アメリカンジョーク

 図書館は静かだ。本を読む気がなくても、静けさを求めて図書館へ来る人だっている。今の季節なら涼しさを求めてくる人もいるだろう。


 僕はちゃんと本を借りに図書館へ来た。


 夏休みの宿題の定番、読書感想文。僕は課題図書のリストからようやく自分が読む本を一つに絞り込み、図書館へ探しに来たのだ。


 静かと言っても意外と物音はする。本を机に置く音、誰かが本を抜いてバランスを崩した隣の本が倒れる音、目的の棚を探して歩く人の足音、受付の人の声、貸出用のバーコードリーダーの音。音は色々と鳴っている。


 ただそのどれもがどこか控えめで、それが無音よりかえって「静か」な雰囲気を作っているのだ。


 探していた本は棚にはなかった。検索機を使って調べると、貸し出し中にはなっていない。ということは、今この時間に図書館の中で読んでいる人がいるわけだ。


 棚に戻るまで待とうか……。いや、ひょっとしたらちょっと読んだあとでそのまま借りてしまうつもりかもしれない。


 あきらめて別の図書館か本屋さんに行くかどうしようか迷っていた僕は、見覚えのある制服を見つけた。


 椅子が背中合わせで四脚ずつ、計八脚置かれている読書スペースの一つに腰かけている女子が、僕の通う余所見中学校の制服を着ている。


 あの背格好と髪の感じ、そして夏休みなのに制服姿……。僕は恐る恐る近づいて、離れたところから女子を確かめた。


 やっぱり、沙鳥だ。

 僕と中学校で同じクラスの女子、沙鳥蔦羽が黙々とと読書をしている。


 一つ妙なのは、テレパシーが聞こえないことだ。


 沙鳥と僕は、声を出さなくても頭の中で言葉のやり取りができる、テレパスと呼ばれるタイプの超能力者だ。そして沙鳥は、垂れ流すようにテレパシーを発してくる厄介な女子なのだ。


 でも、なぜか今日はテレパシーが聞こえてこない。ということは、沙鳥をスルーしたっていいんだけど、そうはいかない事態に僕は気づいた。


 僕が探していた本を、沙鳥が読んでいる。


 どうやら、沙鳥も僕と同じ課題図書を選んだらしい。それは別にいいけど、まさか図書館へ来る日も同じだとは。沙鳥はこのまま借りていく気だろうか。


 これは聞いた方が早そうだ。


 沙鳥が座っている席と背中合わせになっている椅子に座った。この間合いなら間違いなくテレパシーの可聴範囲に入るはずだ。 


〝沙鳥、聞こえるか〟


 いつもは厄介なテレパシーだけど図書館での会話には便利だな。


〝え……この声はひょっとして……〟


 沙鳥は戸惑った様子で念じてきた。


〝本の妖精さん?〟


〝いや、芯条です。同じクラスの〟


〝え、ということは芯条くん。本の中に閉じ込められてしまったんですか?〟


 どうしても本から聞こえることにしたいらしい。


〝すぐ後ろにいる〟


〝なんだです。実写の芯条くんですか〟


 そりゃそうだ。二次元化したことはない。


〝もう、芯条くん。読書の邪魔しないでください〟


 いつもは理不尽な不満の多い沙鳥だけど、このクレームは無理もない。


〝珍しく、集中して読んでいたんですから〟


 自分で珍しくって言わなくても……。でも、話しかけるまでテレパシーが飛んでこなかったことを考えると本当に集中していたみたいだ。沙鳥にしてはたしかに珍しい。


〝沙鳥。その本、借りるつもり?〟


〝いいえ。もうすぐ読み終わるので、読んだら戻します〟


 助かった。


〝僕も課題図書それにしたんだ〟


 僕が念じると沙鳥は不思議そうな念を返してきた。


〝え。この本って、課題図書なんですか?〟


 知らずに読んでいたらしい。


〝そうだよ。読書感想文の〟


〝それはいいことを聞きました。この幸運はまさに、ぬかにくぎですね〟


〝絶対違うよ〟


 ぬかにくぎが入ってて何の運がいいんだ。


〝後ろで待ってるから、読み終わったら渡してくれないかな〟


〝お互いに一言もしゃべってないのに、本を急に渡したら変じゃありませんか〟


 たしかに。


〝じゃあ、普通に棚に戻してくれ。普通に取りにいくから〟


 まあ、普通は普通に話しかけて渡してくれればいいんだけど、沙鳥にそれはハードルが高いだろうからな。


〝わかりました。では、実況しながら読みます〟


〝無言で頼む〟


 課題図書とはいえ、ネタバレは嫌だ。


〝ちなみに、あと何ページくらいあるの?〟


〝十ページくらいです〟


 じゃあすぐだろう。



 それから十分くらい経った。


〝沙鳥、そろそろ読み終わった?〟


 よっぽど難読漢字でも並んでいない限り、読み終わっていてよさそうだけど。


〝うーん、です。あと、五十ページくらいですね〟


〝なんで増えてるんだよ〟


〝さっき芯条くんに乱入されて集中できなくなったので、ちょっと前の部分から読み直していたんです〟


 それにしたって戻りすぎだ。


〝あと、芯条くん。思いついたんですけど〟


〝何?〟


〝アメリカンジョーク〟


 流れを無視する沙鳥。


〝どういうこと?〟


〝ですから、American joke〟


 発音はどうでもいい。


〝きのう思いついたんです〟


〝だからってなんで今〟


〝せっかく芯条くんがいるんです。聞いてもらわないわけにはいきません〟


〝そのうち教室で聞くよ〟


 正直それも困るけど、今はとりあえず読書を終わらせてほしい。


〝でも、これを聞いてもらわないと気になって読書が進みません〟


 それも困る。


〝わかった。じゃあ、聞かせてくれ〟


〝いいでしょう〟


 なんで上からなんだ。


〝ゴホン〟


 脳内で咳払いする沙鳥。


〝「これは俺が子供の頃の話なんだが――」


 沙鳥はアメリカ人男性っぽい口調のテレパシーを飛ばしてきた。


〝――俺の家では、小さな柴犬を飼っていたんだ」〟


まあ、それっぽい出だしではある。


〝「それが、今の嫁ってわけさ」〟


 急。


〝どうですか?〟


 終わりだった。


〝どうもこうも、だめだと思う〟


 ジョークになってない。謎の怪異譚だ。


〝むむむ、です。もう一つあるので、聞いてください〟


 いい予感はしない。


〝「いいニュースと、悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」〟


 よくあるやつだ。


〝じゃあ、いいニュース〟


〝「OK。それじゃ、いいニュースから」〟


 沙鳥は得意げに念じてきた。


〝「さっき湯のみでお茶を飲んでいたんだが、なんと、茶柱が立っていたんだ」〟


 いいことではあるけど、ニュースにするほどじゃない。


〝……で、悪いニュースは?〟


〝「それが、今の嫁ってわけさ」〟


 不思議。


〝どうですか〟


〝だめだろ〟


 僕は冷静に指摘した。


〝沙鳥。最後に「それが今の嫁」って言えば話が落ちると思ってないか?〟


〝違うんですか〟


〝違うよ。強引に嫁にしたせいで、犬とか茶柱が人間に変身するファンタジーになっちゃってるから〟


〝では、アメリカンファンタジーですね〟


 新ジャンル。


〝あと、柴犬とか茶柱とかアメリカンジョークにしては和の要素が多すぎる〟


〝では、ジャパニーズファンタジーです〟


 もう原型がない。


〝芯条くん。私はアメリカンジョークを考えたんです。何をジャパニーズファンタジーにしてくれるんですか〟


 僕に怒られても。


〝沙鳥。アメリカンジョークってもっとこう、とんちみたいな感じのじゃないかな。沙鳥はそれっぽい雰囲気しか出せてないんだよ〟


〝そこまで言うのなら、芯条くん。お手本を聞かせてください〟


〝僕が?〟


 面倒なことになった。


〝芯条くんがアメリカンジョークを聞かせてくれるまで、この本は私のものです〟


 厳密には図書館のものだ。でも、沙鳥からふんだくるわけにもいかない。


〝わかった。考えるからちょっと待って〟


〝お願いします。そのあいだ私は昨日見た夢を思い出して続きを考えますから〟


〝いや、本の続き読めよ〟



 正直、僕もアメリカンジョークなんてぱっと思い浮かばないけど、幸いここは図書館だ。アメリカンジョークについてまとめた本だってあるだろう。


 それらしい本を検索機で探してみると、すぐにいくつか見つかった。該当する本は「世界の文学」の棚に一つと「言語学」の棚に二つ。どっちも無理矢理ジャンルわけした感じだな。


 言語学の棚は沙鳥のいる位置からも近い。わざわざ席に戻らなくても棚から本を抜き出してその場でテレパシーが送れるだろう。


 僕は言語学の棚からアメリカンジョークの本を見つけて、パラパラとめくった。


〝沙鳥。聞こえるか?〟


〝待ってください。今、東京湾に沈められたところまで思い出したんです〟


 どんな夢見てんだ。


〝アメリカンジョーク思いついたんだけど〟


〝「ほほう。聞こうじゃないか」〟


 聞く側にアメリカンな雰囲気はいらないんだけど。


 僕は適当にめくったページに書いてある文を沙鳥に念じて聞かせた。


〝「親指に包帯を巻いた男が病院の待合室で泣いていたので、俺は『いったいどうしたんだ?』と尋ねた。すると男はこう言った。『あのヤブ医者。俺はただ血液の検査に来ただけだってのに、血を採るのに指の先を切りやがった』〟


〝うう。痛そうです〟


 僕は先を読み進めた。


〝「すると、隣にいた男が青ざめた顔をした。俺が『何をそんなに青ざめているんだ?』と尋ねると、隣の男はこう答えた」〟


 僕は最後の一行を伝えた。


〝「『私はこのあと尿検査を受けるんだよ』」〟


 まずい。


 僕は激しく後悔した。なんでこのページを選んでしまったんだろう。まさかこの系統のジョークだとは。これはとても気まずい。


〝……あの、芯条くん……〟


 沙鳥がものすごく困っている。


 無理もない。ごめん、沙鳥。僕だってそんなつもりじゃなかった。まさかこんな静かな図書館でわざわざテレパシーでこんな話をする予定じゃなかった。


〝申し訳ないのですが……それは、どういう意味ですか?〟


 助かった。


 勘のニブい沙鳥には、よくわからなかったようだ。


〝あ、待ってください。芯条くん、わかりました!〟


 いや、わかっちゃだめだ。


 その後に会話を広げる自信がない。


〝いや、沙鳥。あの……〟


〝これはつまり――〟


 沙鳥は堂々と念じてきた。





〝――謎に包まれたアメリカンミステリーですね?〟





 ……。


 それでいいや。

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