥蔦羽の声だ。僕と沙鳥は声を出さなくても頭の中だけで言葉のやり取りができるテレパスである。


 他に同じ能力を持っている人は会ったことがない。だから、頭の中に声がした時点で沙鳥に間違いない。でも、何をきーんきーん言っているんだろう。


〝これはきーんを通り越してもう、ぼぬーです〟


〝どういう法則だよ〟


 僕は思わずテレパシーで指摘した。


〝おや、この声は……〟


 沙鳥は自信なさげに念じてきた。


〝銅像さんですか?〟


〝芯条です〟


 残念ながら。


〝なんだです。まだ生身の芯条くんですか〟


 いつか僕も銅像になるのか。


〝沙鳥。さっきから何をきーんきーん言ってたんだ〟


 僕は謎の擬音について尋ねた。


〝かき氷を食べました〟


 沙鳥は念じてきた。


〝そうしたら、心がきーんとなったのです〟


〝普通は頭がなるんだけど〟


〝私は心派だったみたいです〟


〝そんな派閥ないよ〟


 さすが食い意地の張った沙鳥さん。登場からすでに出店で食べ物をゲットしてきている。というか。


〝沙鳥も、お祭りなんて来るんだな〟


 沙鳥は人の多い場所は苦手な印象だったから意外だ。


〝芯条くん。そのテレパシー、そっくりそのままお返しします〟


 まあ、それも反論はない。


〝もう宿題は終わったのですか?〟


〝いったん考えないものとした〟


〝一緒ですね〟


 そんなところで沙鳥と共感したくなかった。


〝でもです。私は、銅像の前で人と待ち合わせに来ただけです〟


 句縁の他にも、待ち合わせにこの銅像を選ぶ奇特な人がいるらしい。


〝だから、お祭りへ遊びに来たわけではありません〟


〝かき氷食べてたのに?〟


〝ついでのついでです。ついでのついでのついでくらいです〟


 沙鳥はむきになって反論した。


〝あくまでメインイベントは、人を待つことです〟


 つまらなそうなメインイベント。


〝それで銅像の近くまで来たんですが、誰か知らない人がいるようなので遠くから様子を見てます〟


〝僕だよ〟


 周りには他に誰もいない。


〝あ。あれが芯条くんなんですね。なら安心です〟


 それから、静かな足音が後ろから近づいてきてやがて止まった。


〝私、沙鳥さん〟


〝知ってるよ〟


〝今、芯条くんの後ろにいるの〟


〝メリーさんかよ〟


 怪談の。


〝ふふふです。一度やってみたかったんです。憧れのメリーさん〟


 あんまり憧れるものじゃないと思う。


〝芯条くん。浴衣着てるんですね。珍しいです〟


 そうなのだ。宇佐美に甚平なんて着てやがると思った僕だけど、実は自分も浴衣を着てやがったのだった。


 祭りに行く、と母に言ったら「浴衣を着ないと参加する資格がない」と主張して玄関をふさぎだしたのだ。なんなんだ、あの母。


〝芯条くん。見慣れないので、すごく変です〟


 そんなはっきりと無礼な。


〝そういう沙鳥だって、変だろ〟


 図書館でも、はたまたプールサイドですら制服を着ていた沙鳥だ。どうせ今日も着ているんだろう。きっとその地味さがかえって目立つ。


 僕は振り返って、後ろにいる沙鳥を見た。


〝あ〟


 僕は思わず感嘆をテレパシーにしてしまった。



 濃い青の生地にひまわりの柄。


 沙鳥は浴衣だった。



 髪をまとめて、頭の横にキツネのお面を付けて、手にはほとんど溶けたかき氷の入った容器を持って。完全にお祭りモードの沙鳥蔦羽がそこにいた。


〝へへん、です。ファストファッションの浴衣です〟


 それは、そんなに誇ることじゃないけど。


〝やっぱり変ですか?〟


 目を逸らしながら、沙鳥は意味もなく浴衣の袖を少し引っ張って見せた。


〝……うん〟


 いつもと違うから、間違いなく変だ。


 別に、悪くはないけど。


〝というか沙鳥、それでお祭りがついでだっていうのは無理があるんじゃないか〟


 完全にお祭りを楽しむつもりの人の格好だ。


〝浴衣を着ないと祭りの夜に出かける資格がないと母が言うのです〟


 テレパスの母親には何か通じるものがある。


〝だから、これもついでのついでです〟


〝そっか〟


〝そうです〟


 僕は沙鳥の顔を見た。


 教室ではいつも、沙鳥は僕の斜め前の席に座っている。声はテレパシーでうんざりするほど聞かされるけど、顔を見る機会は意外と少ない。


 沙鳥の顔の輪郭がこんなで、前髪の長さがこんなで、頬の白さがこんなで、黒目の割合がこんなで……、という情報を僕は改めて知った。


 不意に、沙鳥は頭の横にずらしていたキツネのお面を正面に持ってきて、顔を隠してしまった。


 なぜ。


〝あの……あんまり見ないでください〟


 そんなに見たつもりはなかったけど。


〝……ごめん〟


〝いえ……〟


 それから僕と沙鳥の間に変な沈黙が生まれた。まあ、はたから見たらずっと沈黙ではあるんだけど。


 話すことが見つからず、僕は街灯もない夜空の下でただ沙鳥の隣にいた。


 まいったな。


 句縁、とっとと来ないだろうか。宇佐美、戻ってきてくれないだろうか。


〝芯条くん〟


 キツネ娘が不意にテレパシーを飛ばしてきた。


〝私……黙っていたことがあります〟


 妙にシリアスな響きの念だった。どうしたんだろう。


〝何?〟


〝私……実は……〟


 沙鳥が何か念じかけたところで、不意に男の声がした。


「お、いたいた」


 宇佐美の声じゃない。僕らの前に現れたのは、渋谷あたりにいそうな日焼けした背の高い金髪の男だった。甚平を着て何かのキャラクターらしいサメのお面をつけている。


「んじゃ、公園でつづきやるべ」


 そう言うとサメ男は、





 キツネ娘の手を引いて、連れ去ってしまった。





【つづく】

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