トイレ
掃除当番で、僕は男子便所にいた。
まじめに学校生活を送る、という方針を第一に掲げている僕は、もちろん掃除もまじめに取り組む。
どうせやるからには、限られた時間を利用して小便器も大便器も掃除用具入れにある謎の流し台も出来る限りピカピカにしたい。
男子便所には、もちろん女子はいない。
だから沙鳥はいない。
僕と同じ『テレパス』であり、いつもはどうでもいいテレパシーをだだ漏れにして僕の邪魔ばかりする沙鳥が、今はいないのだ。
さあ、心置きなく、トイレを掃除しよう。
そう思ってバケツに水をためていると声がした。
「芯条、芯条よ」
男子便所に響く男子の声。
「なあ、芯条よ」
声の主は、教室では僕の前の席にいる
掃除当番は僕一人ではなく、宇佐美も一緒なのだ。
「なんだよ、宇佐美」
「ちょっと聞いてほしいことがある。いわば、お前に話しておきたいことがある」
何の話だとしても、今は掃除の時間だ。
せっかく沙鳥がいないというのに、無駄話で中断されては困る。
「放課後じゃだめかな」
「できれば今がいい。いわば現在」
なんだろう。そんなに今すぐ話したいことって。
「実は今、気になる女子がいる」
コイバナだった。
「……放課後にしない?」
「いわば、気になる女の子だな」
「繰り返さなくてもわかるよ」
ていうか。
「トイレでする話じゃないと思う」
放課後の帰り道とか、誰もいない屋上とかで頼む。
「そうかもしれない。だが、この気持ちは決して止められないんだ。いわば不動だ」
「不動じゃ止まってるけど」
「いわば、制御不能だ」
どっちなんだ。
「気持ちは制御不能でいいけど、僕に話すのは今じゃなくてもいいだろ」
僕は蛇口をひねって流れていた水を止めた。
「なんというか。今を逃したら、明日になりそうな気がする」
「別にいいよ」
明日はわりとすぐに来る。
「明日になったら、もう気にならないかもしれない」
「制御不能じゃなかったのか」
そもそも。
「宇佐美さあ」
「なんだ」
「ついこの前もそんなこと言ってなかった?」
意を決しての告白のような物言いだが、実は宇佐美はしょっちゅう、どの子がかわいいだのあの子と付き合いたいなどど言っている。
「言っていたか?」
「そうだよ、この前言ってたオカルト研究部だとかの先輩は?」
「ああ。先輩Oのことか」
「なんでイニシャルなんだよ」
「まあ、あの人は」
宇佐美は少し思案してから言った。
「保留だ。いわばキープだな」
どんな身分だ。
「で、それはさておき、今、俺が気になる女子の名前だが」
「うん」
誰でもいいよと思いつつ、一応関心のある振りをしながら聞いた。
「いわば沙鳥さんだ」
それは気になる名前だった。
「沙鳥って」
僕は、小便器を小さい柄つきのブラシで磨きながら聞いた。
「同じクラスの……沙鳥
「ああ。いわば、俺の隣の席の沙鳥……」
宇佐美はかみしめるように言った。
「下の名前、ツタハと言うのか」
「気になるなら知っとけよ」
「そう。俺は今、ツタハが気になってしょうがない」
知った途端、呼び捨てになった。
「ど……、どの辺が気になるの?」
正直言って、僕にとっての沙鳥は、真面目に授業を受けたいのを邪魔してくるちょっとした敵キャラだ。どこがいいんだろう。
宇佐美は堂々と答えた。
「見た目が十割だ」
むしろ潔かった。
「つまり美人だし、いわばかわいい」
「どっちだよ」
わりと違うぞ、その二つ。
「あと、余計なことをしゃべらない寡黙な感じがいい。大人しいというか、大人びた雰囲気がいい」
「沙鳥は意外と大人気ないよ」
あいつは食い意地も張っている。
「なぜ芯条が知っている?」
「あ。えーと」
まいったな。
テレパシーでいつも会話しているからとは言えない。
「い、一年のとき同じクラスだったって人から聞いたんだよ。意外と子どもっぽい性格だって」
「ふ。そのときはまだ一年だったからだろう」
「一年だったの、つい何ヶ月か前だよ」
「思春期の成長速度をなめるな」
思春期のやつが言うな。
「というよりも、芯条よ。むしろ、あの見た目で子どもっぽかったら、ギャップでますますあれだろう」
「どれだ」
「いわば、あれだ」
「どれだよ」
「でも、だ。沙鳥さんがしゃべっている場面を俺は見たことがない。いわば目撃した覚えがない。普段のツタハは、どんな人なのだろうか」
宇佐美は言った。
「いわば、話してみたい」
話してみろ。とてつもなく疲れる。
知らぬが仏というのは、きっとこのことだ。
「今度、思い切って話しかけてみようかと思う」
「やめたほうがいいんじゃないかな」
幻想が崩れることになるから。
「なぜだ」
「いや、なんか、ほら……。そんなに人としゃべんの好きそうじゃないし」
傍目にはきっとそう見えている。
「たしかに、急に一人で話しかけるのも不自然だな……。よし、特別にお前も会話に参加させてやろう」
何の権限があっての許可だ。
「僕はいいよ」
普段、嫌というほど話しているから。
「そうか。ならば、俺がツタハを独り占め。いわば独占だ」
もてあますぞ、たぶん。
「そして、しゃべれるようになったら、まず家に遊びにいく」
「いきなりかよ」
「それもそうだ。ならば、まずは一緒に帰ろうと誘ってみよう」
それなら、まあ。
「で、その帰る流れで、家にお邪魔だ」
「だから早いよ」
「そして、俺は花をプレゼントする」
「花?」
「ああ、花だ。いわば植物」
だいぶ範囲広くなった。
「女子へのプレゼントといえば、ずぶ濡れの雨の中で渡すバラの花と決まっている」
「それ、イタズラで呼び出されたやつっぽいけど」
「何の花が好きだろう。ツタハは」
「さあ?」
「ツバキとか似合いそうだな」
「そうかなあ」
「ああ。ツバキがどんな花かは知らないが」
「じゃあ、なんで似合いそうなんだよ」
「音の響き的にだ。ツバキとツタハ、似ている」
「一文字だけだけど」
「しかしだ、芯条よ。俺は花なんてほとんど知らない。他に強いて知っている花といえばラフレシアくらいだ」
「極端だな」
ラフレシア。
ジャングルに咲く、臭いにおいを出す世界最大と言われる花だ。
意外といい線いってる気がする。沙鳥にもし好きな花を聞いてみたら、それくらいのユニークな回答は返ってきそうだ。
「芯条よ。俺は帰りに花屋でラフレシアを買おうと思う。ついてきてくれるか?」
「宇佐美。実はラフレシアも知らないだろ?」
掃除が終わって教室に戻ると、沙鳥はいつもどおりすました顔で座っていた。
たしかにこうして黙っていれば器量はよいのだろう。他の要素による評価を拭い去れない僕にはいまいちわからないが。
宇佐美はトイレで話していた計画をすぐに実行するつもりでもないらしく、沙鳥には話しかけず無言のまま隣の自分の席に座っている。
宇佐美のいくじなし。
〝沙鳥〟
僕は宇佐美の後ろの自分の席に着くと、テレパシーで沙鳥の名を呼んだ。
〝……ん? 誰ですか?〟
〝誰ですかって。僕しかいないだろ〟
〝ああ。それもそうです〟
テレパスはこのクラスに二人しかいない。たぶん学校にも、ひょっとしたらこの街にも、あるいはこの世界にも二人しかいないのかもしれない。
〝で、なんです? 芯条くん?〟
僕は聞いてみた。
〝沙鳥の好きな花って何?〟
友達のために、それとなくリサーチをかけてみる。
というより個人的に、どんな変な答えが来るのかちょっと気になったというもある。
〝花ですか。あんまり詳しくないですが。うーん。しいていえば――〟
さあ、なんだ。
ラフレシアかウツボカズラか冬虫夏草か?
沙鳥は返答を念じてきた。
〝スコティッシュテリアですね〟
それは犬だ。
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