人類最後の日

 横殴りの雨が降り、窓に滴が垂れていた。


 国語の授業中であり、今は教科書を黙読して設問の答えを書き記す時間。だから教室で聞こえる音は外から窓を叩く雨音だけ。


 でも僕の頭の中だけには別の音、いや声も聞こえる。


〝芯条くん〟


 僕の名前を呼ぶ声。


 僕の斜め前の席の女子、沙鳥の声だった。


 黙々と教科書に目を通しているちょっと器量がいいだけの普通の生徒に見える沙鳥だが、実はテレパスと呼ばれる超能力者だ。


 声を出さなくても言葉のやり取りができるのをいいことに、同じくテレパスである僕に向けて念波を送ってきているのだ。


〝芯条くん。お元気ですか?〟


 なんだ、その手紙みたいな問いかけは。


〝芯条くん。ご飯は毎日ちゃんと食べていますか?〟


 なんだ、その実家から一人暮らしの息子へみたいな心配は。


 僕は思考を大きくしすぎて沙鳥に伝わらないように気をつけた。反応すると、また厄介なおしゃべりに付き合わされることになる。


〝芯条くん。私の声はあなたに届いていますか?〟


 いつもと違って、沙鳥の声……じゃなくて念が暗い。何か落ち込むことでもあったのだろうか?


 僕は予定を変更して沙鳥に、返事をすることにした。


〝なんだよ、沙鳥〟


 沙鳥は念じてきた。


〝芯条くん、外を見てください〟


 沙鳥に言われて窓の方に目をやる。


 外は変わらず、大粒の雨がざあざあと降り続いている。沙鳥はまた念じてきた。


〝お腹すきましたね〟


〝外関係ないな〟


 少しでも心配して損した。


 沙鳥はいつだって沙鳥だ。


〝まあ、そんな話はさておっきーですよ〟


〝『そんな話』をしたのは沙鳥だよ〟


〝もう一度、外をチラ見してください〟


〝普通に見るよ〟


〝まるで、世界の終わりのようなお天気です〟


〝ただの大雨だよ〟


 このくらいの雨で世界の終わりが来るというのなら、年に何度かは世界が滅んでいる計算になる。


〝そうですよね……〟


 沙鳥は念じてきた。


〝世界って、そろそろ終わるかなと思ったら、七月の中旬くらいまで続いたりしますもんね〟


〝梅雨みたいな言い方だな〟


 夏休み前に世界が滅んでたまるか。


〝でも、やまない雨がないように、終わらない世界もないんです。形のあるもの……。いいえ、形のないものだって。いつかは失われます〟


 なんだ。

 やっぱ何かあったのか?


〝芯条くん。もしも。もしもですよ。もしも、あした世界が終わっちゃうとしたら、そのときは、その、最後の夜には〟


 沙鳥は深刻な様子で念じてきた。


〝何ケーキ食べます?〟


 結局、食べ物の話だった。


〝ケーキ限定なの?〟


 どうせ最後ならもうちょっと選びたい。


〝え。だって、ケーキは絶対じゃないですか?〟


 沙鳥が当たり前みたいに念じてくる。


〝そんなの決まってないだろ〟 


〝え……。だって、芯条くん。最後ですよ?〟


 沙鳥は念で念を押してきた。


〝ケーキですよ?〟


〝かたくなだな〟


 どうしてもケーキは譲れないらしい。


〝じゃあ……ケーキでいっか〟


 まあ、最後だからって無理して食べたことのないものに挑戦するより、いいかもしれない。


〝では、何ケーキがいいですか?〟


〝うーん……〟


 僕が考えていると、沙鳥がちゃちゃを入れてきた。


〝あ。お母さんが作ったケーキとかひねった答えじゃなくて。ちゃんと種類で言ってくださいね。チーズケーキとか〟


〝ひねって答えようとしてないよ〟


〝好きな人と一緒に食べるケーキとかもだめですからね。チーズケーキとかです〟


〝わかったって〟


〝種類は、なんでもいいですよ。まあ、チーズケーキでもいいですし〟


 文字通り、無言の威圧を感じる。


〝……じゃあ、チーズケーキでいいよ〟


 すっごい推してたし、チーズ。


〝ですよね。実はわたしもです〟


〝知ってたよ〟


〝よかったですね、芯条くん。これでいつ世界が終わっても、食べるものに悩まなくてよくなりましたよ。明日からぐっすりです〟


 そんなことで眠れなくなったりしてない。


〝なあ、沙鳥。なんで、急にこんな話を?〟


 まあ、いつだって沙鳥の話は急だけど。


〝私、ふと思ったんです〟


 沙鳥は念じてきた。


〝もしも世界があした終わるってなったら、その前にしておきたいことって、あるじゃないですか〟


〝そりゃ、あるだろうな〟


〝でも、そのときになってから悩みだしても、残り少ない時間を有効に使えません。だから今のうちに決めておいたほうがいいと思うんです〟


〝……はあ〟


〝大切な時間を無駄にしないために〟


 今、すごく時間を無駄にしてるような気がするけど。


〝芯条くん。あしたまでにやっておきたいことはあります?〟


〝……うーん〟


 最後ねえ……。


〝あ。エッチなのはだめですよ?〟


〝言わないよ〟


〝エッチなのはいつも家で書いてる秘密のノートにでも書いてください〟


〝そんなノートはない〟


 僕は、もしあした世界が終わるとして、最後に何がしたいか考えた。


 うーん……。


〝急には思いつかないな……〟


 実際まだ終わりそうもないしな。世界。


〝もう〟


 沙鳥は怒ったような念を返してきた。


〝想像力がからっきしですね〟


 ひどい言いようだ。


〝あ、まさか。エッチなのしか浮かばないんですか。うわあです〟


〝ちがわい〟


〝そんな甘い考えでは、いざそうなったら考えてるあいだに世界終わっちゃいますよ? 終わってから「あーあ」って思っても、遅いですからね〟


〝「あーあ」って思えるなら、まだ世界あるんじゃないかな〟


〝しょうがありませんね。では、こうしましょう〟


 沙鳥は譲歩してきた。


〝きっと、あしただから緊迫感がないんです。もう今日中に世界が滅んでしまうことにしましょう〟


〝今日中?〟


〝人類滅亡まで、あと五分です〟


〝今日中どころじゃないけど〟


〝さあ、泣いても笑ってもあと五分です。この際思い切ったことしましょう〟


 って言われても。


〝五分じゃできること少ないよ〟


〝急いでください。隕石は待ってはくれませんよ?〟


〝隕石で滅ぶ予定なの?〟


〝もちろんです。今、隣の駅を通過しました〟


 隕石が横から来るのか。


〝隣の駅まで来てたら、もう滅んでるんじゃないか〟


〝さあ、武道館では人類滅亡までのカウントダウンが始まりましたよ〟


〝楽しそうだな〟


〝じゅう、きゅう、はち、なな、ろく……〟


 あと五秒で何もかも全部なくなりますって言われても、どうにも……。


〝ごー、よん――〟


 キーンコーンカーンコーン。


 五秒経つ前に終わってしまった。


 世界ではなくて授業が。


「――えー。では次の時間は今日やったところを答えてもらう。終わらなかった部分は各自、自宅でやってくるように」


 先生が告げる。


 僕は終わらなかった部分しかないノートを前に肩を落とした。


〝あーあ、です。芯条くん。結局何もできないまま、世界がなくなっちゃいましたね〟


〝ああ、なくなったよ〟


 僕の自宅での自由時間のいくらかが。


〝ちなみに沙鳥は、あと五分で世界が終わるなら何をするの?〟


 さぞかし具体的なプランがあるんだろう。


〝私はもちろん、祈ります〟


〝祈る?〟


〝ええ。世界が奇跡的に助かりますようにって〟


〝なんだよ、その優等生な答え〟


〝芯条くんも祈りましょうよ。一応、超能力者なんですし。普通の人が祈るよりもいくらか効果あるかもしれないですよ?〟


 そうかなあ。


〝まあ、助からないにしても、せめて三十分くらいは延ばしてもらいたいですね〟


〝三十分延びたって、何も変わらないだろ〟


 結局滅んでしまうのならば。


〝いいえ、結構違います。例えばですね〟


 沙鳥は念じてきた。


〝三十分稼ぐことができたら、芯条くんと一緒にチーズケーキを食べにいくことだってできます。どうですか?〟


 僕はしばらくやみそうにない雨空をぼんやり見ながら念を返した。


〝ケーキ屋がのんきに営業してたらな〟


 沙鳥は念を返してきた。





〝してますよ、きっと〟

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