七夕

 社会のおじいさん先生が、今日はいつになく元気だ。


 仕事柄なのか、もともとかはわからないけど、先生は歴史が本当に好きだ。授業とはあまり関係のない歴史の逸話を取り上げることがある。


「……しかし、この衣川の戦いの時に、実は死んでいなかったとも言われていて……」


 今は源義経の伝説について語っている。


 普段なら、先生の声は小さくて聞き取りづらい。


 でも、この間まで壊れていたクーラーの故障が直って教室を締めきっているから、今日は外の雑音がなくて比較的はっきりと聞こえている。


「……義経は中国大陸にわたってチンギス・ハンになった、なんて俗説もあるんだぜ……」


 はっきりと聞こえたおかげで、実はワイルドな口調の先生だったことが今明らかになった。


「他に義経の有名な話っていやぁ、歌舞伎の演目にもなってる勧進帳って話がある……聞きてぇかお前ら……」


 ワイルドを通り越してもうほとんど海賊だな。


「……これは義経一行が、如意の渡しってぇ場所を……」


 生徒たちから特にリクエストはなかったけど先生は話しはじめてしまった。話したくてうずうずしていたらしい。


 まいったな。

 興味深い話ではあるけど、今は期末テストも近い。


 おそらくテストに出ないであろう義経の逸話よりも、貴族中心の社会から武士の時代になっていくまでの要点をきっちり教えてほしいんだけど。


「……待たれよ、そこな山伏……」


 寸劇まで一人で始めてしまった。これは長そうだな。


 僕はなんとか元の授業に戻ってくれと願った。


〝ずっとずーっと、みんなで笑って暮らせますように……〟


 僕の他にも願いごとをしているやつがいる。僕の斜め前の席に座っている女子、沙鳥が願う声だった。


 ただし、この声は僕の頭の中にしか聞こえていない。僕と沙鳥は、口を開かなくても言葉のやり取りができる、いわゆるテレパスなのだ。


〝いつまでもいつまでも、笑って暮らせますように……〟


 聖人のような願いを想う沙鳥。


〝それが、偽りの笑顔だとも知らずにね……〟


〝急にブラックだな〟


 僕は思わずテレパシーで指摘した。


〝あら〟


 沙鳥は驚いた様子で念じてきた。


〝このテレパシーはひょっとして……芯条くんじゃないですか〟


〝他に誰がテレパシー使えるんだよ〟


 今のところ、僕は沙鳥以外のテレパスに出会ったことはない。


〝そうですねえ……〟


 沙鳥は考えた。


〝ダニとか〟


〝ダニはしゃべらない〟


 厳密には僕らもしゃべってないけど。


〝で、なんで急に願いごとなんて始めたんだ?〟


〝ああ。聞かれてしまいましたか〟


 あれだけ強く願っていれば僕の頭にも聞こえてくる。


 テレパスは、なんでもかんでも考えが相手に筒抜けになるわけじゃない。あまり強く思考しなければテレパシーにならない。


 でも沙鳥はその調節が下手なのか、だいたい思考が駄々洩れなのだ。まあ、あえて僕に聞かせている疑いもあるけど。


〝聞かれたからには答えましょう。私がなんで願いを吠えたかというと〟


 そんな泥臭い願い方はしてなかったけど。


〝おや。それより芯条くん。授業の方はいいんですか〟


 これは珍しい。沙鳥が僕の心配をしている。いつもは率先して授業から脱線させようとするのに。


〝いいんだ。もう授業じゃないから〟


 おじいさん先生は相変わらず声が小さいものの、事前に稽古でもしたかのような立ち居振る舞いで義経と弁慶を演じはじめている。教科書の内容にはしばらく戻りそうもない。


〝本当にいいんですか?〟


〝いいんだよ〟


〝後悔しませんか?〟


〝しません〟


〝怒りません?〟


 しつこい。


 普段もこれくらい気をつかってくれればいいのに。先生がトランス状態でどうでもいい話をしている時に限ってこれだ。


〝大丈夫。怒らないから〟


〝わかりました。ではさっそく、アカペラカラオケ対決をしましょう〟


 怒るぞ。


〝いや、願いごとの話は?〟


 僕が尋ねると、沙鳥は念じ返しえてきた。


〝だって、せっかく芯条くんが話を聞いてくれるチャンスですから。普段は遠慮して提案できないことをしようかと思いまして〟


〝いつも遠慮してたのか〟


 そうは思えないけど。


〝まあでも、今日は喉のコンディションが完全ではないのでアカペラは別の機会にしましょう〟


 テレパシーに喉は関係ない。


〝というかですね、芯条くん。なんで願いごとを考えてるか、なんて愚問ですよ〟


 沙鳥は念じてきた。


〝愚問中の愚問です。模範的です〟


 いいのか悪いのかわからなくなった。


〝お忘れですか? 今日は七夕です〟


〝そうだっけ〟


 テストが近づいていることに気を取られて意識していなかったけど、今日はたしかに七月七日だった。


 いや、七月七日なことはわかっていたけど、テストまでの日数以外の情報については何も考えていなかった。


〝七夕に願いごとをするのは、国民の義務です〟


 そこまでじゃないと思うけど。


〝私が願いごとをするのは当たり前です〟


〝でも、沙鳥にしては控えめな願いごとだな〟


 笑って暮らせますように、だなんてずいぶん欲がない。


〝芯条くん。まんまと引っかかりましたね〟


 沙鳥は呆れた様子で念じてきた。


〝七夕のお願いごとは一つなんて決まっていません。そこに短冊さえあれば無限に願うことができるのです〟


〝そうだっけ〟


〝そうです。無人島に持っていけるものとは違って、一個とは限りません〟


 無人島にも大量に持ち込んでいた気がするけど。


〝笑って暮らせますようにというのは、一つ目の願いにすぎません。これからもっともっと願いごとの嵐を呼ぶ予定なのです〟


 むしろ欲深い話だった。


〝一つ目に控えめな願いごとをして、「おや、この娘はいい子だな」と思わせて、まずは油断させるんです〟


〝誰をだよ〟


〝七夕の神、ターヌ・ヴァータです〟


〝誰だよ〟


 そんなインドっぽい語感の神は七夕にかかわってないと思う。


 でも正直なところ、七夕の願いごとを叶えるのが誰なのかは僕も知らない。やっぱり織姫とか彦星なんだろうか。


 一年ぶりに恋人に再会できて話したいこともたくさんあるだろうに、他人の願いごとなんか叶えてる暇があるのだろうか。


〝一つ目の願いごとで、まずはターヌを油断させて〟


 神は省略された。


〝そのあとでドドドッと他の願いごとをたたみかけます〟


 願い事の擬音じゃない。


〝他の願いごとって?〟


〝織姫の弱みが握れますように、です〟


 急にひどい。


〝なんで?〟


〝ターヌは織姫のことを実の娘のようにかわいがっているんです。なにせ七夕の神ですから〟


 二次創作設定だ。


〝ひょっとしたらターヌは、私の願いごとの内容によっては、怖ろしくて叶えるのをしぶるかもしれません〟


〝どんな非道な願いを叶えようとしてるんだ?〟


〝そこで役に立つのが織姫の弱みです。娘同然の織姫の弱みを突きつけられたら、ターヌも私の願いを叶えるしかなくなります〟


 非道な願いの前に、やることがもう非道だ。


〝だから織姫の弱みを早めに願って手に入れます〟


〝沙鳥〟


 僕は冷静に指摘することにした。


〝ターヌはまず、その願いをしぶるんじゃないか〟


 普通に考えて。


〝うっ、鋭い膝小僧ですね〟


〝膝は余計だ〟


 小僧でもないけど。


〝では織姫の弱みは、願いごと枠を消費せずに別ルートで手に入れましょう〟


〝枠があるのか〟


 無限じゃなかったのか。


〝別ルートって?〟


〝業界関係者から入手します〟


 ネットのゴシップ記事に出てくる、謎の匿名の人たち。


〝織姫の弱みってスキャンダルなの?〟


 業界関係者が握っている弱みといえばそれしかない。


〝当然です。芯条くん、考えてもみてください〟


 沙鳥は頬杖をついたままテレパシーを飛ばしてくる。


〝一年のうち、一日だけしか恋人に会えないのです。きっと他の三百六十四日のあ

いだ、寂しさを埋めてくれる別の相手がいるはずです。絶対浮気してます〟


 沙鳥が夢のないことを念じてくる。


〝手つなぎデート写真を押さえましょう。織姫と、ひょこ星の〟


 間抜けな語感の新キャラが出てきた。


〝誰だよ、ひょこ星って〟


〝彦星の弟ですよ〟


 どろどろしている。


〝正確には、彦星の遺伝子を利用し特務機関が禁断の研究によって複製に成功させた実験体ナンバーH2‐077の通称が、ひょこ星です〟


 SFしている。


〝七夕ってそんな話だっけ〟


〝私が見るドラマはだいたいこんな感じです〟


 それは見るドラマが悪い。


〝織姫とひょこ星の熱愛スキャンダル。これは大銀河連邦の政治基盤をも揺るがす大スクープですよ〟


 なんか趣旨変わってきたな。


〝けっけっけ、です。このネタさえあれば、どんな願い事も私の思うままです〟


 一応願い事の話には戻った。


〝それで、人の心を捨ててまで叶えたい願い事ってなんなの?〟


 もはやあまり興味はないけど一応僕は聞いた。


〝そうですね。誰か他人のために願いましょうか〟


 あんなに修羅の道を歩いたのに。


〝そうしないと、なんだか罰が当たる気がしてきました〟


〝急に罪の意識が生まれたんだな〟


 よかった。沙鳥も人の子だった。


〝せっかくなので、芯条くんのためになることを願いましょう〟


〝どんなこと?〟


 やや間があって、沙鳥は念じてきた。


〝源義経が、お兄さんとケンカしませんように〟


 急に授業に戻ってくる沙鳥。


〝なんでそれが僕のためなんだ?〟


〝だって二人が仲良くしてれば、義経もそんなに歴史に名をのこさなかったと思いますし。先生が授業から脱線することもなかったのではありませんか〟


 黒板の方に目をやると、先生は小さなしゃがれ声でまだ一人芝居を続けていた。動きは遅いがエア太刀を振るいながら殺陣らしきアクションまでしている。


「……さては、お前が噂の人斬りだな……」


 いつのまにか義経の幼少期の話になっていたらしい。好きだな義経。


〝義経が歴史に出なければ、結果的に芯条くんの助けになるかと思いまして〟


 なるほど、でも。


〝沙鳥。その願いは――〟


 僕は鬼気迫る演技を続ける先生の顔を見ながら念じた。





〝千年くらい遅い〟

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る