プール

 人が水に流されている。


 正確には自分の意志で水の流れに身を任せているんだけど、見たままをそのまま言うのなら、やっぱり人が流されている。


 夏休みの宿題を効率よくやるために、まずは遊ぶことから始めようと考えた僕は、友人の宇佐美に誘われ、地元からバスで小一時間ほどのところにある「くろさぎ水上公園」のプールに来た。


 さっきまで流される人々に加わっていた僕らは、木陰の芝の上で休憩している。


「妙だ」


 宇佐美が神妙な顔をして言った。


「なぜ逆ナンされない」


「されないよ」


 逆になぜされると思ったんだ。


「なぜだ、芯条よ。よく周りを見てみろ」


 僕は言われた通りに周りを見回した。基本的に人しかいない。今日は夏休みの一日ではあるけど、カレンダー的にも休日だから人出はすさまじい。


 郊外の公営プールだから家族連れが目立つけど、大学生くらいの集団もそれなりにいる。僕らのように中学生くらいの子供だけのグループもある。


「これだけの人間がいて、なぜ俺をナンしない」


 変な略し方をする宇佐美。


「いわばノンナンだ」


 なんなんだ。


「しかし、芯条よ。俺は一つの望みにかけるぞ。いわばワンチャンだ」


 なんか違う気がするけど。


「望みって?」


「沙鳥さんだ」


 沙鳥。僕や宇佐美と同じクラスの女子の名前だ。宇佐美の『気になる女子リスト』にも入っているらしい。教室ではいつも黙りこくっており清楚で大人しいお嬢さんといった雰囲気をだしている。


 そして僕、芯条信一とはなぜかテレパシーのやり取りができる。おかげで本当はちっとも大人しくないやつであることを僕だけは知っている。


 でも、なぜ今沙鳥の名前が出るんだろう。


「これだけの人がいるのだ。沙鳥さんがいてもおかしくはない」


 たしかにおかしくはない。地元では一番メジャーなプールだ。


 でも沙鳥はいないはずだ。ここへ来る途中に僕はバスの中で沙鳥のテレパシーをとらえたけど、沙鳥は別の車で家族と出かけている様子だったし、くろさぎに行くバスとは違う道へ進んでいった。


「いわば、マイクロビキニ姿の沙鳥さんがいても、おかしくはない」


「おかしいよ」


 仮に沙鳥がいたとしても、そんな攻めた水着のはずがない。なんだ、マイクロビキニって。


「ふ、芯条よ。何もわかっていないな」


 宇佐美には何がわかってるんだろう。


「ああいう清純派の女子というものは、本質は大胆であったりするものなのだ」


「そうかなぁ」


 そもそもあいつ清純派じゃないけど。


「では芯条は、沙鳥さんはどんな水着を着ていると思うのだ?」


 僕は沙鳥の水着姿を想像してみた。


 だめだ。制服姿以外の沙鳥はまったく想像もつかない。体操着やスクール水着ですらも。がんばっても出てくるのは給食当番の時の割烹着姿くらいだ。


「どんなマイクロビキニだと思う?」


「マイクロビキニじゃないと思う」


 というか、ビキニじゃないと思う。


「そうか」


 宇佐美は悟ったような顔で言った。


「ボンテージ派か」


 それは水着でもないと思う。 





 宇佐美とのじゃんけんに負けた僕は二人分の焼きそばを買うために売店に並んでいた。お昼時なのもあってめちゃくちゃ混んでいる。


 しばらく並ぶ羽目になりそうだ。


〝ぐぇへへへへ。やっとメシにありつけるぜ〟


 聴きなれた声が僕の頭の中に響いた。


 文面こそさらってきた娘に舌なめずりをするモンスターのようだけど、やたらと澄んだ声色のテレパシー。間違いなく、沙鳥のものだ。


 僕は焦った。

 なぜ沙鳥がいる。


 沙鳥は僕らの乗っていたバスとは違う道に進んでいたはずなのに。


〝ぐぇへへへ……げほっ、げほ〟


 でも、いるものは仕方ない。こっちの存在を気づかせないようにしよう。


〝げほっ……。おや? あれは、ひょっとして芯条くんじゃ……?〟


 いきなりバレた。


〝うーん、です。でも違うような気もします〟


 いや、まだ半信半疑だ。こっちから反応しなければやり過ごせそうだ。


〝でもプールに行くと言っていましたし、やっぱり芯条くんですかね……?〟


 違うよ。それは僕じゃないよ。


〝見覚えがあるんですよね〟


 それは僕じゃないよ。


〝あのサングラスに〟


〝それは僕じゃない〟


 本当に僕じゃない人を見ていた沙鳥に、つい反応してしまった。


〝あ。やっぱり芯条くんだったんですね〟


 沙鳥が嬉しそうに反応する。


〝いや、沙鳥。近くにはいるんだけど、沙鳥が見てるのは僕じゃないと思う。サングラスしてないから〟


〝あら。ではその前のサンバイザーの人ですか〟


〝それも違う〟


〝ではその前のフリルのワンピースの人ですか〟


〝沙鳥。僕、男子だよ〟


 知らなかったのなら悪いけど。


〝フリルの人も男性ですよ?〟


 衝撃。


〝だとしても僕じゃない〟


〝そうですよね。じゃあ、その前のケンカの弱そうな体型の少年ですか〟


 それは僕かもしれない。


〝後ろから見た感じ、芯条くんっぽい髪型で、芯条くんっぽい顔の輪郭してて、芯条くんです〟


〝じゃあ、僕だよ〟


 まいったな。沙鳥は後ろの方に並んでいるらしい。


〝また会いましたね〟


 厳密にはさっきは会ってはいない。偶然、お互いの車が近くを走っていてテレパシーの有効範囲に入っていただけだ。


〝沙鳥んちの車、くろさぎと別の方に進んでなかった?〟


 途中でテレパシーが途切れたから別の行き先に向かったと思ってたんだけど。


〝それがですね。驚きのトリックがありまして〟


 なんだろう。


〝お父さんが道を間違えたんです〟


 ただのミスだった。


〝じゃあ、最後に『じ……ご……く』って言ってたのは?〟


 あれは何の文章の一部が聞こえてたんだろう。


〝ここの売店の地獄クレープが美味しいと噂なのです。あ。じ……ご……く……クレープです〟


 沙鳥のテレパシーは途切れていたわけではなく、ストレートに『地獄』と念じてきていただけだった。しかも地獄っぽさを出すためにわざとゆっくり念じてた。


〝地獄クレープね……〟


 悪いがあまり美味しそうではない。罰ゲームのネーミングだ。


〝芯条くんは一人で来たんですか〟


 プールに一人で来るメンタルはない。


〝宇佐美とだよ〟


〝う……さみ……?〟


 沙鳥さん、宇佐美はあなたの隣の席ですよ。


〝ああ。あの偉そうな人ですね〟


 よかったな、宇佐美。印象はともかく認識はしていたみたいだ。


〝でも、ごめんなさい。芯条くんと宇佐美くん。今日は家族と来ているので、一緒に七ならべはできないんです〟


〝そんなつもりなかったよ〟


 プールでやることじゃない。


〝また学校でお会いしましょう〟


〝ああ〟


 一か月以上先になるけどな。



 さて。


 いい感じにひとくだり終わったと見せかけて、一つ問題があることに僕は気づいた。





 沙鳥がどんな水着を着ているのか、気になってしょうがない。





 正直、沙鳥がどんな水着を着ていようがなんとも思わないけども、さっきまで宇佐美と話題にしていたせいで確認したくてしょうがない。答え合わせがしたい。


 まさかマイクロビキニを着ているわけはないけど。いや、意表を突くことを日課にしている沙鳥のことだから、ひょっとしたらもあり得るかも。


 本人に聞いてみようか。でも、なんて聞けばいいのだ。『今どんな水着着てるの』ではまるで変質者の電話だ。


 どうしよう。いきなり今から振りかえって沙鳥を探してまじまじと見つめるのは不自然だし。


 いや待て。沙鳥は僕より後ろに並んでいるのだ。注文した焼きそばを受け取って戻る時に、沙鳥の水着が見られるじゃないか。


〝よっしゃ〟


 思わず声がテレパシーとして漏れてしまっていた。


〝おや、です。何かいいことでもあったんですか?〟


〝いや、なんでもない〟


 勘違いされたら困る。僕は沙鳥の水着姿が見たいわけじゃないんだ。あくまでさっきの答え合わせをしたいだけなんだ。


「お兄ちゃん。注文は?」


 Tシャツにエプロン姿の恰幅の良いおばさんが少し苛立ちを含ませて僕に言った。しまった。いつのまにか僕が注文する番だった。


「あ、すみません……焼きそばを二つ」


「はい、焼きそばね」


「あ、それと」


 沙鳥が食べたがっている地獄クレープってどんなのなんだろう。ちょっと気になるな。


「地獄クレープを一つ」


 僕がそう告げると、売店のおばさんは苦い顔をした。


「あー、それここじゃない。向こうの、波のプールに近い方の売店だわ。こっちは置いてないんだわ」


 沙鳥のやつめ。父親と同じく行き先を間違えていやがった。


「……じゃあ、いいです」


 おかげで恥をかいてしまった。


〝沙鳥。悪い知らせがある〟


〝では、いい知らせから聞きましょう〟


 悪いが、悪い知らせしかない。


〝地獄クレープの売店はここじゃなくて波のプールの方だってさ〟


〝おや。悪い知らせですね〟


 沙鳥は残念そうに念じてきた。


〝ありがとうございます。それでは、猛ダッシュで波のプールに向かいます〟


〝ああ〟


〝ではまた、です!〟


 それきり沙鳥のテレパシーは途絶えた。



 しまった。

 水着姿を逃した。



 いや、もちろん水着姿を見られなかったことじゃなくて、正解のわからないもどかしさが残ることがショックなだけだ。


 それだけなんだから。





 二つの焼きそばのパックを手に戻ると、宇佐美は何やら機嫌がよさそうだった。


「いわば、ふんふーん」


 鼻歌まで歌っている。


「どうしたの?」


「芯条。俺の勘は正しかった」


「何が?」


「沙鳥さんの姿を見かけたのだ。さっき通りすぎていった」


 まじか。


「やはり俺と沙鳥さんは運命の赤いコースロープで結ばれているんだな」


 プールだからか。


「……で、どんな水着着てたの?」


 宇佐美に聞くのならばいいだろう。


「それがな。そのおかげですぐに沙鳥さんだとわかったのだが、沙鳥さんは――」


 宇佐美は言った。


「――制服だった」





 沙鳥はぶれない。

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