僕がいつものように教室に入ると、元気な女の子の声がした。


「しんしーん! しんしーん!」


 声のした方を振り向くと、黒髪の色の白い女子がいる。


 彼女はまぎれもなく、僕のクラスメイトの沙鳥蔦羽のはずである。しんしん、というのは僕の名前である芯条信一を略したものと思われた。


「しんしんは芯条信一を略したものだ!」


 本人からも宣言が出たのでそうなのだろう。


「よっこらせ!」


 沙鳥は古風な掛け声とともに華麗なバック宙を三回ほど決めてから言った。


「よっす! おっはよー! しんしん!」


 いたずらっぽく笑う沙鳥。


「なんだなんだ、おいおい! 元気ねーなー! 合コンで狙ってた女に逃げられでもしたのかー? おいおい、芯条くんよー」


「合コンなんか行ってない。中学生だぞ僕ら」


 そう言うと沙鳥はがっかりした様子で言った。


「なーんだ! つまんねーの! とりゃ!」


 沙鳥は手刀で僕の机を粉々に粉砕してしまった。


「いやいや、今日の授業どうすんだよ」


「大丈夫や! 大丈夫なんや!」


 なぜかヘタクソな関西弁で答えた沙鳥は、額に突然あいた第三の目から光線をだし、机の残骸にそれを当てた。


「これで一発、元通りよ」


 しかし言葉とは裏腹に、残骸はドロドロとした液状の塊と化してしまい、都合よく近くに空いていた排水口に流れていった。


「いや、もう完全に元に戻せない感じになっちゃってるけど……」


「しんしん」


 沙鳥は僕の目を潤んだ瞳で見つめると言った。


「それが人生ってやつさ」


 そんなものが人生であってたまるか。

 あと、


 こんなやつが沙鳥であってたまるか。


 僕のことを『しんしん』などと呼び、常軌を逸したハイテンションと身体能力で下世話なセリフを吐き、挙げ句の果てに額から光線を出すようなやつが沙鳥であってたまるものか。


 だが、僕は慌てなかった。


 なぜなら、僕はかなり早い段階でわかっていたからだ。

 これは、夢なのだと。


 本物の沙鳥は、まず滅多に声を出さない。


 彼女の声を聴くことができるのは授業で先生にあてられたとき、そして、テレパスである僕とテレパシーで会話するときだけだ。 


「よおよお! めーん! どーぷならいむ、たたきこむたいむ! あーい?」


 沙鳥は僕の前の席の男子、宇佐美に向かってラップバトルを仕掛けている。現実であってたまるものか。


「ごめん、うさちゃんね。きょうそんな気分じゃないの」


 宇佐美も夢仕様になっている。


「つまり、そんなテンションじゃないわけなの」


 微妙にオリジナルに忠実なところもある。


「わっく!」


 細かいことだが英語の発音がヘタなのも真の沙鳥とは異なる点だ。


「ちょっと沙鳥さん」


 今度は夢仕様の句縁が現れた。僕の幼馴染みだ。ちなみにオリジナルはちびでばかで運動神経のいい女子だ。


「そろそろ、先生がいらっしゃるわ。静かになさい」


 夢ではまさかの委員長キャラだった。


「くえくえ」


 沙鳥が言った。句縁のことか。


「くえくえ」


 沙鳥は、いつのまにか皿に乗ったおはぎを句縁に差し出していた。

 食え食え、だったらしい。


「お、おはぎぐらいじゃ、懐柔されないんですからね!」


 句縁はそう言いながらも、おはぎに手を伸ばしている。


「うぅ、だめよ、句縁……。このおはぎを食べてしまったら、私も悪の手に落ちてしまうわ……」


 句縁はおはぎに伸ばしかけた手を片方の手で必死に押さえつけながら言った。


「ああ。だめよ……。きっと悪の手に堕ちてしまったら、なんか黒い模様が額とおへその下に浮かびあがったりするんだから……」


 妙なことに詳しい。


「さて、ところで芯条くん?」


 葛藤している句縁を見ていた僕に、沙鳥が言った。


「どうしてきみは、いつも通りなのかなー? もっとはじけよーぜ!」


「いや、それはだって……。ここって、夢の中だろ?」


 僕が言うと沙鳥は怪訝な顔をした。


「うわぁ、こいつメタなこと言ってら」


「メタって……」


「しんしん君。夢の中だからどうだっていうんだい? むしろ、夢の中だからこそ羽目を外してしまえばいいじゃないか? 違うかい?」


「それは……」


 まあ、たしかにな……。


 でも。


「なんか嫌だ」


「ハァ? なんか?」


「というか、意味がないじゃないか。ここで僕が何をしようが何の意味も持たない。どうせすぐに忘れるし。意味のないことに時間をかけるのは嫌なんだ」


「なるほど。芯条くんらしいです」


 沙鳥は納得した様子で言った。


 いつのまにか、現実の沙鳥と同じ落ち着いた口調になっている。


「だけど、もし意味があるとしたらどうです? 夢の中で起きたことが現実に干渉する、としたら?」


「そんなことはないさ」


「なぜ、そう言い切れるんです?」


「だって常識的に考えて、そんな不思議な現象が起きるわけないだろ?」


 そんなファンタジーな出来事があってたまるものか。


「へえ。変なの、です」


 沙鳥はぞっとするほど低いトーンで言った。


「だって芯条くんは――」



「――テレパシーを信じているのに?」



 じっとこちらを見つめている沙鳥から、僕は視線を逸らした。


「……いや、それはだって。テレパシーは実際に体験しちゃってるんだから。もう信じるしかないだろう?」


「体験?」


「ああ。だって、いつも沙鳥は授業中に僕の頭の中に話しかけてくるだろ?」


 僕がそう言うと、沙鳥は哀れむような眼をした。


「芯条くん。本当にあなたと私がテレパシーを使えると言い切れます?」


「……? どういうことだ?」


「あなたはただ――」


 沙鳥は何か言った。





「芯条くん。げっとあっぷ。起きなさい」


 英語の先生の、ヘタクソな発音の英語が聴こえる。


 どうやら僕はあろうことか授業中に寝てしまっていたようだ。普段の遅れを取り戻そうと、きのう夜更かしして勉強したのが仇になったな。


「……すみません」


 教室にささやかな笑い声が広がった。


 恥ずかしさもさることながら、僕はさっきまで見ていた夢を思い出していた。ところどころ曖昧で思い出せない部分もあるが、とにかく奇妙な夢だった。


 いや、夢というのは変じゃないほうがおかしい。むしろ変であるべきだ。だからこそ、起きる間際に出てきた妙にリアルな沙鳥がかえって気になる。


 ふと目をやると、沙鳥はいつものように僕の斜め前の席で静かに机に向かっている。まさか、沙鳥……。


 僕の夢の中にまで、テレパシーで干渉してきたんじゃないか。


 いつぞやもそんなことがあった。こっちが無防備に眠っているのに気づいて、チャンスとばかりに僕の貴重な睡眠時間を奪おうとしているのかもしれない。


 これに味をしめて、僕が寝るたびに念を送って来られたら厄介だ。いやまあ、僕が寝ている時に沙鳥がそばにいる状況なんてあまりないだろうけど。


 いずれにしても、真相を問わねばなるまい。


 僕は沙鳥に念を送った。


〝沙鳥〟


〝……〟


 沙鳥からの返事はなかった。


〝なあ、沙鳥。さっき僕が寝てるときに、念を送ってこなかったか?〟


〝……〟


 沙鳥からの返事はなかった。


〝なあ、沙鳥。どうせ聴こえてるんだろ?〟


 変だな。いつもと立場が違う。まさかこれもまだ夢……いや……。


 そこで僕の頭には、唐突にある言葉が頭に浮かんできた。


 それはさっきの夢の最後に出てきたが曖昧で思い出せなかった、夢の中の沙鳥と僕の最後の会話だった。


『芯条くん。本当にあなたと私がテレパシーを使えると言い切れます?』


『……? どういうことだ?』


『あなたはただ――』





『――そう思い込んでいるだけではないのですか?』





【つづく】

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