夢のつづき

 その日。いつまで経っても、沙鳥はテレパシーを送ってくることはなく、いつもの良い姿勢で行儀よく先生の話を聞いていた。


〝沙鳥……〟


 もちろん、こっちからのテレパシーの問いかけにも何も答えない。

 普段であればきっと。


〝芯条くん、アメリカンジョークを思いつきました〟 


 とか。


〝芯条くん、十回クイズしません?〟


 とか。


〝ショートコント、喫茶店。……カランコロンカラン〟


 などと言って、僕の勉強を邪魔するはずなのに。


 なぜだ。


 沙鳥と同じクラスになって、二人が互いにテレパスだとわかってから、今までこんなことは一度も無かった。


 沙鳥蔦羽は、僕、芯条信一に対して、テレパシーで話しかけてくる女子のはずだ。授業に集中したい僕を困らせる、そういう女子のはずだ。


 いったい何があった?

 何か怒らせるようなことをしたか?


 いや、沙鳥が僕を怒らせることはあっても、その逆はあるまい。


 ということはまさか、夢に出てきた沙鳥が言っていたように……。


 初めから『何も無かった』のか?



『芯条くん。本当にあなたと私がテレパシーを使えると言い切れます? あなたはただ、そう思い込んでいるだけではないのですか?』



 僕には、この言葉を否定することができない。なぜなら僕は今まで一度もテレパシー以外で沙鳥と話したことがないのだ。たしかめたことが一度もないのだ。


 すべては、僕の妄想だったというのか?


「みすたあ、芯条くん」


 英語の先生が僕の名を呼んでいる。


「ぼんやりしていないで、次のページを読みなさい。せんてんす、りーどりーど」


 いい加減な発音が僕を急かした。


「……すみません」


 一つわかったことがある。僕は沙鳥のテレパシーが無くても、それはそれで結局授業に集中できない。





 休み時間にも、僕は沙鳥のことばかり考えていた。


 こんなことならば夢オチの方がまだよかった。今までの出来事はすべて僕の夢で、沙鳥蔦羽なんて少女すらいなくて、僕は中学生ですらなくて、ここは地球ですらなくて。


 それで間もなくすべてを忘れて、普通の平凡な日常に戻っていくのだったら、その方がよかった。沙鳥だけが、僕の夢になってしまうよりも。


 でも妄想だったとして、なぜ今急に覚めてしまったんだ?


「芯条、どうした? 何を思いつめている?」


 宇佐美が僕の前で何か言っている。


「いわば、誰に恋わずらいしているわけだ?」


「勝手に決めるな」


 そんなんと違うわい。

 誰があんなユニーク思考ファンタジスタ謎女子なんか好きになるものか。


 でも。なんだっていい。今、僕は沙鳥の声を聞きたかった。


 だって、それは日常だったのだ。


 当たり前に存在しているものが不意に消えてしまったとき、人はそれがいかに大切だったのかに初めて気づく。そういう話はよくある。手垢のついたエピソードだ。


 だけどこうして実感してみると、まさにその通り。僕は沙鳥が当たり前の生活の一部だったことにやっと気づいた。


「そういえば、きのう映画館に行ったぞ」


 宇佐美が何か言っている。


「『スパイラルス』だ。やはり気になってな。いわば、興味があった」


 スパイラルスか。

 映画を見る直前、沙鳥に全部ネタバレされて結局見なかった映画だ。


 でもあの日の映画館にも、本当は沙鳥なんていなくて……。


 ……いや。そうだ。もしもあの時、沙鳥が僕にネタバレしてきた内容が、実際の映画の内容と合致していれば……。


「なあ、宇佐美。第六実体『マザー』は出てきたか?」


 あのネタバレが真実なら、沙鳥のテレパシーの証明になる。


「……芯条。何を言っている?」


 宇佐美は怪訝な顔で言った。


「いわば、そんな言葉は出てきていない」


「……そうか」


 僕は、ハンマーで頭を殴られた気持ちだった。漫画的な木づちっぽいやつじゃなくて、金属の重たいやつで。





 昼休み。

 僕は校舎脇の人気がないベンチで、沙鳥のことを考えていた。


 冷静になってみれば、まだ完全に妄想と決まったわけじゃない。


 伝えてきた映画の内容がデタラメだったのは、単に僕を困らせようと適当なことを言っただけかもしれない。僕の知っている沙鳥なら、やりかねない。


 だが、それも推測の域を出ない。すべてが幻だった可能性の方が高いのだ。


 変な心理テストを作ってきた沙鳥も、


 しりとりで勝手に自滅した沙鳥も、


 ゾウリムシにアテレコしていた沙鳥も、


 いじわるクイズがヘタクソな沙鳥も、


 元素記号を覚えるのが苦手な沙鳥も、


 句縁に体操着を貸すのをしぶっていた沙鳥も、


 スイーツ風味のぶぶづけを食べたがる食い意地の張った沙鳥も。


 すべての沙鳥が、僕の都合のいい解釈によって生み出された架空の存在だった可能性が高いのだ。


 そして、それに気づいた僕はもう二度と、あの沙鳥の声を聴くことはできないのかもしれない。



「芯条くん、芯条くん」



 不意に声がした。


 残念ながら沙鳥ではなく、おじさんの声だった。振り向くと、そこには意外な人物が立っていた。


「こ、校長先生……?」


「やあ。私が校長です」


「どうして僕の名前を?」


「校長というものは、全ての生徒の名前と顔、そして生年月日と家族構成を把握しているものです」


 そうなのか?


 たぶん違うだろうけど、この校長先生ならば本当に把握していても不思議はない。変な人なのだ。


「どうしてここへ?」


「校長室には居場所がないのです」


 校長なのに?


「だから校長は、そのベンチで昼休みを過ごすことにしているのです」


「え、あ……すいません」


 立とうとする僕を校長先生は制した。


「気にしないでください。そのくらいで怒るのなら、校長は名乗れません」


「はあ……」


 相変わらず、訳がわからない人だった。


「それより、芯条くん、芯条くん」


「いちいち二回呼ばないでください」


 沙鳥を思い出す。


「何か悩みがあるんじゃないですか」


「……」


 ひょっとしたら、このちょっと不思議な校長先生ならば、僕の現実離れした相談にも乗ってくれるかもしれない。


「……あの、実は」


「悩みがあるとしても、胸にしまっておきなさい」


「へ?」


「思春期の少年の悩みなど、完全なる中年である校長には理解しかねます」


「は、はあ」


 思い切り突っぱねられた。


「それに、いざというときに人を頼ってしまうと、校長にはなれません」


「いや、別に校長になる気はないんですが……」


「せいぜい教頭どまりです」


「はあ……」


「それより、私の話を聞いてください」


 単に、話し相手がほしいだけだったようだ。


「私の声に似たナレーターで評判の、例の沖縄のドラマ。いよいよ最終回を迎えたようですね」


 どっちかというと校長先生の方がナレーターに似てるんだと思うんだけど。


「校長はね。まさか、最終的にマグマオチで幕を閉じるとは思いませんでしたよ」


「はあ……」


 なんだマグマオチって。果たしてオチてるのかそれは。


「続編、あるいはスピンオフが待たれますね」


 そういえば沖縄のドラマの話も沙鳥としたんだったな。舞台が沖縄だってことは、沙鳥に教えてもらったんだっけ。妄想の沙鳥だけど……。


 ……あれ?


 

 沙鳥に、教えてもらった、だって……?



「校長としては、いつでも出演オファーを待っている次第です」


 そうだよ! 沙鳥に教えてもらった情報で、現実に存在しているものがあったんじゃないか!


 ということは沙鳥のテレパシーは、ちゃんとあったんだ!


 僕はベンチから立ち上がった。


「校長が死んだ双子の教頭の夢をかわりに叶えるという展開はどうでしょうか」


 はやりそうもないドラマのプロットを述べ続ける校長に僕は言った。


「校長先生」


「はい、私が校長です」


「ありがとうございます。先生のおかげで、迷いが晴れました!」


 僕が何の脈略もない突然の感謝を述べると、校長先生は優しい笑顔を浮かべて、諭すように一言だけ言った。


「芯条信一くん」


「はい!」


「先生ではなく、校長と呼ぶように」


「……はい!」





 教室に戻ると、沙鳥はいつものように机に突っ伏していた。


 しかし、きっと寝てはいない。


 なぜなら沙鳥は、寝ているときの方がテレパシーで寝言を飛ばしてきてうるさいからだ。きっとこのクラスで僕だけが、それを知っている。


 さあ、答えてもらうぞ。


 どうして朝からテレパシーを使わずに、黙っているのかを。


「……」


 しかし、朝からあれだけ問いかけても答えなかったのだ。普通の方法で話しかけたんじゃだめだ。


 ……いや、むしろ。普通の方法じゃないとだめだ。だって、普段の僕らの方が異常なのだから。


 僕は沙鳥の隣の席に座った。


 そして、いたって“普通に”話しかけた。


「沙鳥さん」


 テレパシーではなく、本物の声で話しかけた。


「!」


 沙鳥は顔こそ上げなかったが、驚いた様子で体をピクリとさせた。


 そして。


〝もう……〟


 久しぶりに聴く声が、頭の中に響く。


〝芯条くん。こってりさせないでくださいよ〟


 僕は心底ほっとした。


〝……びっくりな〟


〝やれやれ、です。サプライズ返しですか?〟


〝サプライズ?〟


 なんのことだ。


〝そうです。私がだんまりサプライズを実行中と知って、カウンターでサプライズを返してきましたね?〟


〝だんまりサプライズ?〟


 ってことは……。


〝それじゃあ沙鳥が今日、朝から一言もテレパシーを送らなかったのは、僕にサプライズをしかけてたのか?〟


〝ええ。それ以外に何があります?〟


〝……サプライズって、何のサプライズだよ?〟


〝もちろん、誕生日です〟


〝誕生日……? 僕、違うけど?〟


 だいたい教えた覚えもない。


〝何を言ってるんですか、私の誕生日です〟


 沙鳥は堂々と念じてきた。


 そういや、ちょっと前に来週誕生日なんです、とかテレパシーで言ってたな……。


 しかし。


〝いや、沙鳥。誕生日のサプライズっていうのはな……〟


 僕は万感の思いを込めて、渾身のテレパシーを送った。


〝祝う側がやるんだよ!〟


〝え。あ、そうなんですか〟


〝そりゃそうだよ!〟


 なんてことだ。こっちは朝から思いつめるほど悩んでいたというのに、発端はただの沙鳥の勘違いだったのか。


〝なるほど。それでさっき私に直接話しかけるというサプライズを〟


 いや、それは偶然だ。

 なんせこっちは知らなかったんだから。今日が沙鳥の誕生日だなんて。


〝ですが、サプライズ返しされっぱなしも、しゃくしゃくですね……〟


〝しゃくは一回でいい〟


 しゃくしゃくだと余裕ありげだ。


〝よし、です。サプライズ返し返しをお目にかけましょう〟


〝なんだそりゃ?〟


 何をするつもりだろう。

 と思っていると、沙鳥は突然顔を上げてこちらを見た。


「……」


 考えてみれば、あまりきちんと正面から沙鳥の顔を見たことがなかった。僕は妙な緊張に襲われた。


〝……な、なに?〟



 そして沙鳥は、


 初めて笑った。



「あ……」


 僕が呆気にとられて思わず声をあげると、沙鳥は再びすぐ机に突っ伏した。


〝ふー、です。三ヶ月分のスマイルパワーを使い果たしました〟


 そんなにか。


〝沙鳥……〟


〝なんです?〟


 言いたいことは色々ある。僕が今日どれだけ思い悩んだか教えてやりたい。映画館で嘘をふきこんできた件も問いただしてやりたい。


 しかし今、言うべきことはきっと一つだけだ。僕は、おそらく沙鳥が聴きたかったのであろう、まだ伝えていない言葉を言った。


 いや、いつものようにテレパシーで送った。


〝誕生日おめでとう〟


 やや間があって、沙鳥はこんな念を返してきた。


〝Danke schön〟


〝……なんでドイツ語だ〟


 やっぱり、よくわからないやつだ。





 僕、芯条信一と、僕の斜め前の席に座っている女子、沙鳥蔦羽は、いわゆるテレパスと呼ばれるタイプの能力者。



 少なくとも、今はまだそうだ。

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