補習
放課後の教室に、生徒が三人だけ残っていた。
一人は僕、芯条信一。一人は僕の斜め前の席の女子、沙鳥。そしてもう一人は、僕の前の席の男子、宇佐美。
別に三人で示し合わせて教室に残ったわけではない。
僕らは三人揃って、これから数学の補習を受けなければならない。要するに、僕らはこのクラスで最も数字ができない不名誉な三人なのだ。
今は、先生が来るまで大人しく待っているところ。
「芯条。表に出ろ」
大人しく待たなければならないのに、宇佐美がそんなことを言った。
「表?」
僕が聞き返すと、今度は沙鳥の声がした。
〝おや。決闘ですか?〟
沙鳥は頬杖をついてうつむいたままで、顔をこちらに向けもしなければ口も開いていない。そして、宇佐美に今の言葉は聞こえておらず、聞こえているのは僕の頭の中だけだ。
僕と沙鳥はテレパス。ただ念じるだけで言葉のやり取りができる。
〝芯条くん。まずは相手のすねを狙うと良いです〟
卑怯だな沙鳥。
僕は宇佐美の方を向いたまま、沙鳥に念を返した。
〝いや、ケンカになるような覚えはないんだけど〟
「何をしている芯条。来い」
僕と沙鳥がテレパシーで会話しているとは知らない宇佐美は、席を立って僕を外に出るように促した。
「来いって……。これから補習なのに?」
「大丈夫だ。すぐに終わる」
なんだろう?
とりあえず、僕も席を立って宇佐美のあとについていった。
〝芯条くん。敵はおそらく目をつぶして短期決戦を狙ってきます。気をつけて〟
どこにも敵はいない。
宇佐美は廊下に出ると小声で僕に言った。
「なあ、芯条。今はチャンスなのではないかと思う」
「チャンス?」
「ああ。いわばピンチだ」
どっちだ。
「チャンスって、何のチャンスだよ?」
「もちろん、今、俺の気になる女子ランキング上位を毎週にぎわせそうになっている、沙鳥蔦羽と親睦を深められるかもしれないチャンスだ」
回りくどいやつだな。
「いわば、沙鳥さんと仲良くなりたい」
最初からそう言え。
「じゃあ、話せばいいんじゃないのか」
誰も止める人はいない。
しかし、宇佐美は険しい顔をした。
「俺は沙鳥さんとまともに話したことがない。いわば、初対面だ」
「席、隣なのに?」
「いったい、どんな話をすればいいかわからない。芯条、相場は何だろうか」
そんなの僕が知るかよ。
「なんでもいいんじゃないの?」
「本当か。気になる女子ランキングの話でもいいのか?」
「それはどうかと思うけど」
「ちなみに今週は、オカルト研の先輩Oが一位に返り咲きだ」
だからなんでイニシャルなんだ。というか、
「沙鳥じゃないのかよ」
仲良くなりたいんじゃないのか。
「いわば同率一位だ」
それもどうかと思う。
〝芯条くん。脇腹です。脇腹を狙うんです〟
沙鳥の声が頭に聞こえてきた。
〝だから、ケンカしてないって〟
僕は沙鳥に聞いた。
〝なあ、沙鳥。宇佐美が沙鳥と話したいんだって〟
僕が念じると、沙鳥からぼんやりした念が返ってきた。
〝ウサミ……さん? はてな、です〟
席、隣なのに……。
僕は補足した。
〝今、僕と一緒に廊下に出てるやつだよ〟
〝ああ。そういう名前だったんですか。あのなんかおっきくてなんか偉そうな人〟
本人が聞いたら泣くぞ。
〝で、そのイシダくんがどうしたんですか〟
一文字もあってない。
〝宇佐美が沙鳥に話があるんだって〟
〝ふっふっふ。甘いですね。芯条くんも倒せないような実力では、私に勝つなんて到底無理な話です〟
なんでそんなに戦いたがる。
〝そうじゃなくて、純粋に話、トークがしたいんだと思うけど〟
〝なんだ。talkですか。〟
無駄にいい発音。
〝ただ、沙鳥に何の話をすればいいか迷ってるんだって〟
「……テレビの話題……音楽の話題……食べ物の話題……」
宇佐美はぶつぶつと話題を吟味している。
〝なんでもいいです。意外となんでも来いですよ、私〟
〝そうだよな〟
〝宇佐美くんの、気になる女の子の話でもいいですし〟
〝いいんだ〟
〝気になる男の子の話でもいいですし〟
〝いいの?〟
〝ただし、相槌を打てる自信はありませんが〟
〝それじゃ会話になんないだろ〟
……。
たしかに、これはいい機会なのかもしれない。沙鳥は、もっと僕以外の連中とも積極的に話すべきなのだ。
もっと会話する相手を増やして、社交的になった方がいい。
そうすればきっと。
僕が沙鳥にテレパシられる時間もいくらか減って、勉強に集中できて、こんな風に放課後に補習で残る必要もなくなるはず。
〝沙鳥。もし話しやすい話題があったら、それを先に宇佐美に伝えておくけど〟
〝うーんです。そうですね〟
やや間があって、沙鳥は言った。
〝「死後の世界があるかどうか?」なら、相槌どころか五時間は話せます〟
正直あまり楽しそうな話題ではないが、本人が言うのなら仕方がない。ぶつぶつとつぶやきながら話題に迷っている様子の宇佐美に、僕は沙鳥の意志を伝えた。
「あのー、宇佐美。……死後の世界の話とかどうかな?」
僕が言うと、宇佐美は眉根を寄せて言った。
「芯条。俺をバカにしているのか? 仲が良くもない男子に、いきなりそんなスピリチュアルな話をされたら不気味だろう」
ですよね。
「いわば、やべーやつだ」
そうですよね。
「ただでさえ、俺はそこそこやべー雰囲気だというのに」
自覚あったんだ。
「さては、芯条。わざと妙な話をさせて、俺に恥をかかせる魂胆か?」
「いや、ごめん。今のは忘れていいや」
「そうさせてもらう」
僕は教室の中の沙鳥に念じた。
〝沙鳥。死後の世界、NGだって〟
〝新潟ですか〟
なぜ死後の世界が北陸だ。
〝ノーグッドのNG〟
〝ああ。No Good 和製英語ですね〟
そうなの?
〝宇佐美いわく、沙鳥はそんなスピリチュアルな話はしないんだと〟
〝そうですか。不可解ですね、イメージの中の沙鳥〟
本人よりマシだろう。
〝では私って、どんな話するんですかね?〟
〝それは……〟
聞いてみるか。
僕はテレパシーを切り上げて宇佐美の方に意識を戻した。
「宇佐美」
「なんだ」
「宇佐美としてはさ。沙鳥にどんな話してほしいの?」
「そうだな……」
宇佐美は考えてから言った。
「もし俺と沙鳥さんが一つ屋根の下に一緒に住むなら、家事はどっちが担当するかだな」
やっぱナチュラルにやべーやつじゃないか。
「やはり手料理を味わいたい俺としては、まずツタハに……」
宇佐美は一人でブツブツ理想を描きはじめた。
……一応伝えておくか。
〝あのー、沙鳥さん〟
〝はいはーい。こちら教室の沙鳥でーす〟
〝もしも、宇佐美と一緒に住むとしたら、家事の分担はどうする?〟
〝え、一緒に住むんですか。どうしてです?〟
〝どうしてかはおいといて〟
〝うーんです。そうですね……〟
沙鳥は、すぐに結論をだした。
〝私はとことん楽して、ぐーたらしたいです〟
だろうな。
宇佐美。沙鳥はイメージのままにしておいた方が幸せかもしれないぞ。現実の沙鳥はだいぶしょうもない。
「芯条。俺の中では、曜日で分担するというプランでまとまった」
「……そりゃ良かったな」
「ありがとう。いわば、礼を言おう。芯条」
「なんで?」
「せっかくの機会だ。ここは沙鳥さんに思い切って、この素晴らしいプランを提案しようと思う」
しまった。
宇佐美が変な妄想ハイに突入してしまった。
「本気ですか?」
「ああ。いわば元のもくあみだ」
「意味かすりもしてないぞ」
僕と宇佐美は教室に戻った。
そして、
教室には相変わらず、沈黙が流れている。
〝あの、私、何か話しかけられるんじゃありませんでしたっけ?〟
沙鳥が拍子抜けした様子で、僕に念じてきた。
〝そのはずだけど〟
宇佐美は席についたまま、補習を受けることになっているページをめくったり閉じたり繰り返している。
〝どうしたんですかね?〟
要約すると、こうだ。
宇佐美の意気地なし。
でもまあ、突然、親しくもない女子に同棲する話をはじめるのを思いとどまったのだから、本人にとって良かったかもしれない。
〝なーんだです〟
沙鳥は再び、拍子抜けした様子で念じてきた。
〝私、ちょっとお話してみたかったのに〟
それを聞いた僕はなぜだか、
宇佐美が意気地なしだったことに、少しほっとしたのだった。
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