スーパー

 夕方五時だというのに、まだ日は高い位置にある。


 そんな夏の夕方に、僕、芯条信一は家から少し歩いたところにあるスーパーマーケットへと来ていた。





 さかのぼること、十数分前。


『信一へ。探さないでください。母』


 学校から家に帰ってくると、このようなメモが書かれた紙が玄関の足元にぽつねんと残されていた。


「母……」


 僕は呆れて小さなため息をついた。


「またか」


 直接は書かれていないけど、こういうメモ書きが残されているということは「今日は仕事で外に出ているから、夕食の買い物は信一に任せた」という意味だ。


 の、はずだ。


 そういう母だ。


 前にも何度か、同じようなメモ書きが残されていることがある。


 最初は母親が家を出ていったのかと慌てふためいたものだけど、最近は「またかよ」と思うだけになってきている。


 嘘つきの少年と同じ。オオカミなんて来やしない。母は家出なんてしない。


「……いや、でも」


 その理論でいくと、今回は本当に蒸発してしまったという可能性も、まったくないわけではない。いつものことだからと安心するのは性急だ。


 何度目かの正直で、とうとうオオカミがやってきたのかも。


 僕はメモ書きを拾って裏面を見た。



『ついでにサラダ油ね♪』



 蒸発の可能性は消えた。





 そんなわけで僕はスーパーにいる。私服に着替えるのも面倒くさかったので制服のままで来た。


 僕は入り口に積まれたカゴの山から1つを手にとると、そそくさと売り場へと向かって歩いた。


 別に急がなきゃいけない理由はないけど、早く買い物を済ませればそれだけ家に帰ってからの時間を有効に使うことができる。


 有効な使い方。

 そう、もちろんそれは勉強だ。


 僕はテレパスと呼ばれる超能力者だ。今のところその使い道は、同じテレパスである同じクラスの女子、沙鳥蔦羽との非建設的な会話のみ。


 そして、その会話が授業時間の大半を割いて行われるために、本来学習してなきゃいけない事を学習できないまま一日が過ぎていく。


 これを解消するために、家での自習は不可欠なのだ。さっさと家に帰らないと自宅での勉強時間まで失う。


 油なんか買っている場合ではない。


〝困りましたね〟


 サラダ油の棚で家で使っている銘柄を探していると、聞きなれた、というか、今日も学校にいるあいだずっと聞かされていた、無駄に品の良い声が頭に響いた。


〝どうしたらいいんでしょう〟


 また同じ声が響く。どうやらこれは空念そらねん(そんな言葉があるのかは知らない)ではないらしい。


 沙鳥が近くにいる。


 まさか、放課後に学校の外で出くわすことになるとは思っていなかった。まあ、まだ正確には出くわしたわけではないけど。


 あたりを見回してみたけど、沙鳥の姿はなかった。でも声が聴こえた以上、テレパシーが聞こえる範囲に必ずいる。


 僕らのテレパシーは教室の端から端くらいまでの距離にしか届かない。だから、そんなに遠くではないはずだ。


 見つかったら面倒臭いことになる。


 ここは思念を殺して、何も考えずに買い物だ。強く思考しなければ、僕の方の念が沙鳥に届くことはない。


 レッツ思考停止。


〝あ。あの人は、ひょっとして〟


 いきなり気づかれたのか。


 しかし、もう一度改めて周りを見回してみても沙鳥はいなかった。『あの人』は僕のことではないらしい。


〝もしかして、あの人……。ああ、やっぱり〟


 なんだ?


〝あの人、とりますね〟


 とります?


〝ああ。とります、あの人とりますよ〟


 とりますって……。


 まさか『盗り』ます?


〝とりますよ。とりますよ。とるとるとる。とるよとるよ。ほらー、とった。とりました! 見ましたよ! とりましたよ!〟


 沙鳥の前で万引きが起きている。


〝とりますよねー、やっぱり〟


 窃盗事件を前に、沙鳥は優しく念じた。


〝がんばってくださいね〟


 いやいやいや。


〝応援しちゃだめだろ〟


 たまらず、僕は沙鳥にテレパシーを送ってしまった。


〝あれ? この声は?〟


 沙鳥は自信なさげに念じてきた。


〝芯条ですか?〟


〝急に呼び捨て?〟


〝あ。なんだ。やっぱり芯条くんですね〟


 沙鳥は申し訳なさそうな念を送ってきた。


〝すみません。確信がなかったもので。知らない人かと〟


〝じゃあ、なおさら呼び捨てじゃだめだろ〟


〝それにしても驚きです〟


〝何が?〟


〝芯条くんって、学校以外の場所にもいるんですね〟


〝そりゃいるよ。前にも映画館で会っただろ〟


 厳密には会ってはいないけど。


〝ああ、そうでした。ではあのショッピングモールとこのスーパーを芯条くんの出現エリアに追加しておきます〟


 僕は雑魚モンスターか。


〝それより沙鳥。早いとこ店員さんに教えてあげたほうがいいんじゃないの?〟


〝メアドをですか〟


〝なんでだよ。万引き犯だよ。万引き犯〟


 僕の念に、沙鳥は不思議そうに返してきた。


〝えっ、万引き犯が出たんですか?〟


〝いや、沙鳥がさっき目撃してたんじゃ〟


〝私がですか?〟


〝さっき、とるよとるよって〟


〝ああ、なんだです。そのことですか〟


 沙鳥は気のぬけたような念を返してきた。


〝あれは証明写真ですよ〟


〝証明写真?〟


〝今、お手洗いのそばのベンチで休んでるんです。近くに証明写真をとる機械がおいてあるんですが。そこに入っていく人がいたんで〟


 ……。


〝たぶん写真撮るんだろうな、と思って見てたら、まんまと撮りましたね〟


〝そりゃ撮るだろ〟


〝面接でも受けにいくのかなと思って、心の中でエールを〟


〝……ややこしいテレパシーだすなよ〟


 あんな実況、絶対万引きだと思うよ。


〝ところで芯条くんは、どうしてこちらに? 万引きですか?〟


 濡れ衣が飛んできた。


〝買い物だよ〟


〝奇遇ですね。私も買い物です〟


 だろうな。


〝ただ、ちょっと困ったことになりましてですね〟


〝そういや、なんか困ってたな〟


〝お袋に買い物を頼まれたんですが〟


 急にやさぐれる沙鳥。


〝ちょっと待って沙鳥。母親のこと、お袋って呼んでるの?〟


〝ええ。今日からそうします〟


 沙鳥はあっけらかんと念じた。


〝私も反抗期ですから〟


〝……買い物引き受けてるのに?〟


 僕は売り場を物色してる雰囲気を出しながらむやみと歩くことにした。同じ売り場で立ちつくしているのは不審だ。


 沙鳥は、うろうろしている僕の頭の中に語りかけてきた。


〝私、お袋が買うものリストをメモしてくれたUSBメモリを、どこかで落としてしまったんです〟


 なぜに電子データ。


〝USBにメモしてきたの?〟


〝ええ、油性マジックで〟


〝使い方違うけど〟


 うちの母親といい、変なメモを残すのがテレパスの母あるあるなのだろうか。


〝献立がカレーで、買ってくるのが野菜ということだけは覚えているのですが〟


〝じゃあ、問題ないだろ〟


 普通のカレーなら、入ってる具なんてだいたい決まっている。


〝いざとなると、カレーって何入ってたのかなって。ハンペンとか、おって入ってましたっけ?〟


〝あんまり入れないと思う〟


 そもそも野菜じゃない。


〝だいたい、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンとかじゃないの〟


〝ああ。そんな感じでした。さすが、芯条くん。生粋のカレー通です〟


〝普通だよ〟


〝フツウ……。お麩にも詳しいんですか〟


〝そういうことじゃない〟


〝教えていただいて助かりました。お礼にあした、学校でとっておきの怪談を披露しましょう〟


 教えなきゃ良かった。



 しばらくして、顔を合わせることもなく、やっと脳内からもスーパーからも沙鳥は去った。


 とんだ時間を食った。


 気を取り直して自分の買い物に戻ると、カツンと音がして何かが靴のつま先にぶつかって床をすべっていった。


 近寄って拾ってみると、ありふれた形のUSBメモリ。


 しかし、ありふれてないことに片面にマジックで『つたはへ』と書かれている。『つたは』といえば沙鳥の下の名前だ。


 どうもこれが沙鳥の落としたUSBらしい。もう片方の面を見てみると、はっきりとこう書かれていた。



『キーマカレー』



 ごめん沙鳥。


 選ぶべき野菜は、ナスだった。

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