おかえし
昼休み。
僕は例によって午前中の授業で聞き逃してしまった所を、前の席の宇佐美に教えてもらっていた。
なぜ聞き逃したかといえば、沙鳥のせいだ。
僕、芯条信一と、同じクラスの女子の沙鳥は、声を出さなくてもお互いに言葉のやり取りができるテレパスであり、沙鳥は授業中に関係ない無駄話をテレパシーで送ってきて僕の邪魔をしてくるのだった。
それはいつものことなのだが、今は少し事情が違う。何せもうすぐ期末試験が控えている。
さっきの授業では試験範囲が発表された。いや、されたはずだ。僕は沙鳥のオリジナルアメリカンジョークにつきあわされていたから聞いていなかったけど、されたはずなのだ。
僕は仕方なく、発表されたはずの試験範囲を宇佐美から改めて教えてもらうことにした。幸い、沙鳥はトイレにでも行っているらしく教室にはいない。
「悪いな、宇佐美」
僕が申し訳なさそうに言うと宇佐美は首を振った。
「芯条よ。自分で再確認することも試験勉強の一つと言える。いわば、俺の復習でもある」
宇佐美、変わったやつだけどいいやつだ。ありがとう、宇佐美。本当に助かった、宇佐美がいてくれて。
「おい、うさみー。なんでいんだよー」
宇佐美の存在を否定する者が現れた。
見れば中学二年の体格としてはかなり小柄な女子が、宇佐美の横に立って不機嫌そうな顔で宇佐美を見ている。
こいつの名は句縁。僕と句縁は、句縁がさらに二分の一くらいのサイズだった頃から知っている仲だ。
「柿月よ」
宇佐美は句縁を苗字で呼んだ。
「なぜ存在するかという問いに、答えを出せたものはいない」
「そんなむずかしいはなししてねーよ」
もっともだ。
「なんでさー。じぶんのせきにすわってんだよ」
「それは……ここが自分の席だからだ」
もっともだ。
「えー、どけよー」
理不尽だ。
「いねーときもあんじゃん。つーか、やすみじかんはけっこーいねーじゃん。なんできょうはいんのさー」
「それはだな。この男に懇願されたからだ」
宇佐美は僕の方を示して句縁に言った。
「この男は俺に言ったのだ。『この愚かな私に頭脳明晰な宇佐美の教えを解いてほしい』とな」
そんな頼み方はしてないんだけど。
「そういうわけで、この椅子は蟻一匹の隙間とて渡さん」
決意が重い。
「もともと柿月が、芯条と約束でもしていたというのならば別だが」
宇佐美がそう言うと句縁はあっさりと言った。
「してた。だからどけ」
おい。
「そうか、ならば仕方あるまい」
あっさり立ち上がろうとする宇佐美。
おい。
「いや、待ってくれ」
僕は宇佐美を止めた。せっかく沙鳥がいない絶好の時間なのだ。今のうちに試験範囲を聞き出しておかなければ。
「僕は約束なんてした覚えないけど」
「しただろー」
句縁は言った。
「いつだよ?」
「ぜんせ」
そんな壮大なタイミングで交わした約束なら、休み時間に会話しようなんていうどうでもいいものであってたまるか。
「生まれる前に交わした約束、か」
宇佐美は立ち上がった。
「生命とは不思議なものだな。いわば、不可思議だ」
「いや、宇佐美」
僕が呼び止めるのも聞かず、宇佐美は教室を出ていってしまった。
そういえばあいつ、一応オカルトなんちゃら研究会の一員なのだった。その手の話には寛容なのかもしれない。
「どっこらせー」
いなくなった宇佐美の椅子に、句縁がちょこんと座りこんだ。
「やあ、しんいち。おくれてわりーな」
「だから約束してないんだよ」
句縁は僕に構わず続けた。
「じつはさー。ひとつそうだんがあんだよー」
「相談?」
珍しいな。わざわざそんなに仲良くもない変な男を追っ払ってまで僕にしたい相談ってなんだろう。
「さとりさんのことでさー」
また沙鳥だ。せっかく沙鳥本人がいないというのに、沙鳥の話題で時間をつぶすことになるとは。
「沙鳥がどうしたんだ?」
「このあいだ、さとりさんがたいそうぎかしてくれたじゃん」
あったなそんなこと。
句縁は椅子ごと左右にふらふら揺れながら言った。
「あれのおれい、まだしてないんだよなー」
「別にいらないんじゃないか。本人、もう忘れてるだろうし」
借りた体操着そのものは句縁が必要以上にもじもじしながら本人に返しているのを見た記憶がある。
「ばかかよ」
句縁が馬鹿って言った。
「おれいといいつつ、なかよくなるきっかけにしようってはなしだろ」
句縁はなぜか沙鳥のことを異様に尊敬している。キャラクター的にはだいぶ違うと思うのだけど。
「いちおーおかえしになりそうなものよういしてきたんだけど、これでいいのかなっておもってさー」
「何を用意してきたんだ?」
「たいそうぎ」
思わぬ答えだった。
「……なんで?」
「このあとたいいくあるし。ソフトボールあるし」
答えになってない。
「ほらよー。たいそうぎかしてくれたおれいだから、たいそうぎをかしかえすのがいちばんいいかって」
貸し返す。そんな表現あるのか。
「うぃんうぃんのかんけいじゃん」
違うと思う。
「自分も着るんだから貸せないだろ」
「かすやつとじぶんのやつ、ふたつもってきた」
無駄な労力。
「そもそも、沙鳥は普通に自分の体操着を着るんじゃないか」
沙鳥も体格が大きい方ではないが、それでも句縁の体操着に袖を通せば生地がかなり無理な伸び方をすることになるだろう。
「だよなー、やっぱ」
句縁といえどこの結論がおかしいことはうすうす気づいていたらしい。だからこそ相談してきたのだろうけど。
「じゃあ、おれいなにがいいかなー」
句縁は眉間に皺を寄せて悩み始めた。
「ジャージかなー。スクミズかなー」
「運動着から離れろ」
仕方ない。あんまり長居されても面倒だし助言してやることにしよう。
「なあ、句縁」
「おう」
「沙鳥が一番喜ぶのは、たぶんお菓子だと思うけど」
沙鳥はさまざまなバリエーションのテレパシーで僕の授業の邪魔をしてくるけど、なかでも多いのはやっぱり食べ物の話題だ。あの食い意地女子はとりあえずお菓子でも与えておけば喜ぶだろう。
「いや、ばかかよ」
また句縁が馬鹿って言った。
「おめー、さとりさんのしたぎすがたみたことねーのかよ」
「ねーよ」
というか、何の話だ。
「うちはある! やった、かった!」
不戦敗を食らった。
「たぶんしんいちがそうぞうしてる、ばいはスタイルいいからな」
スタイルの評価に倍と言われてもよくわからないし、そもそも想像していない。
「おかしなんかくってたら、あのからだはいじできねーよ。なぞすぎるし」
そうなのか。
まあ、僕も沙鳥が何か食べてるのは給食でしか見たことないから、実際普段どのくらい間食してるかは知らないけど。
「だいたい、『おんなのこはあまーいスイーツがだいすきー』みたいなおとこのはっそうがきにくわねー。まんがみすぎ、じょうほうばんぐみみすぎ!」
本人から直接得たデータなんだけど。
「まあ、うちはすきだけどな」
「好きなのかよ」
摂取したカロリーはどこに消えたんだ。沙鳥に対して句縁が抱いた謎と同じことが当てはまるぞ。
「なんだろうなー。さとりさんがよろこびそうなもの」
句縁は険しい顔をしながら言った。
「あれかな。はなたばかなー」
「それはやめた方がいい」
それこそ宇佐美レベルの的外れな男子の発想だった。
「しょうがねー。やっぱほんにんにきくかー」
まずいな。
沙鳥は直接人に話しかけられるのはかなり苦手だ。特に句縁みたいなずけずけ言ってくるタイプとは相性が悪い。おおいに困ることだろう。
〝むむむ、です。困りました〟
頭の中に品のいい声が聞こえた。教室にはまだ姿が見えないから廊下のあたりまで戻ってきたらしい。
そしてなぜかすでに困っている。
〝沙鳥〟
〝おや、芯条くん。こんなところで奇遇ですね〟
いや学校だ。必然だ。
〝まだ教室に戻らない方がいい。句縁が沙鳥の帰りを待ち構えてるから〟
〝あら、そうなんですか。わかりました。では直立不動で廊下にいます〟
普通に待てばいいのに。
〝それにしても、困りました。いやいや、困りました。これは、困りました〟
沙鳥が廊下から困惑を押し付けてくる。
〝どうしたんだ、沙鳥?〟
〝おや、芯条くん。聞こえてました?〟
〝聞かせてただろ〟
あきらかに。
〝実はちょっと困ったことになりまして、私、どうやら家に忘れ物をしてきてしまったようなのです〟
〝何を忘れたの?〟
沙鳥は念じてきた。
〝体操着です〟
次の体育の時間、クラスの女子たちはぴちぴちの体操着で句縁とキャッチボールをする沙鳥を見たという。
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