小林さん
わたしには今、気になる人がいる。
はいっ、ごめんなさい。こんな何の変哲もない、影が薄くて頭もよくなければおしゃれでもないわたしなんかが、他人のことを気にしたりしてごめんなさいっ。
つーかなんだよてめー。他人のこと考える前に、自分のその地味さ加減をことなんとかしろよばーかこんちきしょーって話ですよね。
あー、そうですよね。ほんとにごめんなさい。ばかです、わたしはおろかです。おろかものです……。
でも、どうしても気になってしょうがない。わたしの名前を呼ぶ声が今も耳に残って離れない。
「小林さん!」
この前の音楽の時間。みんなが寝てるのを見てわたしも寝ちゃいそうなのを必死で我慢してたら、クラスの男子の芯条くんがわたしの名前を急に呼んだ。
なんで?
正直言って芯条くんとしゃべったことなんかない。そもそも、芯条くんっていう名前もきちんと認識してなかったくらいで。なんていうか別にかっこよくもなければ目立つ人でもないし……。
ああ、ごめんなさいっ。小林ごときが他人様の評価を偉そうにしてしまってごめんなさい。許してください。お許しを。
ともかくあれ以来、なんだか芯条くんのことが気になる。
あれだよ? 決してそういうんじゃなくてね。ただ、なんで急に音楽の授業中にわたしの名前を叫んだりしたのか、その理由が気になってるの。
あくまでも、ただそれだけで。ぜったいなんかそういう、あの、そういうんじゃないんだからね、小林っ。
で、気にはなるんだけど、本人に理由を聞くのもなんかね。
だって、男子となんて滅多に話さないし。向こうから話しかけられない限り話しかけないし……。
ああっ、ごめんなさい。そもそも小林に話しかける男子なんて実はいませんでした。分不相応なことを申しました。わたしは教室のホコリみたいなものです。以後、気をつけます。
体育の時間だ。
男子は男子、女子は女子にわかれていて他のクラスと合同授業になっている。
ただでさえ知り合いが少ないわたしなのに、この時間はさらに知らない人が増えるのでちょっと憂鬱だったりする。まあ、男子がいない分だけ少しは気が楽だけれど。
男子といえば芯条くんは今どうしているんだろう。
って、そりゃまあ体育か。
「こばやしさん、こばやしさん」
同じクラスの柿月さんが、わたしを呼んでいる。
柿月さんは、ちっちゃくて元気な子だ。ちょっと口が悪いけど、そこがまたかわいかったりする系の子。
「なにぼーっとしてんだよ、ストレッチやろーぜ」
そうだった。柿月さんとペアでストレッチをやらなきゃいけないのに、わたしったらぼーっと考え事をして。
ていうか、柿月さんのことを偉そうに客観的に評価して何様だよ小林っ。
「ごめんなさいっ!」
「いや、まあ、そんなあやまらんでいーけど」
柿月さんが背中をくっつけて腕を組んできた。
背中を反らして相手の背中に乗っかる、あのストレッチを要求されている。
「背中のっちゃって大丈夫?」
わたし、体重重いわけじゃないけど、柿月さんすごく小さいし。決して私が重いわけじゃないけど。
「うちじょーぶだから、よゆーだし」
ああっ、また失礼なことを言ってしまった。
「みくびってごめん! ごめんなさいっ!」
「いや、そんなあやまらんでいーよ」
柿月さんはいとも簡単にわたしの体重を小さな背中で受けとめた。意外と力持ちさんだったらしい。
そういえば、柿月さんって、芯条くんとよくしゃべっている。四月からそうだったから、きっともともと知り合いだったんだろうな。
ちょっと聞いてみようかな……。
背中を反らす柿月さんを、今度はわたしが背中に乗っける。思った以上に軽かった。うらやましい。
柿月さんがわたしの背中から降りてから、わたしは尋ねた。
「ねえ、柿月さん?」
「んー?」
「芯条くんって、昔から知りあいなの?」
「しんじょー?」
柿月さんは間の抜けた顔をして言った。
って、間の抜けた顔なんて思っちゃ失礼だよ小林っ!
「しんじょーって、だれだそれ?」
「えっ、芯条くんだよ。いつもしゃべってる男子……。ほら、わたしの後ろの後ろの席の左隣……。えっと、柿月さんの列の、一番後ろ……」
「あー、なんだ、しんいちか。あいつそういうみょーじだっけ?」
柿月さん、普通忘れないよ……。
ていうか、名前で呼んじゃう間柄なの? わたしにはそんな関係の男子いないよ?
ああっ、ごめんなさい。実際んとこは女子にも名前で呼べるような間柄の子はいなかったです。見栄をはりました。身の程を知れ小林っ。
「まあ、けっこーなむかしからしってる」
結構な昔……結局よくわからない。わたしは聞いた。
「芯条くんって……。その……。どんな人?」
「まー、ばかだな」
きっと柿月さんには言われたくないよ……。
なんて思っちゃってごめんなさい! もう地獄に堕ちろ小林っ。
今度は、横に並んで両腕をお互いに引っ張るストレッチをする。
「で、しんいちがどうかしたのかー?」
「う、ううん。別にどうもしないんだけど……。ほら、この前、急にわたしの名前おっきな声で呼んだじゃない?」
「んなことあったっけ?」
小林が思っていたほど、大した事件じゃなかったのかもね。
「ほら、音楽の時間だよ?」
「ああ。あれ、ねてたしなー」
みんな。ちゃんと授業受けよう……。
「あいつもゆめでもみてて、ねごとじゃねーの」
「うーん……」
まあ、その説は有力だね。
でも、だとしても、なんでこの小林が芯条くんの夢に出てきたりするの?
「そういや、うちきいたことあんだけど」
柿月さんは言った。
「ゆめにでてくるっていうのは、でてくるほーのやつが、ゆめみてるほーのやつにきがあるかららしーぜ」
「……へ、へー」
柿月さん。何その、らしくない乙女な考え方。
でも待ってよ、待ちなさい。じゃあ、芯条くんの夢にわたしが出てきたってことは、わたしが芯条くんに気があるみたいじゃない。
「こばやしさん。しんいちにきがあるのか」
「ま、まさか、そんな」
「だよなー。じゃー、べつのこばやしだったんじゃね?」
「別の小林……」
そうか。
わたし何考えてたんだろ。
小林っていう名前は、世の中に小林の数ほどいるじゃない。芯条くんが名前を呼んだ小林がわたしのことだなんて決まってなかった。
ああっ。わたしは何を全小林の代表みたいな顔でうぬぼれていたんだろう。ごめんなさい全国の小林さん。わたしは小林界の底辺です。
「ほら、こばやしいっさとかよー」
小林一茶。昔の俳句だかなんだかの人。
「……芯条くんに気があるかなあ?」
ストレッチは長座体前屈に移行した。わたしは足を前に伸ばして座っている柿月さんの小さな背中を腕で押す。
「まー、あれだな。いっさとしんいちじゃ、つりあわねーな」
男だしね。故人だしね。
「タイプじゃねーだろーし」
タイプだったら困るよ……。
いや、別に困らないよ。関係ないもん、小林にはね。
「しんいちのタイプはたぶん――」
わたしは耳に神経を集中した。
「――さとりさんとかじゃねーかな」
沙鳥さん。
教室でわたしの後ろの席に座っている人。いつも近寄りがたいオーラを出しているなんか神秘的な人。
「こ……、根拠は?」
「おんなのかん」
あてにならなそう。
「むしろさとりさんが、しんいちをねらってるてきな?」
おい柿月、まじか。まじかそれ。
わたしはちらっと沙鳥さんを見る。
沙鳥さんは今日は風邪気味だとかで、列には入らずに三角座りで見学していた。物憂げな瞳に前髪が少しかかる。
あー、もつねー。この画はもつわー。うーん、ずっと見てて飽きない。
終わりだね。
柿月さんの勘が当たってたら終わりだ。何が終わったかわかんないけど。
沙鳥さんにかなうことなんて、きっと小林には何一つないよ……。
ああ……。
「こばやしさん、ちょ、ちょっといてーかも!」
あまりのショックで、わたしは柿月さんの背中に全体重をかけてのしかかっていた。柿月ホチキスが完成する勢いだ。
「ああっ、ごめんなさい。ごめんなさいっ! 坊主でもなんでもしますから許してください!」
わたしは全力の立位体前屈で謝った。
「いや、そんなにあやまらんでいーって」
柿月さん……優しい。
「きょう、バリカンもってねーし」
……持ってたらあぶなかった。
「まあ、しかしあれだな」
柿月さんは大きく伸び(それでも小さかったけれど)をすると言った。
「しんいちにさとりさんはもったいねーな」
その通りだ。柿月いいこと言う。もっと釣り合いのとれる子の方がいいと、そういうことだ。
「あと、さとりさんしゃべんねーから、しんてんねーだろーな」
柿月さま、ありがとう。
そうだ。沙鳥さんはしゃべらない。芯条くんとコミュニケーションをはかるのにあたってこれは大きな壁だよ。
つまり話しかけさえすれば、わたしの方が有利ってわけ。
よーしっ。
今度、芯条くんに声をかけてみよう。
沙鳥さんに先を越される前にねっ。
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