新学期の空

@arikahorinouchi

第1話

「まほーう!」教室のドアを開けて女子が転がり込んでいく。真帆は、今朝のエンタメ特番を観て上機嫌だった。「うるさい。」窓際の席で本の表紙を大事そうにさすって明日香が振り向く。「もう少し知的に生きるということを考えた方がいいよ。」真帆は青い通学鞄を明日香の隣の机に放る。「知的って、何?」そして教科書やファイルをバサバサひっくり返した。無造作に机の引き出しに投げ入れ、どすんと椅子に腰かけて足を組んだ。「私は、真帆のキャラクター嫌いじゃないよ。」明日香は小説をトントンと揃えて席を立ち、ロッカーからリコーダーを取り出して、こちらをみて居る真帆に手渡した。「ありがとう!あれ、今日は音楽の授業は五限目だよ。」「いいから。」真帆は手渡されたリコーダーをしげしげ眺め、何を演奏しようかなとそれは悩んだ。今のところ、レパートリーにあるのはエーデルワイス、春よ来い、それと。「わかった!」勢い良く口にくわえたとき、じろりと明日香に見下ろされてしまった。「あ、アハハ……。いつもの、だった。」立ったまま腕組みした明日香と、このお調子者は入学説明会で知り合い、メールを頻繁に送っていた。そもそも真帆が明日香を気に入ったきっかけは、かっこいい。この一言に尽きた。どんな時でも小説を持ち歩き、茶色のリボンタイ(自前なのかな)、ひとたび声をかければ斜めから覗き込むように小さく視線を送ってくる。極めつけは最前列に並んでいた紅に、わたしを紹介してくれた。実は、極め付けだけは余計だった。「いつもの、もう一回!」真帆は渾身の笑顔で明日香に懇願するが、見たのかみて居ないのか、かっこいい姿勢で紅のほうへ歩いていく。紅は小柄で、ずり落ちてしまうメガネを絶えず気にして座っていたが明日香の気配にふりむいた。勢い余って華奢な体は椅子から転がりそうになる。「明日香ちゃん、ありがとう。」紅のいかにも女の子らしい姿を、真帆はリコーダーを握りしめて口を閉じたままみて居た。「今日は何を聴いてるの?」紅の片耳からイヤホンを抜いて、隣に腰かける明日香。ここまで来たら、真帆になすすべはない。リコーダーを見つめて今吹き流してみたらすべてを変えることができるか真剣に考えた。「起立。」教室に入ってきた山本先生の一声でクラスメイト達は立ち上がり、自己紹介を始めた。自己紹介といっても趣旨のわかりにくいもので、好きな食べ物をあげたりペット、趣味のお披露目会になっている。前の席に座っていた紅が「趣味は音楽鑑賞です。」といった暁には真帆の頭のなかは救急車と消防車が行ったり来たりしている。次に明日香が自己紹介をするのを全身全霊で聞いた。「シュールなことが大好きです。」スカートを揃えて座る明日香を目を輝かせて、これ以上はない! と心底感動してしまった。そして真帆の番が回ってくる。「真帆は、真帆は、」どうしよう。決め台詞が出てこない。明日香は、前を向いている。どうしよう。「真帆は、オレンジジュースが好きです。」下を向いて絞り出す。笑い声が響いた。本当はコーラが好きで、家の近所に百円の自動販売機があり栄養源としている、本当は紅のようにもなりたい。自分の好きなことを、堂々と表現したい。明日香に気に入られるためには。「まほーう。」小さい頃から楽しいことが大好きで、両手を広げて空き地を駆け回る。空を飛ぶには友達が必要だった。友達は、なぜだか私を笑う。「鳥越さん。」山本先生の声で我に返った。気がつくと廊下に立っている。紅と明日香もいる。廊下は、細長い上に真っ白で、少し苦手だ。「どうしたの、真帆。」明日香が笑っている。途端に夢がかなってしまった。それでも、私は私ではダメだね。紅にはなれない。あれ? どうすればよいのかな。「二限目、終わっているよ。購買部に行こう。」紅が赤い淵の眼鏡を拭きながら歩いている。紅がメガネを外したら、普通の女の子になった。明日香が後をついていく。「まほーう! 真帆は、コーラを飲む!」明日香は、斜めから振り返って微笑んだ。その手を握っている。これからもよろしくね。帰ったらドストエフスキー読んで、メールを送るよ。本当は勉強が大好きなことを、ずっと忘れていた。得意そうにすることが怖かっただけでなく、大好きなことを、失いたくない。私たち、空を飛べると言いました。

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