異能力バトル
日差しの強い暑い日が続いている。教室の窓から入る朝の太陽を見るかぎり、今日も同じような気候になりそうだ。
でも、気候は同じでも今日からは特別な日々が始まる。期末テストの初日なのだ。今日から三日間、僕の通う余所見中では緊迫した時間が流れる。
僕は黒板の上の時計を見た。ホームルームまではまだ十分以上ある。教室にいる生徒はまばらだけど、普段の日の同じくらいの時刻に比べれば多い。
いつもは勉強に積極的でない生徒も、この日ばかりは試験に備えて最後の復習を行っていた。まあ、普段と変わらない人もいるけど。
そんな中、普段は積極的に勉学に励んでいるはずの僕は、机に突っ伏して寝た振りをしていた。
「芯条」
男子の声がする。僕の前の席の男子、宇佐美が登校したのだろう。
でも、返事をするわけにはいかない。
「芯条、芯条よ」
何度呼ばれても返事はできない。悪いな、宇佐美。いつもなら学校での朝は宇佐美との軽い雑談から始まるところだけど、今日は他に大事な目的がある。
「そうか……。今日のテストを諦めたのだな」
ちがわい。
「いわば、ギブアップか」
そんなことはない。僕はできる限り勉強をした。万全とは言えないけど、少なくとも赤点をとることはないと確信している。
そして、その確信をより確かなものにするため、僕は朝のうちにあいつと決着をつけなきゃいけない。だから、他のやつと雑談をしている場合じゃないんだ。
「芯条よ。ならば、そっとしておこう」
ありがとう、宇佐美。助かる。
「追試で会おう」
いや、それは困る。宇佐美もがんばれ。
さて、宇佐美はやり過ごした。あとは、あいつが来るのを待つだけ。
「しんいちー、しんいちー!」
頭の上からかん高い声がした。これは僕の幼馴染のちびの女子、句縁の声だ。
「しんいちー!」
悪いけど無視だ。宇佐美同様、句縁とのんきに会話しているわけにはいかない。
「しんいちー?」
僕が待っているのは別のやつだ。
「……しんでる?」
いや、強く生きてる。
「はぁ、しょーがねーな。じさつかたさつかだけ、あとでおしえてくれな」
とことことした足音が遠ざかっていった。
死者が死因をあっさり教えてくれたら探偵は廃業だな、などと僕が考えていると、今度は女子の澄んだ声が頭の中に聞こえてきた。
〝いつも一緒にやっとこさ〟
この謎のフレーズは僕の頭の中にテレパシーとして聞こえていた。
あいつが来た。
ほどなくして斜め前の方から椅子が床を引く音が鳴り、誰かが座る気配がする。
間違いない。沙鳥が来たのだ。
僕と沙鳥はテレパスと呼ばれるタイプの能力者である。テレパス同士であれば声を出さなくても、頭で念じるだけで相手に言葉を伝えることができる。
僕は机から頭を上げた。教室にはもうクラス全員登校しているみたいだ。さすがテスト前。
肝心の沙鳥は僕の斜め前の席で、ノートを広げるでもなく早くも頬杖をついて物憂げにしていた。沙鳥の基本スタイルだ。
〝いつも一緒にやっとこさ〟
沙鳥のテレパシーは何かを伝えるというより、考えがそのまま漏れていることが多い。小さく思考すれば相手に伝えないことができるのに、沙鳥はその調節をさぼる。
〝これは……鎌倉幕府の年号でしたね〟
かなり独特な語呂合わせで覚えているらしい。沙鳥といえども、さすがにテストの日はテストのことを考えているようだ。まあ、社会の日程は明日だけど。
〝えー、『い』つも『い』っしょ『に』、『や』っ『と』『こ』『さ』だから……。1128万1053年ですね〟
途方もない未来に鎌倉幕府が成立した。
〝沙鳥、ちょっといいかな〟
僕がテレパシーで呼びかけると、沙鳥は念じ返してきた。
〝あ、芯条くん。えーっと、アレです〟
〝アレ?〟
なんだ。
〝アレです。おはよう、です〟
最もスタンダードな挨拶が出てこなかったらしい。これでは年号の暗記など到底無理だろう。
しかし、今はそんなことより話さなきゃいけないことがある。テストが始まる前に。
〝なあ、沙鳥〟
〝なんです?〟
あまり時間もない。僕は単刀直入に切り出した。
〝僕と勝負しないか〟
〝え〟
突然の提案に、沙鳥も珍しくたじろいだ。
〝沙鳥。僕と勝負して、もし僕が勝ったら一つ約束してくれないか。この期末テストのあいだ、テレパシーを抑えて僕の邪魔をしないって〟
沙鳥は普段、テレパシーで僕の授業を邪魔してくる。それはまだいい。全然よくはないけど、日常的な授業ならまだいい。
問題なのは試験の時でさえテレパシーをやめないことだ。中間テストではその影響をもろに受けて、僕の成績は見事な下降線をたどることになった。期末はなんとしてもそれを避けたい。
〝なるほど、異能力バトルですね〟
違うよ、と一瞬思ったけどテレパシーを通して対決するわけだからあながち間違ってもいない。
〝わかりました〟
あっさり引き受けてくれた。
〝その勝負、受けて座りましょう〟
〝立ってくれ〟
いや、座ってていいけど。
〝でも、芯条くん。ただし、です。わたしが勝った場合にはわたしのお願いを聞いてもらいます〟
〝……。わかった〟
まあ、そうでなければフェアじゃない。
〝沙鳥が勝ったら、僕は何をすればいい?〟
〝うーん、です。今、決めないとだめですか〟
〝だめ〟
勝負がついてからではこちらのリスクが高すぎる。
〝うーん〟
ややあって、沙鳥は念じてきた。
〝では、町に出るモンスターを退治してください〟
なんだそのクエストみたいな依頼。
〝町にモンスター出るの?〟
〝いいえ。仮に出た場合です〟
〝……わかった〟
よかった。敗北時のリスクは最小限で済みそうだ。
〝それじゃ、勝負の内容だけど〟
勝負の約束さえ取り付ければあとはこっちのものだ。沙鳥の苦手なしりとりやいじわるクイズなら簡単に勝てる。
〝しりとりやいじわるクイズはだめです〟
心を読まれた。いや、ずっと読まれてはいるんだけど、読ませる気のないところまで読まれた。
〝互いの実力に差がある勝負ではだめです〟
沙鳥め。頭を使う勝負では勝ち目がないと気づいてたか。
〝わたしの圧勝ではおもしろくありません〟
わかってなかった。
〝芯条くん。ここは運だめしで勝負しましょう〟
〝運?〟
それならたしかに公平だけど。
〝うーん、です。……あ、これは悩んでる『うーん』であって、運とかけたわけではないです〟
どうでもいいです。
〝えーと、です。そうですね……〟
やや間があって、沙鳥は念じてきた。
〝次に教室へ入ってくる人が、男か女か当てるのはどうです?〟
昔からよくある運試しだ。でも、
〝いや、それは女だろ。先生だから〟
もうこのクラスの生徒は全員登校している。あとはホームルームになったら担任である英語の先生が入ってくるだけだ。そして先生は女だ。
〝では先生が本人か、それとも異星人にのっとられているか当てるのはどうです?〟
〝どうです、じゃないだろ〟
そんな賭け成立するか。
〝そうだな。先生のことで賭けるなら……〟
僕は先生の特徴について考えた。
〝眼鏡をかけてるかどうかじゃないかな〟
先生は普段コンタクトをしてるけど、たまに眼鏡をかけてる日がある。
〝賭けだけにですね〟
〝そんなつもりはなかった〟
恥ずかしい。
〝わかりました。それでいきましょう。では、芯条くんからどちらか選んでください〟
〝いいの?〟
〝はい。残り物にはコクがあります〟
カレーか。
〝じゃあ、僕はかけてない方に賭けるよ〟
基本的に先生はコンタクトなのだ。かけてない可能性の方が高い。当然、手堅い方を選ぶのが吉だ。
〝すみません。かけないんですが、かけるんですか?〟
ややこしい。
〝眼鏡をかけてない方に賭ける〟
〝では、わたしは眼鏡をかけている方にBETです〟
たまに出る沙鳥の妙にいい発音。
さあ、あとは先生が教室に来るだけだ。まさか、自分の試験の命運を先生の視力矯正の手段にゆだねることになるとは思わなかったな……。
〝先生、お願いします。どうか眼鏡をかけてきてください〟
沙鳥が祈る。
〝かけてこなかった場合、町はモンスターによって壊滅してしまいます〟
その心配はないと思うけど。
テレパシーにならない程度に異論を唱えながら待っていると、廊下から足音が近づいてきた。続いて、あまり建てつけのよくない音をだしながら教室のドアが開く。
さあ、どっちだ。
眼鏡か、否か。僕は緊張しながら先生の顔を見た。
かけてた。
いや、待て。かけてはいるけど……これは……。
「ぐどもーにんぐ、えぶりわん」
黒板の前まで歩いてきた先生はいつものように英語教師とは思えないへたくそな発音で挨拶をした。でも、今気になるのはそんなことではない。
「いや、せんせー。SPかよ」
一番前の席の句縁が思わず先生に言った。
そうなのだ。先生がかけていたのは眼鏡ではなく、真っ黒なサングラスだった。句縁の言う通りシークレットサービスがかけてそうなタイプの。
「おおう」
先生は慌ててサングラスを外した。
「最近、日差しがきついので登校の時にかけているんですが、そのまま来てしまいましたねー。そおりい」
つまり、あのサングラスには度が入ってない。だから厳密には眼鏡じゃない。
でも、眼鏡と言えなくもないアイテムではある。黒眼鏡といったらサングラスのことなわけだし……。
まいったな。
勝敗がうやむやになってしまった。
〝芯条くん、勝敗は決しましたね〟
〝え〟
沙鳥の中では確実な結果が出たらしい。
〝こんなに幸せな結末が出るとは思いませんでした〟
〝どういうこと?〟
〝先生は、眼鏡でありながら、眼鏡でないものをかけているのです。つまり――〟
〝――この賭け、二人とも勝者です〟
沙鳥は約束を守り、期末のあいだテレパシーで僕の邪魔をすることはなかった。まあ、それで実際のテストの結果がよかったかは別の話だけど。
そして僕は今、
町にモンスターが出ないことを、日々祈りながら生きている。
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