終業式
ときたま、足元を冷たい風が吹き抜ける。換気用の小さな窓から入る風だ。今日は久しぶりに涼しい。
なんとか無事に期末テストを切り抜けた僕は、こうして平和な終業式を迎えることができた。
「――ねくすと。それでは続いて、校長先生の挨拶です。校長先生、お願いします」
進行役の英語の先生が告げると、壇上に校長先生が上がった。
「どうも、私が校長です」
校長先生がわかりきっていることを告げた。
「間違いなく私が校長です。もし疑っているのなら、自慢の上腕二頭筋をお見せしましょう」
そんなことをされても困るだけだし、どう見ても筋肉質の体型ではない。おじさんらしいおじさん体型の校長だ。
「校長からは、明日からの心構えを話したいと思います。少し長くなりますので、おトイレに行きたいかたは今のうちに」
親切だな。
「それから、校長が話しているあいだの飲食は禁止です」
そんな暴挙に出る生徒はおそらくいない。
「無断での撮影、録音などの行為は固く禁じます」
そんな行為をする目的がわからない。
「もしこれらの行為が見つかった場合には校長の話を中止し、体育館を強制退場していただく場合がございます」
それよりまず叱るべきじゃないかな。
「今回の校長の話はDVDとしてリリース予定があるので撮影機材が入っています。ご了承ください」
どこで売る気なんだろう。
「演出の都合上、非常灯は消灯いたします」
夏休みの諸注意にどんな演出があるんだ。
「突発的な災害などが発生した場合にはスタッフの指示に従って落ち着いて行動してください」
スタッフって誰だ。
「それでは間もなく校長の話が始まります。もうしばらくお待ちください」
いや、話してくれすぐに。
校長先生は本当に十秒ほど無言でたたずんでいた。
「……はい。というわけで校長が話します」
まったく必要のなかった間をあけて、校長は仕切り直した。
「さて、明日からの心構えを語る前に、一つどうしても話したいことがあります」
まだ始まらないんかい。
「これはまだ、私が校長と呼ばれる前の、ある冬の朝のことでした――」
よりによって冬の話。
この通り、校長先生の話は訳がわからない。こんな調子だから、まともに話を聴いている生徒はほとんどいないだろう。あるいは、ほとんど誰も聴いていないからこそ、こんないい加減なのかもしれない。
〝ふむふむ、です。冬ですか〟
ちゃんと聴いている女子生徒がいた。
この声は、僕の頭の中にだけ聴こえてくるテレパシー。僕と隣の列に並んでいる女子、沙鳥は口を開かなくても会話をすることができるテレパスなのだ。
「まだ校長ではなかった校長は、ある日、お父様とケンカをしてお屋敷を飛び出してしまったのです」
校長はおてんばな令嬢か。
〝なるほど、です〟
沙鳥が脳内で深くうなずいた。
〝そいつはめでてーや〟
〝どこがだよ〟
沙鳥のあきらかに間違っているリアクションに僕は思わずテレパシーで割り込んでしまった。
〝あら、この声は――〟
沙鳥は僕の念に反応した。
〝――芯条財閥のおぼっちゃん〟
〝そんな家柄良くない〟
校長先生の話にひっぱられている。僕は普通の芯条家の普通の信一だ。
〝芯条くん、いたんですね〟
〝いたよそりゃ〟
全校生徒がいる。
〝芯条くん。申し訳ないですが、今は芯条くんの話につきあっている暇はありません。忙しいのです〟
大変心外なことを言われた。いや、念じられた。
沙鳥はいつも、授業中にどうでもいい話をテレパシーでけしかけてきて僕の邪魔をするのだ。おかげで勉強にならず、期末試験もかなりあぶなかった。
そんな沙鳥に邪魔者扱いされるとは。
〝忙しい、って……校長先生の話を聴いてるだけだろ〟
〝それです。今、私は全身全霊をかけて校長先生の話を聴いているんです〟
〝……なんで?〟
身になることは一つもなさそうだけど。
〝芯条くん。テレビで見たのですが、現代の若者に不足しているものをご存知ですか〟
〝不足しているもの?〟
〝そう。社交性です〟
〝まだ何も言ってないけど〟
少なくとも、沙鳥には不足していることはわかった。
〝目上の人に飲みに誘われても、簡単に断る。目上の人に趣味の話をされても、興味を持たない。目上の人が屏風の虎を退治しろといっても、へりくつでごまかす〟
〝最後だけ現代人のエピソードじゃないな〟
〝これはゆゆゆゆしき問題ですよ〟
〝『ゆ』が二個多いけど〟
〝それだけ、ゆゆっているということです〟
どういうことなんだろう。
〝そこで私は決めたのです。社会に出たときに、目上の人の話にきちんと相槌が打てる若者になろうと〟
立派な心がけだ。
〝そして同期を出し抜くのです〟
野心家だ。
〝そうすれば、美味しいご飯をたくさんおごってもらえるのです〟
食いしん坊だ。
〝そういうわけで今、私は校長先生の話に良い相槌を打つ練習をしているというわけです。だから邪魔しないでください〟
〝わかった〟
やりたいことはわかった。
でも、練習相手として校長先生は一番不向きなんじゃないだろうか。あの適当で訳のわからない話にきちんと相槌を打つのは難しいと思う。
「――そして校長が空を見上げると、青くまばゆい光を放ちながら教頭が降ってきたのです――」
ほら、訳がわからない。
〝なるほど、です〟
納得するポイントがどこに。
〝そいつはめでてーや〟
こっちも適当だな。
でも、沙鳥が建設的な考えで行動しているのは良いことだ。ここはちょっと様子を見てみよう。
「――それから校長によく似た顔の男は言いました。『きみは所詮、私のコピーなのだよ。オリジナルには勝てん』――」
〝そいつはめでてーや〟
「――箱の中からは憎悪や犯罪、病気や事故といったあらゆる災厄があふれ出していきました。校長は慌てて箱を閉じましたが、中には教頭だけが残ったのです――」
〝そいつはめでてーや〟
「――この、ピースしている校長の肩の部分をよく見ていただきたい……おわかりいただけただろうか……意外と……なで肩であることを――」
〝そいつはめでてーや〟
「――そうっすね。うちのバンドの場合、校長が適当に弾いたリフからセッションして曲を作っていくことが多いんですけど、今回は教頭が先に詞を書いてくれたんで、そっからイメージふくらませてった感じで、新しい試みっすね――」
〝そいつはめでてーや〟
「――すみませーん。この校長、やっぱりつま先がきついんで、二十六・五も持ってきてもらえます?――」
〝そいつはめでてーや〟
「――どうも、校長です。名前と役職だけでも覚えて帰ってください――」
〝そいつはめでてーや〟
「――ほら、教頭! ハウス! ハウス!――」
〝そいつはめでてーや〟
〝……なぁ、沙鳥〟
もう潮時だと思った僕は沙鳥の名を呼んだ。
〝そいつはめでてーや〟
僕にまで。
〝いや、沙鳥。さっきからずっとそれ連発してるけど、その相槌そんなに万能じゃないと思うよ〟
〝そうですか?〟
沙鳥は不服そうに念じてきた。
〝おめでたい気分になったら、みんな楽しくなるじゃないですか〟
〝めでたくない時に言われたら逆効果だよ〟
そもそも普段の沙鳥と口調が違いすぎるし。
〝それに、同じ反応ばっかり繰り返してたら、こいつは話を全然聴いてないんだなって思われるんじゃないかな〟
〝でも、実際聴いてないわけですし〟
〝じゃあ、なおさらだめだよ〟
〝むむむ、です。では、さっきの話の相槌は何が正解なのでしょう〟
〝それは……〟
それは誰にもわからない。
あんな何の脈略もない思い付きで適当に考えたような話に正しい相槌など存在しないだろう。
「――今なら、校長Tシャツもらえる!――」
もはや話ですらない。
〝正解はわかんないけど。少なくとも『めでてーや』じゃないと思う〟
めでたくはないからな。
〝うーん、です〟
沙鳥はため息まじりに念じてきた。
〝目上の人に合わせるのって、難しいんですね〟
まあ、校長先生は特殊すぎるけど。
〝芯条くんだったら簡単に合わせられるのに〟
〝そうでもないけど〟
むしろ合わせているのはこっちだ。
「――ええ、というわけである冬の日の心温まるストーリーでした」
校長が締めに入っている。ちゃんと聴いていたわけじゃないけどそんな話ではなかったと思う。
「ではここからは、明日からの心構えについて話したいと思います」
まだ話すのか。話すの好きだな。
校長先生は言った。
「よく学べ、よく遊べ。以上」
言うやいなや、礼もせずに颯爽と壇上から降りていく校長。
いや、なんで最後ちょっと格好いいんだ。
〝あ、そういえば芯条くん。知ってましたか〟
〝何を?〟
沙鳥は念じてきた。
〝あしたから、夏休みらしいですよ〟
それを知らずに終業式に出ている人間はいない、とは思いつつ、僕はベストな相槌を返すことにした。
〝そいつはめでてーや〟
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